はじめに
NHK大河ドラマ『真田丸』の最終章「大坂の陣」で描かれたのは、真田幸村(信繁)による徳川家康への最終突撃。
かくにも大阪城は家康の手に渡ったわけだが、結局のところ城を落としたのは一体、誰だったのだろう。
「それはもちろん徳川家康、もしくは徳川方の知恵者の考えによるものに決まっているじゃないか」
と誰もが考えるところ。
しかし果たして、作戦云々の前に、難を誇る大坂城を攻め落とす自信が、何もないところから湧いてくるものだろうか。
「大坂城を確実に落とすことができる」と家康が確信した「何か」がきっとあるはずだと思い、調べてみた。
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同じことを考えていた人物が、当時にも存在していたことを発見した。徳川秀康の重臣であり、軍師であった本多正信である。
家康が天下統一を果たして江戸幕府を開き、老中として活躍していた本多正信には「大坂の陣」に関して、ある疑問を残していた。
「なぜ大御所様(家康)は、あんなに容易く大坂城を落とすことができたのだろう。私でもあのような作戦は思いつかない」
本多正信は思い切って家康に直接、訊ねてみることにした。すると、家康の口から、到底、考えられない意外な人物の名前が出てきたのである。
初めて 大坂城 を見た徳川家康は、「天下取り」を諦めた?
話は30年前にさかのぼる。
1585年、家康は関白・豊臣秀吉に臣従するため、大坂城を訪れていた。
秀吉は満面の笑みで家康を招き入れ、大坂城内を案内する。金の茶室、金のトイレ、大坂城内に作られた巨大な畑……。どれも家康を驚かせるものばかり。
そして、家康をもっとも驚かせたのは「広大な外堀と内堀」だった。
「いずれ自分が天下を取る」と密かに思索していた徳川家康も、さすがに大坂城と広大な堀の圧倒的迫力には屈することになる。
「いくら策を重ねても、さすがにこの大坂城は落とせない。しかし、この城を落とさない限り、天下はとれまい……」
いずれ天下を奪うことを計画していた家康も、この城を見たとき、それが極めて困難な道であることを思い知らされたのである。
徳川家康の作戦
一度は天下取りを諦めかけた徳川家康だが、あるひとつのことに気づく。
「自分は城を落とすのが得意ではない。こういう場合は、得意な人に教えてもらえばいい」
そう思いついたものの、城を落とすことを得意とする人物がそう簡単に見つかるはずもない。
「やはり無理なのか」
諦めかけた瞬間、家康はその人物が目の前にいることに気づく。
戦国時代で最も城を落とすのが得意な人物とは、この大阪城を築いた豊臣秀吉自身だったのである。
しかし、当然ながら、すんなり教えてもらえるはずもない。
そこで家康はある作戦を決行する。
家康はまっすぐに秀吉の顔を見ながら言った。
「すばらしい。この大坂城、まさに難攻不落。きっと誰が攻めたとしても落とすことはできないでしょう。たとえ関白様でも例外ではありません」
秀吉は怪訝な顔をしてこう返した。
「私? 私は落とせる」
徳川家康もムッとした表情で切り替えす。
「ご冗談を。このような城を落とすことができる人物など、いるわけがない。関白様は嘘をついておられる」
「もしそうであるならば、私は嘘をつく方のもとで働きたくはないので国に帰ります」
家康の言葉に、思わず慌てる秀吉。
「待て。この城の落とし方はある。とりあえずそこに座ってくれ」
秀吉が慌てるのには理由があった。家康が秀吉の傘下に収まったのは、決して秀吉が力で屈服させたわけではなかったのである。家康が本気で攻めかかれば、自分と互角かそれ以上の戦力があることを秀吉は知っていた。しかし、そうなればまたたくさんの命が失われてしまう。天下を取るためには、秀吉は自分の母親を家康の人質にしてまでも、なんとか家康を味方に引き入れたかったのである。
秀吉にとってもこの会談は綱渡りであった。秀吉はついに大坂城の落とし方を語ることとなる。
「この大坂城が難攻不落と思わせる秘密は、この外堀と内堀にある。しかも城内には10年はもつだけの資金と食糧がある。それを知った時点で誰もが萎えてしまうだろう」
現代の大阪城の外堀と内堀
「まずは、この城に外から徹底的に攻撃を加える。たとえ成果が上がらなくともかまわない。城内は平和的に解決しようとする『和平派』と、徹底抗戦を唱える『抗戦派』とに分かれ、城内の人間関係が乱れるだろう」
「そこで『和平派』に接近し、和睦の条件を『城の外堀を埋めること』と提案する。誰でもこの条件なら呑むだろう?」
家康は頷きながら
「それならば私でも呑みます。しかし、大坂城にはまだ堅固な内堀がある。 それはどうするのですか?」
秀吉は何食わぬ顔でこう答えたのだった。
「徳川殿、あなたは正直な人だ。外堀を埋めてしまったら、そのまま内堀まで歩くことができるのだから、内堀もついでに埋めてしまえばよい」
「さすがは関白様。これで私も安心して家臣になることができます」
こうして家康は、感服したフリをして一時、秀吉の傘下に収まったのであった。
一方、秀吉は最大のライバルである家康を味方につけ、天下統一に邁進していくことになる。
秀吉が天下統一をする前のはるか昔のやりとりを聞いた本多正信。
「さすがは大御所様。まさか敵の大将を参謀にするとは、思いもつきません。 私は大御所様に長いあいだ仕えることができて感謝しております。本当にありがとうございました」
軍師として大阪城陥落の秘訣を聞けて満足した本多正信は、のちに家康に別れを告げ、隠居したのだった。
まとめ
意外にも大坂城を落としたのは、家康ではなく、豊臣秀吉自身だったのである。
自分の力だけでは勝てない相手に対し、褒めることで気分を良くさせ、成功の秘訣を聞き出し、自分の力にする。このような作戦は、現代人の私たちもビジネスの場で応用することができるのではないだろうか。
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