「死神」と聞くと、どんなことをイメージするだろうか。
死した者を迎えにくる存在
魂と肉体を切り離す存在
命を奪ってしまう悪い存在
魂がさまよい続けるのを防ぐため、冥府に導いてくれる存在
そして、その姿は――。
黒いローブを纏い、大きな鎌を持っている。白骨姿、あるいはミイラ化している…。
捉え方によって恐怖も安らぎも与えてくれる存在――。
今回はそんな、「死神」について調べてみた。
西洋の死神
前述した「黒いローブに鎌を持っている」という出で立ちは、西洋の死神のイメージだ。
鎌は大鎌だけでなく、草刈鎌の場合もあるのだとか。
ローブもボロボロであったり、足がなく浮遊していたり、白骨化した馬に乗っていたりと、バリエーションがある。
死神が写真に写ってしまった場合、鎌を持っていたなら「命に関わる危険の前兆」、鎌を持っていなくても「なんらかの危機の前兆」とする迷信があるのだそう。
一度振り上げられた大鎌は、振り下ろされるときに必ず魂を獲るといわれている。死神の鎌から逃れるためには、他者の魂を差し出さなくてはならない、という説がある。
日本の古典にみる死神
江戸時代の古典文学にも、死神について記されているものがいくつかある。
桃山人が発表した『絵本百物語』には、死神のことが竹原春泉斎の画とともに描かれている。
「悪念をもった死者が生者の悪念に呼応して死へと導く」
「刃傷沙汰などがあった場所は必ず清めなくてはならない」
といったことが書かれている。自害したり首をくくったりするのも、死神が誘うからだという。
幕末を生きた鈴木桃野の随筆『反古のうらがき』には、縊鬼(いつき)という存在が記されている。
江戸の鞠町で開かれた酒宴に、客のひとりである同心が来ない。
ようやく現れた同心は「首をくくる約束をしたので、断りに来た」と話す。酒宴を開いた組頭が乱心したかと酒を飲ませ引き止めたところ、しばらくして同心は落ち着きを取り戻した。
同心によれば、喰違御門にさしかかったところで何者かに「首をくくれ」とささやかれた。
なぜか拒否できない気持ちになり「組頭に言って約束を断ってからにしたい」と伝え、わざわざ断りにきたとのことだった。
同心は助かったが、喰違御門で首つり自殺があったとの知らせが届く。
縊鬼が同心を死なせようとしたがあきらめ、別の者に憑いたことで同心から離れた。それで彼は助かったのだ――。
という話だ。
江戸時代後期の三好想山の随筆『想山著聞奇集』には
「死に神の付たると云は嘘とも云難き事」
という記述がある。女郎が「あんたに惚れたから」と客の男を心中に誘う話だ。
誘われた男は半信半疑ながらも「ああ、死んでもいい」と答える。
「明晩、死のうよ」と約束するが、当日になるとなんだかんだとあり結局、死ねなかった。
「明晩こそ」と女郎と約束し、翌晩、店の者たちには夜芝居に行くと見せかけ、森で死ぬためにふたりで出掛ける。
覚悟を決め、目がすわった女郎の顔を見て、男は我に返る。
女郎からなんとか逃げた男は三日後、その女郎と旅の男が昨夜、森で心中したことを知る。
女には死神が取り憑き、それが旅の男にも取り憑いたのだろうか――。
と語られている。
日本の古典では、死神の認識は「人に取り憑き、自殺させる」というものだったようである。
日本の死神
仏教においては、死にまつわる魔として「死魔」というものがある。
人を死にたくさせる魔物で、「死魔に憑かれると衝動的に自殺したくなる」などといわれている。そのため、「死神」と説明されることもあるという。
他にも、冥界の王である閻魔や、地獄にいたとされる牛頭馬頭、鬼が「死神」の類とされている。
神道では、日本神話においてイザナミが人間に死を与えたとされているため、イザナミを死神とすることもある。
日本の死神は、西洋の死神とは様子が違うようである。
キリスト教には存在しない死神
キリスト教は一神教なので「唯一とされる神」以外に神は存在しない。だから、死「神」というのはいないのである。
生きている者に死を知らしめ執行するのは、天使になるそうだ。
死神を悪と捉えた場合は、悪魔もま、死神と似た存在であるといえるだろう。
黙示録の『第4の封印』が解かれたときに現れる、青白い馬に乗った【死】という騎士も、死神に類似している。
落語と死神の深い関係
日本では他にも、人形浄瑠璃や落語のなかにも「死神」が登場する物語がある。
古典落語の死神は、グリム童話『死神の名付け親』が原典のひとつと考えられている。
サゲのパターンがいくつもあるようなので、一度、直接、落語を聞きに行ってもいいかもしれない。
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