古代文明

【人間の埋葬の歴史】 人類はいつごろから死者を埋葬し始めたのか?

【人間の埋葬の歴史】

画像 : 二人の女性の中石器時代の墓の復元 CC BY-SA 2.0 fr

古代の洞窟には、死者を埋葬した記録が残されている。

世界中の多くの文化で、故人を埋葬して弔うことが習わしになっている。この儀式には、さまざまな故人への追悼の行事が伴う。

では、「最初の人間の埋葬」はいつ頃始まったのだろうか?

人類が死者を埋葬し始めたのはいつ?

少なくとも12万年前には、意図的に埋葬された人間の遺体があったと考えられている。

もっと古い埋葬地が存在する可能性は否定できないが、現代人(ホモ・サピエンス)が死者を埋葬した最古の確実な例は、中石器時代(約30万年から3万年前)であるといわれている。

また、絶滅した人類の祖先が、約30万年前の現在の南アフリカで死者を埋葬したことを示唆する研究もあるが、この研究については科学界で論争となっている。

現代人と同型の最古の人類の埋葬跡は、12万年前のイスラエルにあるカフゼー洞窟などで見つかっている。また、オーストラリア博物館によると、同じ洞窟で11万5千年前のネアンデルタール人の埋葬跡も見つかっている。

【人間の埋葬の歴史】

画像 : ネアンデルタール人の母親と子供 wiki c Jaroslav A. Polák

専門家は、「中石器時代の人々は、洞窟を生活・食事・交流の場として頻繁に利用していた」と指摘している。

研究者は、これらの初期の洞窟埋葬は、自然現象(洞窟の崩落など)ではなく、意図的な人間の行為であったと確信している。なぜなら、洞窟の遺跡から発見された骨は、**胎児の姿勢で配置**されて、遺品と一緒に埋められており、埋葬のために土が掘り起こされていたからだ。

胎児の姿勢とは、胎児が母親のお腹の中でとっている姿勢のことで、具体的には、膝を胸に引き寄せ、頭を丸めて、背中を丸めた姿勢のことである。

胎児のような姿勢で埋葬されていたということは「死後の世界で生まれ変わることを願っていた」または「死者を母親のお腹に戻してあげたい」という気持ちの表れと考えられている。

なお、胎児の姿勢で埋葬される習慣は、世界各地で古くから行われてきており、日本でも、縄文時代の遺跡から胎児の姿勢で埋葬された人骨が発見されているのだ。

古代の人々が死者を埋めた理由

【人間の埋葬の歴史】

画像 : イメージ

古代の人々は、なぜ死者を埋めたのだろうか?

その理由は、まだ完全にはわかっていない。

しかし、洞窟の中や外にかかわらず、死体を埋めて、処分しなくてはいけない理由がいくつかあったと考えられる。

人間や他の多くの動物には 「腐敗を本能的に嫌う」という性質があるといわれている。腐敗した死体は、病原菌や害虫を媒介する可能性があるため、人々は死体を埋めて、これらの危険から身を守ろうとしたのかもしれない。

または「死者を埋めることで、死者の魂を安らかに眠らせることができる」と考えたのかもしれない。

いずれにせよ、死体が腐敗していく過程は、見た目的にも臭い的にも耐え難かったであろうことは、容易に想像できる。

このように最初は、不快を断ち切ったり病気を予防するための単純なものだったかもしれないが、徐々に儀式など宗教的な意味を持つようになったと考えられている。

古代の人々の多様な埋葬

旧石器時代後期のユーラシアでは、豪華で装飾的な埋葬が行われることもあったが、大多数の埋葬は非常に簡素で、日常生活で使用される品物が副葬品として含まれていた。

専門家は「古代の埋葬は地域によって異なるため、その性質や意味について確固たる結論を出すことは難しい」と述べている。

火葬による埋葬が行われるのは、ずっと後になってからだ。記録に残る最古の火葬は、オーストラリアのムンゴ・レディと呼ばれる女性の化石で、約40,000年前のものである。

これらのことから、古代の人々の埋葬方法は、時代や地域によって多様に変化してきたことがわかる。

さいごに

死は人類にとって普遍的な経験である一方で、その意味や捉え方は、時代や地域によって大きく異なっている。

死後の扱いに関する多様性は、古代人の死について理解する上で重要な観点であり、今後も継続してこの研究が進められることで、人類がいつからどんな理由で埋葬を始めたのか、新たな理由が明らかになるかもしれない。

参考 : When did humans start burying their dead? | Live Science

 

アバター

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. なぜ人間は土や木を食べられないのか?その理由が古代マヤ文明の創世…
  2. アトランティス人 はどういう特徴だったのか?【超古代文明】
  3. 古代の超大陸について調べてみた【 パンゲア大陸 】
  4. ホモ・サピエンスはなぜ生き残れたのか【ネアンデルタール人との違い…
  5. 西洋占星術の起源について調べてみた
  6. 【4500年前に頭蓋骨手術が行われていた】 2度の手術で生き延び…
  7. ギルガメシュ叙事詩とシュメール王ギルガメシュ 「神か?人間か?」…
  8. 【近親婚】 兄弟姉妹や子供と結婚していた古代エジプト人

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

京都五山の送り火、8月16日じゃないのに夜空に燃えた大文字

現在はお盆の送り火として、8月16日にだけ灯される京都五山の大文字や妙法・舟形。しかし過去に…

「藤原氏の祖」となった中臣鎌足 ①【蘇我入鹿 暗殺計画】

中臣鎌足とは飛鳥時代の645年、ヤマト政権で天皇をも凌ぐ権勢を誇っていた大豪族の蘇我入鹿…

小田原城の歴史について調べてみた

神奈川県の西部に位置する小田原は、戦国時代には南関東一円を支配する北条家の拠点であった。その中心が小…

「リアル三國無双」張遼!正史に残る最強武将の生涯とは

「無双」という言葉が相応しい男 張遼人材コレクターとも称される曹操のもとには、多くの名将が集まり…

「ダ・ヴィンチに肖像画を拒まれた」ルネサンスのカリスマ貴婦人イザベラ・デステとは

長年に渡りイタリアの文化・芸術の偉大な庇護者であった名門貴族エステ家。ルネサンス文化…

アーカイブ

PAGE TOP