19世紀末のイギリス。産業革命により便利になったが、石炭の煙が霧となって地表を被っていたロンドン。その霧に紛れるかのように起きた連続殺人事件が人々を恐怖に陥れた。
犯人の名は「ジャック・ザ・リッパー(切り裂きジャック)」。
奇しくもアーサー・コナン・ドイルが、シャーロックホームズを主人公とした『緋色の研究』が発売された翌年、1888年のことである。
闇夜の殺人事件
【※当時の事件を伝えるジャックのイラスト】
1888年8月31日、ロンドンのホワイトチャペルを巡回していた警察官が、通りで倒れている女性を見つけた。
その異様な遺体は、喉を切り裂かれ、腸が腹から出ており、性器にまで傷がある。被害者は、このあたりを縄張りとする娼婦の「メアリー・アン・ニコルズ」42歳。怨恨でも物取りでもないこの奇怪な事件に警察は首を傾げた。
そして、約1週間後の9月8日の夜、第二の犠牲者が出る。
やはり、娼婦のアニー・チャップマンという45歳の娼婦で、喉や腹の他、子宮、膀胱、性器までもが切り取られ、持ちさられていた。今回も前回同様、人気のない場所で、猟奇的な殺人方法から同一犯の仕業と推測できた。だが、どちらの事件も目撃者がいない。
そんな中、新聞社に1888年9月27日と10月1日に「ジャック・ザ・リッパー」の署名入りの犯行声明文が届く。これが、彼の呼び名として歴史に名を残すことになった。
さらなる犠牲者
そして、9月30日、なんと同日の深夜に二人の犠牲者が出たのだ。
エリザベス・ストライドという44歳の娼婦が殺害されたときには目撃者がいたものの、犯人を割り出すには至らず、その45分後にはキャサリン・エドウズが無残な姿で発見される。子宮と腎臓を持ち去られた上、引きずり出された腸が塊となって遺体の横に置かれていた。ちなみにキャサリンは43歳で、ここまでの被害者全員が40代の娼婦である。
そして、最初の被害者であるメアリー以外は、人目につかない場所で殺害され、その方法も体を切り裂くという共通点があった。そのため、40代の女性をターゲットにするような性的嗜好の持ち主との推理がされた。ただ、あまりに証拠がない。
凶器はもちろん、持ち去られた臓器が発見されることもなく、犯人像も明らかにならないまま、事件のない10月が過ぎた。
切り裂きジャック 最後の殺人
【※切り裂きジャックが取り上げられたアメリカの雑誌『Puck』の表紙(1889年9月21日)】
手掛かりのないまま、ロンドン市民の記憶からも事件の記憶が薄れかかった11月9日、もっとも凄惨な殺人事件が起きる。
現場は、25歳のメアリー・ジェイン・ケリーという若い娼婦の自室で、他人の目を気にする必要もないためか、今まででもっとも残酷な手口で殺されていた。
喉と腹を切り裂かれていたのはそれまでの手口と同じだったが、喉はより深く切り裂かれて切断寸前、鼻はそがれて、体のいたるところの皮膚が切り裂かれ、内臓や乳房とともにテーブルの上に置かれていたのだ。
確かに警官ですら目を背けたくなるような殺し方だったが、逆にこのことがあるヒントを与えてくれた。それは、臓器の摘出の仕方が高度な外科技術と同様だったというのだ。これにより、犯人は医者ではないかという推理もされた。
だが、これ以降、ロンドンで猟奇的な殺人事件は起こることなく、犯人不明のまま迷宮入りとなる。
高度な知識と技術
最初の殺人から130年。その正体については今日まで様々な憶測が流れた。
同一犯の仕業とも考えられるその後の殺人事件や、多くの被疑者たちについてここでは割愛するが、無視できないのは、主に犯行が行われたイーストエンド・オブ・ロンドンという場所である。
ロンドン市内を流れるテムズ川の北に位置するこの地域は、19世紀末にはスラム街であった。食肉工場があり、そこから垂れ流される糞尿で水は汚染され、悪臭が町を覆う。しかも、多くの女たちが売春婦として働き、殺人も多い。そんな場所だからこそ、人目に付くことなく被害者たちを欲望のままに殺せたという一面もある。
食肉工場があったことから、犯人は肉屋ではないかとの見方もあるが、実際の遺体の様子を見た検視官は、内臓の位置を的確に見極め、余計な傷を付けずに摘出した技術や知識から、少なくとも肉屋の犯行ではないことを明言した。
新たな証拠の発見
そして、現代。
あるニュースが世界を騒がせた。リッパロロジスト(ジャック・ザ・リッパー研究家)のひとり、「ラッセル・エドワーズ」がジャック・ザ・リッパーについて、新たな証拠を発見し、それが真犯人につながるものだと著書に記した。
ラッセルが手に入れたという証拠は、4人目の被害者「キャサリン・エドウズ」の現場に残されたショールで、当時の警官が持ち帰って、子孫が現代まで保管していたとう怪しいもの。だが、ラッセルはこのショールを信じて、付着したシミから、DNAを抽出。さらに、キャサリンの子孫と、彼が被疑者と考えていた人物の子孫からもDNAサンプルを提出してもらうことが成功した。
その結果、DNAが一致した犯人とは、当時も被疑者の一人として扱われた、「アーロン・コスミンスキー」というユダヤ系理髪師だった。
といいたいところだが、これについて専門家は検査結果に間違いがあると指摘し、さらにラッセルも再調査を行っているという。
最後に
切り裂きジャックがこれほどまでに有名になったのは、未解決なことはもちろん、犯行声明を送り、それを行い、そして忽然と姿を消したことだ。
連続殺人の多くは、犯人が犯行を繰り返して捕まるケースで終わるが、まさに犯人への糸が途切れたのである。それが、後世のフィクションにも大きな影響を与えてきた。
『名探偵コナン ベイカー街の亡霊』でも、ジャックを犯人としたVR世界のロンドンでコナンたちが活躍するが、面白いことにそこにはシャーロック・ホームズも存在している。
ホームズの生みの親であるドイルは、この事件への考えは口にしたことはないが、自分なりの推理はあったと思うと気になるところだ。
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