ミリタリー

【第二次世界大戦中のミステリー】 ロサンゼルスの戦い

1941年12月8日未明(現地時間7日朝)、ハワイのオアフ島にあるアメリカ海軍基地が突然の攻撃を受け、大打撃を被った。真珠湾はいたるところが炎上、爆発で埋め尽くされアメリカ海軍太平洋艦隊は機能しなくなった。

それはイギリス領マレー半島を陸軍が攻撃したことに始める「南方作戦」の一部である。

この奇襲が成功したことで、日本軍の作戦がうまく回り始め、一方のアメリカ合衆国は日本軍の攻撃に神経を尖らせていた頃。

ロサンゼルス市上空で激しい戦いが発生した。

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アメリカ本土への攻撃

ロサンゼルスの戦い
※アメリカ本土を砲撃したものと同型の巡潜乙型潜水艦

太平洋戦争の緒戦でアメリカ軍に大打撃を与えた日本軍は、太平洋の戦闘において連合軍に対する優位を保つことができた。これも真珠湾攻撃により、海軍の艦艇を多数沈めた結果である。なにしろ太平洋で制海権、制空権を確保するためには海軍の力が大きい。一時的にせよ、海軍力を大幅に削られたアメリカ海軍は指を加えて見ているしかなかった。

日本海軍の攻撃はさらにエスカレートし、潜水艦を太平洋のアメリカ沿岸まで進めることができていた。西海岸沿岸において航行中の商船を攻撃して軍事物資となりうる要素を排除する「通商破壊作戦」は成功し、アメリカの貨物船やタンカーなどを10隻以上破壊するという行動を繰り返している。なかにはカリフォルニア州の沿岸わずか数キロの沖合いで貨物船を撃沈した光景は多くの市民が見ていたという。

そのような戦況だったために、日本海軍は早くもアメリカ本土に対する攻撃を計画しており、現地時間の1942年2月23日午後7時にはカリフォルニア州にある石油製油施設への砲撃が行われた。大きな被害こそなかったものの、この攻撃によってアメリカ軍は心理的に大きなダメージを受けたのである。

厳戒態勢


※対日宣戦布告文書に署名するルーズベルト大統領

こうした一連の攻撃はアメリカに対し日本軍に対する恐怖を植えつけることになった。

当時でも大国だったアメリカが、極東の島国に怯えるなどとおかしな話だと思うだろうが、第二次世界大戦についてはしばし中立を宣言していたアメリカは、戦争に向けて軍備を増強していたわけではない。そこに来て、太平洋艦隊が使い物にならないとなれば慌てるのも無理はなかった。

アメリカ政府は「日本軍の空母艦載機によるアメリカ本土への空襲、及び、陸軍による本土上陸の可能性」が高いと分析し、陸軍へ水際での阻止を打診している。しかし、陸軍上層部は「日本軍の大規模上陸作戦があれば、上陸は阻止できない」と回答し、沿岸ではなくロッキー山脈から中西部までを防衛線と考えていた。

そのため、西海岸一帯では日本軍の攻撃に備えて潜水艦の侵入を防ぐための網の設置や機雷の敷設、灯火管制まで行われるという緊張感に包まれたのである。

飛行物体接近!

まさに厳戒態勢にあったアメリカは、サンフランシスコ、ロングビーチ、サンディエゴといった主要な西海岸の市民も含め、日本軍による再度の攻撃に備えていた。しかし、その後の日本海軍による攻撃は行われることなく2月24日午後10時過ぎに警戒態勢が解除される。

ロサンゼルスに設置された防空レーダーが未確認の飛行物体を捉えたのは、それからわずか3時間ほど後のことだった。

西方120マイル(約193km)から飛来するその物体はタイミング的に日本軍機としか思えない。すぐに陸軍は迎撃態勢をとる。対空砲火の準備に入ると共に、航空機には迎撃のためにスクランブルが発令された。時刻は25日深夜1時44分のことである。

飛行物体はアメリカ本土に接近するとともに「25機」と判明し、午前3時過ぎにはサンタモニカの上空に到達した。

接触


※ロサンゼルスの戦いを報じる「ロサンゼルス・タイムズ」の紙面

最初の目撃は、赤く光る飛行物体が約320km/hでサンタモニカ上空を移動した姿だった。市民の多くも目撃しており、陸軍の第37沿岸砲兵旅団が対空射撃を開始する。ロサンゼルス上空を飛行する「」に対して激しい対空砲火が浴びせられた。砲兵旅団のいくつかの小隊が午前3時12分から約1時間、1430発もの弾薬をサーチライトで照らされる夜空に対空砲火を行ったのだ。しかし、命中弾は一発もなかった。それどころか、戦闘機が迎撃のために離陸したが補足できずに終わってしまう。

その後も飛行物体は、約20分間も太平洋沿岸一帯を飛行した後に突如としてその姿を消した。こうして未確認の飛行物体は、多くの兵士、市民に目撃されながらも米軍に反撃することなくレーダーからも消失したのである。

真相は未確認のままに


※ジョージ・C・マーシャル陸軍参謀総長

すぐにこの迎撃戦はラジオで中継され、ロサンゼルスだけでなく全米にパニックを与えた。しかも、住民による目撃情報が曖昧で「小型の物体が高速で奇妙な移動をした」「30機~40機は飛んでいた」などと情報が錯綜したことにより、余計にパニックを煽ることになったのだ。

25日午後になり、海軍長官であるフランクリン・ノックスは「誤報であり、攻撃もなかった」と発表したが、ヘンリー・スティムソン陸軍長官は翌26日の会見で「15機の航空機が上空で上昇と下降を繰り返していた」と報告し、陸海軍の間で見解の相違を見せた。

ジョージ・C・マーシャル陸軍参謀総長も時のルーズベルト大統領に向けて「日本軍の航空機による偵察行動があったと推測する」という報告書を提出している。

戦後になり、日本軍の記録が明らかになると調査が進められたが、当時、該当地域で作戦行動をした記録はなく、さらにアメリカ西海岸沿岸には空母すら展開していなかった。迎撃のために離陸したアメリカ陸軍航空隊のカーチスP-40で航続距離が約1,200kmの時代である。当然ながら日本軍機が太平洋を越えて飛行できる距離ではない。

以後、上記のような詳細が公開されたが、結局は飛行物体は「未確認」のまま現在にいたる。

これが今では「ロサンゼルスの戦い」と呼ばれる戦闘の内容なのだ。

最後に

当時は、地球外生命体の高性能な宇宙船という意味での「UFO」という概念自体が存在していなかった。そのため「未確認飛行物体=日本軍」という当時の結論は妥当というしかない。結局はアメリカ軍の過敏な態勢が事態を大きくしたのだが、被害者は対空砲火の破片により3人が死亡、突然の迎撃戦に驚いた市民が心臓麻痺により3人死亡している。

2011年に公開されたハリウッド映画「世界侵略 : ロサンゼルス決戦」は、この戦闘をベースに作られた宇宙からの侵略者との戦いを描いた物語である。

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