
画像 : 石を投げようとする男 illstAC cc0
投擲(とうてき:物を投げること)は、人類が持つ叡智の一つだ。
我々ホモ・サピエンスは、地上で最も知的に進化した生命体だが、その肉体的能力は他の生物に比べて著しく劣る。
本来ならば、猛獣に狩り尽くされてもおかしくない存在であった。
それでもなお生き延び、繁栄を遂げた理由の一つに、外敵へ物体を投げつけるという、卓越した投擲技能の獲得がある。
非力な人間の手から放たれる小石や棍棒は、獣に深い傷を負わせるほどの威力を持たない。
だが、思いも寄らぬ方向から物が飛来するという現象そのものが、野生動物には「不可思議な力」として恐怖を与えた。
人類はこの恐怖を武器に外敵を退け、次第に生息圏を広げていったのである。
神話や伝承の世界においても、人間をはるかに凌ぐ力で物を投げつける、怪異や妖魔の物語が数多く残されている。
今回は、そうした「投げる」怪異たちの伝説をいくつか紹介していきたい。
九州地方における伝承

画像 : シバカキ 草の実堂作成(AI)
熊本県の南関町には、「シバカキ」と呼ばれる妖怪が出没したという伝承が残っている。
民俗学者・柳田國男(1875〜1962年)の『妖怪談義』によれば、シバカキは夜道を歩く人の近くで、どこからともなく石を投げつけてくる存在であったという。
柳田はその名の由来について、「シバ」とは芝のことであり、芝を掻くような音を立てるためにこの名が付いたのだろうと記している。
この話だけを聞けば、妖怪というよりも人間の悪戯に思える。
しかし、正体が何であれ、投石は時に命を奪うことさえある危険な行為であり、まさしく道を外れた所業といえよう。
また、長崎県や佐賀県には「石投げんじょ(いしなげんじょ)」と呼ばれる類似の怪異譚が伝わる。
これも『妖怪談義』に紹介されており、五月の霧深い夜、海に出た漁師が突如、岩が崩れるような轟音を耳にするが、翌日現場を確かめても何の痕跡もないという。
人々はこの不可思議な音を、石投げんじょという妖怪が岩を放り投げて響かせるものだと恐れた。

画像 : 石投げんじょ イメージ 草の実堂作成(AI)
石投げんじょは「石投女」とも書かれ、その正体は海辺に現れる妖怪・磯女(いそおんな)ではないかとする説もある。
磯女は九州沿岸を中心に伝承される存在で、上半身は若い女の姿をしているが、腰から下は蛇あるいは魚のような姿をしていたと伝わる。
その容貌の美しさに惑わされて近づいた者は、命を落とすこともあるという。
その伝承は地域によりさまざまだが、大抵の場合、人間に危害を加える恐ろしい妖怪として語られている。
真面目な幻獣

画像 : 真面目な幻獣 草の実堂作成(AI)
1804年に刊行された随筆集『今古奇談一閑人』には、次のような奇談が記されている。
その昔、紀伊国(現在の和歌山県から三重県南西部にかけて)に、水野蘆庵と菅野静斎という二人の学者がいた。
蘆庵は眠りが浅く、静斎はよく眠る性質で、互いにそれをからかい合いながらも、親しい友であったという。
二人はやがて、世の喧騒に嫌気がさし、山中の和尚のもとに身を寄せて修学に励むこととなった。
あるとき、急用のために和尚の庵が使えなくなり、二人は山奥の小屋に一週間ほど滞在することになった。
ところが夜ごとに外から、砂や小石が投げつけられるような音が響き、蘆庵は恐れをなした。
熟睡する静斎はそれに気づかず、蘆庵ばかりが不安の夜を過ごしたという。
六日目の夜、嵐が起こり、ついには雷が小屋を直撃した。
蘆庵はすぐに逃げ出したが、寝坊した静斎は危うく命を落とすところであった。
二人が慌てて和尚のもとへ戻り、この出来事を語ると、和尚は静かに言った。
「その小屋には昔から化け狸が棲んでおる。狸は蘆庵に“眠りの尊さ”を、雷は静斎に“眠り過ぎの戒め”を説いたのじゃろう。」
この物語に登場する化け狸は、のちに漫画家・水木しげる(1922~2015年)の手で「真面目な幻獣」と命名され、無礼者に物を投げつけ反省を促す妖怪として紹介されるようになった。
投擲で屠られた巨人

画像 : ダビデvsゴリアテ この直後、ゴリアテは死ぬ public domain
投擲によって人間を害する怪物は数多いが、逆にその力で屠られた存在も少なくない。
ユダヤ・キリスト教の聖典『旧約聖書』「サムエル記」には、ゴリアテ(Goliath)という巨人が登場する。
彼はペリシテ人、すなわち古代パレスチナ沿岸に住んでいた民族の戦士で、その身の丈はおよそ2.9mに及んだと伝わる。
古代の戦場で、イスラエルとペリシテの両軍は、幾度も血を流していた。
ある日、ペリシテ軍の陣からゴリアテが進み出て、声高に叫んだ。
「我と一騎打ちをせよ。もし我に勝つなら、我ら全軍は汝らに従おう。だが敗れれば、汝らが我らの奴隷となれ。」
彼は40日にわたり挑発を続けたが、誰もその巨体に挑もうとはしなかった。
そんなとき、羊飼いのダビデという少年が、ひょんなことからイスラエル陣地へと訪れた。
ダビデはゴリアテの話を聞くと、「では私が、かの巨人を退治してご覧入れましょう」などと言い出した。
「こんな小柄な少年が、屈強な巨人を倒せるはずがない」誰もがそう思った。
だが、ダビデのスリング(投石器)から放たれた一撃は、ゴリアテの額を正確に撃ち抜き、その脳を揺らした。
ゴリアテは意識を失い、その後、首を刎ねられこの世を去った。
のちにダビデはその功績をもってイスラエルの王となり、信仰と勇気の象徴として今なお語り継がれている。
このように、人は物を投げるという単純な行為のなかに、恐怖をも操り、運命をも変える力を見いだしてきた。
それは古来、怪異や神話の領域にまで響く叡智の投擲であり、人類の歴史そのものに刻まれた行為なのである。
参考 : 『妖怪談義』『今古奇談一閑人』『旧約聖書』
文 / 草の実堂編集部
























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