人間「なくて七癖」とはよく言ったもので、完璧かつ理想的なパートナーなどというものは、この世に存在しません。
そんなことは言われなくても、我が身を省みれば判りそうなものですが、中にはどうしても理想のパートナーを諦めきれない者もいました。
どうしても理想のパートナーに巡り合いたい……その一心が奇跡をもたらしたエピソードも残されています。
今回は、ギリシャ神話に登場するキプロス島の王・ピュグマリオン(Πυγμαλίων/Pygmaliōn)がもたらした奇跡?のエピソードを見ていきましょう。
存在しないなら、自分で創る!

画像 : 理想の女性など、なかなかいないものである。理想の男性が存在しないように(イメージ)
ピュグマリオンはキプロス島を統治していたため、自ら望めば大抵の女性は迎え入れることが出来ました。
しかし、いざ膨大な選択肢を目の前にしてみると、つい欲が出てしまうものです。
例えばある女性は容姿こそいいけれど性格が悪く、別の女性は性格がいいけれど容姿は残念。また性格も容姿もまぁいいけれど家柄や親類縁者に問題あり……などという具合に、どうしても理想的な女性と巡り合うことができません。
普通の感覚を持っているなら、そこは「自分も完璧な人間ではないのだから」と妥協して、パートナーを選ぶ決断を下すものです。
だがしかし、そこで諦め切れないのがピュグマリオンという男でした。
一体どうしたらいいのだろう……考えに考えた結果、ピュグマリオンはひらめきます。
「そうだ、理想の女性がいないなら、自分で創ればいいのだ!」と。
しかし神々ならばいざ知らず、いくら権力者とは言っても単なる人間ですから、生身の人間を生み出すことなどできません。
そこでピュグマリオンは、自ら鑿(ノミ)と槌(ツチ)を手にとって、理想の女性像を彫刻し始めたのです。
創り上げた理想の女性

画像 : ところで、ピュグマリオンはどんな女性を理想としていたのだろうか(イメージ)
果たしてどれほどの月日が経ったのでしょうか。あぁでもないこうでもない……苦心と試行錯誤を繰り返し、ピュグマリオンはついに理想の女性像を彫り上げました。
……が、しょせんは彫像に過ぎません。
また彫像ですから、理想的な容姿や体形は創り出せても、性格や背景までは……いやいや、そんなものはピュグマリオンの脳内で自由に設定すればよいのです。
彼女は何も話さないし、微笑みかけてもくれないけれど、ピュグマリオンにとっては理想的な女性として世に創り出されました。
「あぁ、そなたは何と美しいのだ……」
うっとりと女性(※)を見つめるピュグマリオン。あまりにも情熱的な視線を注ぎ続けたので、きっと彼女が恥ずかしかろうと服を着せてあげることにします。優しいですね。
(※)彼女は後世の作品でガラテア(Galathée/Galatea)と名づけられますが、ギリシャ神話では名前が言及されていません。
それからというもの、ピュグマリオンはこの女性をかいがいしくお世話するようになりました。
食事を用意したり、服を着替えさせてあげたり、話しかけたり……。
「ねぇ愛しのそなた。今日はこんなことがあったんだよ」
「ねぇ愛しのそなた。明日はこんなことをしようと思うんだ」
「ねぇ愛しのそなた。今度一緒に、君とこんなことをしたいな……」
傍から見れば「彫像を相手に独り言を延々つぶやき続ける」気持ち悪い男でしかありません。しかし臣下の目や噂など、ピュグマリオンにすればどうでもいいこと。
彼にとって大切なのは、彼女と独りで語り合うこと。一刻一秒でも長く彼女と一緒にいること。
時おり「あぁ、そなたが生身の人間だであったなら、余はどんなに幸せであろうか……」などと本音を洩らすこともありますが、それでも彼女に対する愛情は真剣なものでした。
心身を病んだ挙げ句……。

画像 : ついに奇跡は起こった。アンヌ=ルイ・ジロデ=トリオゾン「ピュグマリオンとガラテア」
しかし深すぎる愛情は心身を蝕み、ピュグマリオンは女性から離れることを極度に怖がるようになってしまいます。
「殿下、政務のお時間です」
「うるさい!余と彼女を引き裂こうとする企みであろう!その手には乗らんぞ!」
「殿下、お食事が用意できました」
「うるさい!彼女が食事を摂れずに苦しんでいるのに、余だけがのうのうと飯など食えるか!」
「殿下、そろそろお休みになられては……」
「うるさい!彼女が身動き一つできず苦しんでいるのに、余だけが……!」
とまぁこんな具合。次第にピュグマリオンは衰弱し、今にも命が尽きそうになっていました。
古来「一念岩をも通す」とはよく言ったもので、ピュグマリオンの執念がどういう訳か、愛と美と豊饒を司る女神アフロディーテに届きます。
どこまでも滑稽で哀れだけれど、どこまでも真剣なピュグマリオンの思いが胸を響いたらしく、神通力をもって女性像に生命を吹き込んでやりました。
「おぉ、神よ!」
かくして女性像は生身の人間となり、ピュグマリオンは彼女を妻として正式に迎えたそうです。
え、彼女が嫌がらなかったのか、って?そりゃあなた、彼女はピュグマリオンにとって「理想の女性」ですから、相思相愛に決まっているじゃありませんか。
そして二人は、いつまでも幸せに暮らすのでした。めでたしめでたし。
ピュグマリオン伝承が後世に与えた影響

画像 : ジャン=レオン・ジェローム「ピグマリオンとガラテア」彼女の身体が生身に変わっていく瞬間を描いている public domain
以上が、理想の女性を求め続けたキプロス王ピュグマリオンのエピソードです。
これを基に18世紀の哲学者ジャン・ジャック・ルソーは戯曲「ピグマリオン」を発表。彼女にガラテアという名が与えられ、このエピソードが広く世に知られるようになりました。
他にもピュグマリオン伝承に基づく作品が多く発表されています。
・ルイジ・ケルビーニ「ピンマリオーネ」1809年(オペラ)
・フランツ・フォン・スッペ「美しきガラテア」1865年(オペレッタ)
・ウィリアム・S・ギルバート「ピグマリオンとガラテア」1871年(戯曲)
・ヴィリエ・ド・リラダン『未来のイヴ』1886年(SF小説)
・ジョージ・バーナード・ショーの「ピグマリオン」1913年(戯曲)
・和田慎二『ピグマリオ』1978〜1990年(ファンタジー漫画)
・ウィリー・ラッセル「リタの教育」1980年(舞台喜劇)
……等々。人間と非人間の愛情をテーマに、様々な作品が世に生み出されました。
現実にはあり得ないと思いますが、この広い世界では、今もどこかで様々な形の愛情が営まれているのでしょうね。
文 / 角田晶生(つのだ あきお) 校正 / 草の実堂編集部
























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