
画像 : 緑茶は日本の心である public domain
お茶は、チャノキの葉を加工した茶葉を湯で浸出し、飲料として用いるものである。
平安時代初期に中国から伝えられたとされ、当初は薬用に近い扱いを受け、主に僧侶や貴族階級の間で飲まれていた。
その後、時代を下るにつれて飲用の機会は広がり、江戸時代になると庶民の間にも浸透し、やがて日本人誰もが手軽に飲める飲み物となった。
またお茶は、神話や伝承の世界においても、不思議な力を備えた神秘的な飲み物として語られることが多い。
今回は、そうした「お茶」にまつわる摩訶不思議な伝承を紹介していく。
神農の伝説

画像 : 神農 public domain
中国の神話や伝承において、お茶の起源は神農(しんのう)という神に結び付けて語られることが多い。
神農は人類に農耕と医療を授けた存在とされ、現在でも中国では広く親しまれている神である。
神農のライフワークの一つに、野に生える雑草を片っ端から服用し、毒見をするというのがあったそうだ。
彼の胴体は半透明であり、毒が体内に入ると、内臓が真っ黒に染まるのが外からよく見えたという。
医学の発展のためとはいえ、その行いは常に命がけであり、神農は苦しみを顧みず毒見を続けたとされる。
だがある日、むやみに草を食べすぎたせいか、72種もの毒に同時に当たってしまい、さすがの彼も想像以上の苦しさに悶絶してしまう。
その際、たまたま近くに生えていた一種の草を口にすると、葉が体内を巡って毒を打ち消した。
神農はこの草を、体内を調べる草という意味を込めて「査」と名付け、後にこの名が転じて「茶」と呼ばれるようになったとも語られている。
この草の効能を頼りに、神農はさらに多くの野草を口にするようになったが、やがて査でも解毒できないほどの猛毒に当たってしまう。
黄色い花をつけた野草を食べたことが原因ともされ、腸が裂けるような苦しみの末、神農は命を落としたという。

画像 : ゲルセミウム・エレガンス wiki c Toby Y
この神農の死因となった草については、後世さまざまな説が唱えられている。
モルヒネの原料として知られるケシであったとも、あるいは「断腸草」と呼ばれる猛毒植物、ゲルセミウム・エレガンスであったともいわれる。
特に断腸草は、きわめて強い毒性を持つ植物として知られ、極めて微量の摂取でも命に関わる危険がある。
見つけても触らない、近づかない方が無難だろう。
ダルマ伝説

画像 : 達磨大師 public domain
中国のお茶にまつわる伝承として、達磨大師(だるまたいし)の逸話もよく知られている。
達磨大師は禅宗の始祖とされ、現在では縁起物として親しまれる「ダルマ」の原型となった人物である。
伝えられるところによれば、達磨大師は天竺(インド)出身の僧で、修行のため中国へ渡り、少林寺に籠もって座禅に打ち込んだという。
ある時、修行の最中に激しい睡魔に襲われた達磨大師は、修行の妨げになるとして、なんと自らのまぶたを切り取って捨ててしまった。
すると不思議なことに、そのまぶたを捨てた場所から一本の木が芽吹き、やがて茶の木へと成長したという。
試しにその葉を口にしたところ、たちまち眠気が覚め、精神も冴え渡ったため、達磨大師は以後、この葉を用いて睡魔を退けながら修行に励んだと伝えられている。
この逸話は、茶の覚醒作用を象徴的に説明する後世の起源譚の一つとして、長く語り継がれている。
お茶漬けを食べると殺される!?

画像 : お茶漬け 写真AC cc0
お茶を用いた料理として広く知られるものに、お茶漬けがある。
日本では江戸時代以降、手軽に食べられる食事として庶民の間に浸透し、日常的な一品として親しまれてきた。
しかし、この素朴な料理をめぐっては、思いがけない怪異譚も残されている。
その昔、滋賀県と三重県の境に位置する御斎峠には、ヒダル神という妖怪が出没していたという。
ヒダル神は、西日本各地で語られる空腹にまつわる妖怪で、人に取り憑いて激しい飢えを引き起こす力を持つとされる。
しかし、御斎峠に現れたヒダル神は、単に人を飢えさせるだけの存在ではなかった。
まだ朝靄が晴れない時間帯に御斎峠を通る旅人は、こぞってヒダル神に襲われたという。
ヒダル神は、餓鬼を思わせる異様に膨れ上がった腹を突き出して「茶漬けを食べたか?」と問いかけてくる。
ここで誤って「食べた」と答えてしまうと、ヒダル神は旅人を殺し、その腹を裂いて胃の中の米粒をすべて食らったと伝えられる。
峠という境界の地にふさわしい、実に陰惨で不気味な言い伝えである。

画像 : 家康とヒダル神 草の実堂作成(AI)
織田信長が明智光秀に討たれた本能寺の変の際、徳川家康(1543~1616年)は大阪の堺に滞在していた。
京都で起きた急変を知った家康は、追手が差し向けられる危険を察し、堺を離れて伊賀方面へ脱出することを決断する。
いわゆる「伊賀越え」である。
その脱出行の途上で通った経路の一つが、御斎峠であったともいわれている。
このようにお茶は、ありふれた日常の飲み物でありながら、いつの間にか神話や怪異、歴史の狭間に入り込み、記憶と想像の中で語り継がれてきたのである。
参考 : 『茶経』『日本誌』他
文 / 草の実堂編集部
























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