
画像 : デンマークとグリーンランド illustAC cc0
デンマークは、欧州でも特に社会福祉が充実した国として知られ、世界幸福度ランキングの上位常連でもある。
また、世界最大の島であるグリーンランドを領有している点でも、しばしば注目を集めてきた。
近年、このグリーンランドをめぐる米国大統領の発言が国際的な波紋を呼び、北欧世界の穏やかなイメージとは異なる側面を改めて浮かび上がらせた。
実はデンマークやグリーンランドには、人々の暮らしの影に寄り添うように、恐るべき怪異や異形の存在に関する伝承が古くから語り継がれている。
今回は、そうした北欧と極北の地に残る神話的世界を見ていきたい。
オーレ・ルゲイエの伝説

画像 : オーレ・ルゲイエ public domain
ハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805~1875年)といえば、デンマークを代表する童話作家であり、その作品は世界中で親しまれている。
彼の著作『眠りの精』には、睡眠をつかさどるオーレ・ルゲイエ(Ole Lukøje)という妖精が登場する。
この妖精は両手に傘を一本ずつ持っており、片方には楽しい絵が描かれ、もう片方には何も描かれていないそうだ。
オーレ・ルゲイエは夜になると子供の前に現れ、その目に「眠りをもたらす雫」を落とすという。
そうすることで、子供はグッスリと眠り込んでしまうとのことだ。
その後、オーレ・ルゲイエは、良い子には絵が描かれた傘を、悪い子には無地の傘を広げる。
すると、よい子は楽しい夢を見られるが、悪い子は何も夢を見られないと伝えられている。
この存在は、ドイツに伝わる「ザントマン」という妖怪をモチーフに、アンデルセンが創り上げた妖精だとされている。
グリーンランドの怪異伝承

画像 : カイ・バーケット・スミス public domain
デンマークの言語学者・民族学者であるカイ・バーケット・スミス(1893~1977年)の著作に、『エゲデスミンデ地区の民族誌および西グリーンランドの一般的文化の側面』というものがある。
そこにはグリーンランド西部に住むイヌイットたちの、さまざまな文化や伝承などが記されている。
中でも興味深いのが、セルミリク(sermilik)と呼ばれる、氷原にまつわる怪異の伝承である。
それは時に、氷に擬態する巨大なシロクマの姿で語られることもあったという。
このシロクマの体毛は非常に長く、しかもその毛全てが氷に覆われているとされる。
狩りの仕方もユニークであり、海中から四肢を突き出し流氷のように見せかけ、近づいてきた獲物を捕食するとされる。
ゆえにベテラン猟師は若い猟師に「流氷の近くでは、絶対に舟を漕ぐな」と指導するのだそうだ。

画像 : 流氷に擬態するセルミリク 草の実堂作成(AI)
また同書には、クヴドルギアルスアク(Quvdlugiarsuaq)なる、巨大な芋虫に関する記述がある。
この存在については、次のような伝承が残っている。
(意訳・要約)
その昔、グリーンランドにはアキシアク(Aqigsiaq)という英雄がいたという。
彼は熟練の猟師であり、動物のみならず、人間の手に負えないような怪物さえも、数多く狩っていた。
そんなある年の冬、彼の住む村で飢饉が起きた。
飢えに苦しむ村人たちを救うべく、アキシアクは単独で狩りに出かけることにした。
しかし獲物は一向に見つからず、さすがの彼も途方に暮れていた。何日も放浪した後、アキシアクがふと遠くを見ると、なにやら巨大な生物が蠢いているのが見えた。
それはクヴドルギアルスアクと呼ばれる、異常に巨大な芋虫であった。
とうとう見つけた獲物に、アキシアクの狩人としての血が騒いだ。芋虫はその巨体に似合わぬ俊敏さを持つ非常に危険な生物であったが、アキシアクの素早さはそれ以上であった。
芋虫の攻撃を避けてはナイフを突き立て、ついに仕留めることに成功した。
アキシアクは芋虫を持ち帰ると、村人たちは大喜びでその肉を貪り喰らったという。
芋虫の肉はあまりにも多く、冬が終わっても食べ尽くすことはできないほどだったと語り継がれている。

画像 : クヴドルギアルスアク 草の実堂作成(AI)
ちなみに、この伝承とよく似た言い伝えとして、アラスカのハンター「クチラク」による、10本の足のシロクマ退治の物語がある。
グリーンランドのイヌイットは、元々北米のアラスカから渡ってきた人々の末裔であり、神話も同様に伝播した結果、独自の脚色がなされたのだろうと考えられている。
絶対に笑ってはいけない in グリーンランド

画像 : フリチョフ・ナンセン public domain
ノルウェーの探検家フリチョフ・ナンセン(1861~1930年)が著した『Eskimoliv』にもまた、グリーンランド・イヌイットにまつわる多様な文化的様相が収録されている。
そこには聞くも語るもおぞましい、とある怪物についての伝承が残る。
死者の魂は、とある高い山を目指すという。
その山の頂に生息するとされるのが、エルドラヴェルシッソク(Erdlaversissok)という奇妙な女妖怪である。

画像 : エルドラヴェルシッソク 草の実堂作成(AI)
手には飼い葉桶(家畜のエサを入れる桶)とナイフを持っており、太鼓を鳴らしながら、自身の影と踊っているという。
この女妖怪の踊りはきわめて滑稽で、背を向ければ異様に大きな臀部が強調され、横を向くと口元が歪んで顔が不自然に引き伸ばされ、前屈みになって自らの尻に口を伸ばしたり、体を傾けては頬を腰に打ちつけたりと、見る者の感覚を揺さぶる奇怪な所作を次々と繰り広げる。
そして踊りながら、己の股間をやたらと誇示するジョークを飛ばしたり、「ヤ、ハ、ハ、ハ!」と奇声を発しながらで歌ったりするというのだ。
こんなものを見せつけられたら、誰もが不覚にも笑ってしまうことだろう。
だが笑ったその瞬間、エルドラヴェルシッソクは太鼓を投げ捨て、ナイフで襲い掛かってくるのである。
哀れにも被害者は腹を裂かれ、内臓を引きずり出される。
そしてこの醜悪な女妖怪は、その臓物を飼い葉桶に放り込んだのち、まるで飲むように貪り喰らうのだという。
このように、幸福と理性の国として知られる土地にも、人間の根源的な不安や想像力が生んだ異形の世界が、静かに息づいているのである。
参考 :『眠りの精』『Eskimoliv』『Ethnography of the Egedesminde District with Aspects of the General Culture of West Greenland』他
文 / 草の実堂編集部























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