大事な息子が他人に奪われた……そんな想いがこじれたゆえか、母親は嫁(息子の妻)に対して、複雑な感情を抱いていることも少なくないようです。
一方の嫁も嫁で、あたしゃ夫と結婚したんであって、その母親までついて来るとは……と思っているかいないか、いずれにしても微妙な感情を抱いていたりいなかったりします。
という訳で、とかく嫁と姑(および義実家)の関係というものは険悪になりやすく(例外も多々あるものの)、時には戦争状態にまでエスカレートしてしまうこともあるとか。
「「アンタはどっちの味方なの!?」」
妻と母親から板挟みにされた男(夫、息子)は往々にして戦争の趨勢を決するキーパーソンとなりがちで、その決断は今後の家庭を大きく左右することでしょう。
今回は明治時代の民俗物語集『遠野物語(とおのものがたり)』から、とある嫁姑戦争のエピソードを紹介したいと思います。
ガガはとても生かしてはおかれぬ……孫四郎の決断
今は昔、菊池弥之助(きくち やのすけ)という男がおったそうで、彼が山奥へ茸採りに行った時のこと。
いちいち村へ戻るのは面倒なので、その日は仮設小屋を建てて寝泊りしていると、深夜に女の悲鳴が聞こえたと言います。
Kotkoa – jp.freepik.com によって作成された wood 写真
「はて、こんな山奥に人などいるはずもなかろうに……」
えらく胸騒ぎがしたあくる日、村へ帰ってみると自分の妹が殺されており、殺された時刻はちょうど弥之助が悲鳴を聞いたのと同じということでした。
「……不思議なこともあるもんだ……」
さて、この妹はシングルマザーで孫四郎(まごしろう)という一人息子がいたのですが、孫四郎が嫁をとると、間もなく嫁姑戦争が始まったと言います。
嫁はたびたび家を飛び出して親元へ帰ってしまい、なかなか戻らなかったと言いますから、よほど激しい争いが繰り広げられたことでしょう。
「孫四郎や、こんな嫁は早く追い出してしまえ!」
「あなた、私お義母さんにいびられ続けて……もう限界です!」
(あぁ……もう嫌だ……)
ほとほと嫌気が差したのか、孫四郎はある日の昼ごろ、大きな草刈り鎌を納屋から取り出して、ゴシゴシと磨ぎ始めました。
「ガガ(母)はとても生かしてはおかれぬ……今日はきっと殺すべし……」
譫言(うわごと)を洩らしながら、一心不乱に鎌を磨ぐ孫四郎。その鬼気迫る様子に恐ろしくなった母親は「嫁をいじめて悪かった、もうしないから許して欲しい」などと詫びますが、一向に手を止めません。
「あなた、何も殺すことはないじゃありませんか。お義母さんもこれからはよくして下さるって言っていますし、どうか、どうか……!」
その日は具合が悪く寝ていた妻も起き出して、泣きながら止めますが、それでも孫四郎は鎌をゴシゴシ、ゴシゴシ……。
何とかここから脱出しなくては……ここで昔話「三枚のお札」よろしく「厠(かわや。トイレ)に行きたいんだけど」と言ってみたものの、孫四郎はそれを許さず、表から便器(おまる?)を持って来て
「これへせよ」
と言うばかり。絶対に生かしてここから出さない肚づもりのようで、家の戸口も窓もすべて鎖してしまいました。
滝のような血飛沫の中……
こうして夕方にもなると、母親もすっかり諦めて、囲炉裏のそばで泣くばかり。孫四郎はまだまだ鎌を磨ぎ続けて、夜もとっぷり更けたころ、ようやく磨ぎ上がった大鎌が、囲炉裏の火をギラリと照り返します。
「死ねぇ!」
孫四郎が母の左肩口を目がけて(袈裟斬りにしようと)大鎌を薙ぎつけると、その刃先は天井から吊るした火棚(ひだな。囲炉裏などの上に色々かけたり載せたりできる)に引っかかってしまいました。
「きゃー!」
この時の悲鳴が、山奥にいた弥之助に届いたということです。
「くっ、このっ!」
火棚から鎌を抜いた孫四郎は、続いて母の右肩口を斬り下ろすと、今度は命中。バッサリと斬られた傷口からは、滝のように鮮血が噴き出しました。
「どうした!」「何があった!」
母親の悲鳴が聞こえて駆けつけた村人たちは、すぐさま孫四郎を取り押さえて警察へ通報、警官に身柄を引き渡します。
「私は、私は恨んでなんかいないから……どうか、どうか孫四郎を許して下さい……」
今にも息も絶えそうな母親が、残された力を振り絞って警官にそう懇願する姿に、人々は母親の愛情を感じずにはいられなかったそうです。
が、当の孫四郎はすっかり狂気錯乱していたようで、大鎌を振り回して抵抗し、その剣幕に警官の方が追い回されてしまう一幕もあったとか。
現代のように、手錠でガッチリ固定して、抵抗すれば拳銃で射殺とはいかず、警官も樫の警棒で取り締まりに当たるような時代でした。
とにもかくにも連行されていった孫四郎でしたが、母親を殺した重罪人(昔は刑法第200条に目上の者を殺した尊属殺人という規定がありました)にもかかわらず、狂人であることを理由として無罪放免。
作者の柳田国男(やなぎだ くにお)が『遠野物語』の聞き取りをしている時点でも、普通に村で生活していたそうです。
現代(刑法第39条)でも「心神喪失者の行為は、罰しない」とありますが、自分の母親を殺すような人間と同居しなければならない妻は、いくら犯行の動機が自分のためとは言え、さぞ恐ろしかったことでしょうね。
終わりに
一〇 この男ある奥山に入り、茸を採るとて小屋を掛け宿りてありしに、深夜に遠き処にてきゃーという女の叫び声聞え胸を轟かしたることあり。里へ帰りて見れば、その同じ夜、時も同じ刻限に、自分の妹なる女その息子のために殺されてありき。
一一 この女というは母一人子一人の家なりしに、嫁と姑の仲悪しくなり、嫁はしばしば親里へ行きて帰り来ざることあり。その日は嫁は家にありて打ち臥しておりしに、昼のころになり突然と倅の言うには、ガガはとても生かしてはおかれぬ、今日はきっと殺すべしとて、大なる草刈鎌を取り出し、ごしごしと磨ぎ始めたり。その有様さらに戯言とも見えざれば、母はさまざまに事を分けて詫びたれども少しも聞かず。嫁も起き出でて泣きながら諫めたれど、露従う色もなく、やがては母が遁れ出でんとする様子あるを見て、前後の戸口をことごとく鎖したり。便用に行きたしと言えば、おのれ自ら外より便器を持ち来たりてこれへせよという。夕方にもなりしかば母もついにあきらめて、大なる囲炉裡の側にうずくまりただ泣きていたり。倅はよくよく磨ぎたる大鎌を手にして近より来たり、まず左の肩口を目がけて薙ぐようにすれば、鎌の刃先炉の上の火棚に引っ掛かりてよく斬れず。その時に母は深山の奥にて弥之助が聞き付けしようなる叫び声を立てたり。二度目には右の方より切り下げたるが、これにてもなお死に絶えずしてあるところへ、里人ら驚きて馳せ付け倅を取り抑え直ちに警察官を呼びて渡したり。警官がまだ棒を持ちてある時代のことなり。母親は男が捕えられ引き立てられて行くを見え、滝のように血の流るる中より、おのれは恨みも抱かずに死ぬるなれば、孫四郎は宥してたまわれと言う。これを聞きて心を動かさぬ者はなかりき。孫四郎は途中にてもその鎌を振り上げて巡査を追い廻しなどせしが、狂人なりとて放免せられて家に帰り、今も生きて里にあり。
※柳田国男『遠野物語』より
※ちなみに、冒頭の「この男」とは菊池弥之助を指します(その前の話にも登場)。
届くはずのない悲鳴が聞こえた不思議や、母親を惨殺してしまった男の狂気など、実に恐ろしい話ですが、何よりも恐ろしいのは、狂人であることを理由に孫四郎が無罪放免となり、普通に社会生活を送ったという事実。
その手で母親を殺した狂人が、何の罰も受けることなくその辺をウロウロしている事態を前に、村人たちは孫四郎にどう接したのでしょうか。
偏見や差別、まして村八分なんてよくないとは言いながら、いつ錯乱して人を殺すか分からない人物とは距離を置きたいと思うのは、誰しも同じことと思います。
かつて遠野の郷に、こんな出来事があった……できることなら、これが最後になって欲しいものですね。
※参考文献:
- 柳田国男『遠野物語』集英社文庫、2011年6月
この記事へのコメントはありません。