古代や戦国時代においては、武将や兵士が槍や日本刀を振るって戦場を駆け巡る…という構図が思い浮かべられるだろう。
しかしながら、両軍の兵士が個々の敵兵ではなく、線的あるいは面的に相手を制圧するうえでもっとも重要だったのが、投石と弓であった。
弓という武器は「戦場の主役」であったともいえる。
弓は、「矢をつがえて放つ」という共通の目的を持つ道具でありながら、地域によって大きくその構造が異なる。
今回は、日本で用いられたいわゆる「和弓」と、西洋の「洋弓」にはどのような違いがあるかにスポットを当てて解説してみよう。
和弓の特徴とは?
「和弓の特徴」といえば、その長さ、つまり全長を想起する人も多いだろう。
事実、同時代で見ても、また時代を問わず「弓」という道具として見ても和弓の全長はきわめて長い部類に入り、標準的なもので七尺三寸、つまり約221cmである。ちなみに鎌倉時代から江戸時代にかけての標準的な弓は七尺五寸と言われ、さらに長大であったことになる。
和弓の特徴は見た目だけではなく、引き方にも違いがある。
弓を把持するポイントは弓の下半分に位置し、「上長下短」となる。また、和弓には射撃時の特徴的な動きがあり、それは矢を放ったあとの弓が、把持する左手を軸に背中側に向かって回転する「弓返り(ゆがえり)」と呼ばれる動作で、洋弓には見られないものだ。
これは、矢を弓のどちら側につがえているかの違いであり、洋弓は弓の左側に、和弓は右側につがえている。この状態で「弓返り」が正しく起こらない場合、矢は弓と接しているために大きく右側に逸れてしまう。そのため、左手で弓を把持する際に手の甲側にテンションがかかるように把持して、矢の射出時に回転させるというのが弓返りの正体だ。
この弓返りは初心者が和弓を学ぼうとする際の技術的なハードルとなるが、その一方、後述するように「弓返り」が和弓の威力を増大させるという効果も持っている。
洋弓の特徴とは?
「洋弓」と一括りにするにはあまりにも種類は多いが、ここでは概ね、今日のオリンピック競技やその他の競技で扱われるアーチェリーを含む、リカーブボウやコンパウンドボウについて記載しよう。
和弓との対比でこれらの洋弓を見ると、まずその全長は和弓よりも短い。実際に競技で使用する際には「引き尺」(矢を引く長さ)によって異なるものの、概ね64~70インチ、つまり164~177センチ程度のものが使用される。引き尺は、和弓が耳の後ろまで引くのに対し、洋弓は広くても顎より後ろに行くことはない。
矢は先述のとおり左側につがえることから、和弓にある「弓返り」は構造上起こり得ない。弓を把持するポイントは弓の中央付近となり、持ち手の上下は概ね対称である。
ちなみに、洋弓のもうひとつの例として、イギリスで使用された「ロングボウ」が挙げられる。ロングボウはアーチェリーと基本的に構造が似ており、矢も左側につがえる。弓の長さはおおむね4から6フィート(120~160cm)と、和弓よりはかなり短いが、骨格に影響を与えるほどに強い(重い)弓であり、後に登場する最新兵器であった初期のマスケット銃よりも威力に優れていたと言われる。
和弓はアジアの中でも特殊?
「洋の東西」というように、歴史ではアジアとヨーロッパを比較する向きが強い。しかし、和弓の構造や射法はアジア諸国の中でも特殊である。
日本の武術や武器は中国や朝鮮といった大陸の影響を受けつつ進化してきたわけであるが、中国の弓は「短弓」と呼ばれる、大きくM字型に湾曲した短い弓が一般的であり、威力が低い代わりに速射性を重視している。
また、中国では戦場など多数の兵士が弓を使う場面では、短弓よりも習得が用意ですぐに兵士を戦力化できる「弩(いしゆみ・クロスボウ)」を古くから運用していた
一方、アジアの弓で和弓と数少ない共通点を持つのは、意外にもモンゴルである。
モンゴルの弓は馬上で扱うため、全長や見た目は中国の短弓に近い、「コンポジットボウ(合成弓)」と呼ばれるものであるが、矢の握り方に和弓との共通点がある。
洋弓は、矢筈(やはず、矢に弦をかける部分)を握るのではなく、人差し指から薬指で「弦」を把持するが、和弓とモンゴルの弓は、親指の根付近と人差し指の根付近で矢筈を掴む方式をとる。
このように、細かなポイントでは他国との共通点があるものの、弓本体の長大さ、把持する位置、耳の後ろまでとる引き尺、そして弓返りという動作は、世界的に見ても珍しい和弓の特徴であるといえよう。
和弓と洋弓の違いはなぜ生まれたか
矢という弾体を、より遠くへ、より大きなエネルギーを伴わせて飛ばす、という意味においては、洋弓も和弓もその目的は変わらない。
しかし、それではなぜこれほどに地域ごとに弓という道具に違いが生まれたのであろうか?
ひとつは、その地域の気候や風土が挙げられる。
日本では動物由来、つまり骨や牙などよりも植物性の素材、つまり竹や木が手に入りやすい傾向にあった。これがまず、狩猟を生業とするエリアとの弓の違いを生む。
弓の長大さについては、もともと日本には、本項で話題としている長大な「大弓」と、およそ六尺三寸の「半弓」、それ以下の短い弓も存在する。それぞれに用途や使用された時代が異なるのは言うまでもないが、こと「大弓」が今日まで受け継がれてきた理由としては、古来から弓を神聖視し、神事や儀式にも取り入れられたことから、長大なものが好まれたという説や、様々な弓の中で最も威力に優れ、戦いの主役であった武士が好んだ大弓が、今日まで残ったのだという説もある。
この他、弓で射抜くべき対象の違いにも着目するべきだろう。
日本の鎧のうち、戦国時代を含む弓矢が盛んに用いられていた時代の甲冑(具足)は、小さな金属片をうろこ状に重ねたいわゆるスケイルメイルタイプであり、ヨーロッパでは金属の輪を重ねたチェインメイルが重視された。
貫通力を増すという目的で見るときに、「より大きなエネルギーを打ち出す」か、「弾体を鋭く小さくする」かは、対象物によって異なるし、それを実現するための弓の構造や射法に違いが生まれるのもうなずける。
また、そもそも矢で相手の鎧を貫通するのではなく、多く放つ矢のどれかが相手の急所に当たれば戦果になる可能性がある、という速射を重視した短弓や、少ない訓練時間で戦いの専門ではなかった民衆を兵士として動員できる「弩」を採用した大陸の考えもまた合理的であろう。
結局、和弓と洋弓のどちらが強いの?
武器の話題で、地域により違いがあるということがわかれば、やはり気になるのは「どちらが強いか」という点だ。
しかしこれを比較するのは容易ではない。使用している武具や戦場となる地形、運用方法によっても武器の強さの評価はまったく違うものになるからだ。
しかし、あえて単純に「威力」という性能にのみ特化して比較した場合、同じドロー・ウェイト(重さ)の弓を使った試験では、テスト用の人体を模したジェルに対し、和弓のほうが洋弓よりも深く刺さったというテスト結果がある。これには、和弓の「弓返り」が影響していると分析されており、弓返りが起こる分、和弓は矢が弓に長い時間触れており、これによって射出時に加速が生み出されるのではないかとされている。
また、矢の違いもあり、和弓で用いられる矢は洋弓のそれよりも長く、かつ重いことから、洋弓よりも強い威力が生み出されるという分析もある。
なお、ここでは話題に上らない中国やモンゴルの短弓・合成弓であるが、威力や貫通力ではなく「殺傷力」という点ではこれらも和弓・洋弓に劣らない。なぜなら、速射を重視する短弓や合成弓は、しばしばその低い威力を補うために矢じりに毒が仕込まれていたからである。
おわりに
弓という道具は、相手に物を投げつけるという投槍や投石を除けば、人類が最初にたどり着いた遠隔攻撃の手段だ。
しかし、単に物を投射するだけではなく、防御された相手を効率よく殺傷するために、弓自体の構造の違い、使い方の違い、そして矢の違いがある。また、使われた地域の環境的な違いや地形の特色によっても、武器には違いが生まれる。
「どちらが強かったのか」という比較ももちろん興味をそそるだろうが、弓という道具を考えるうえで、そこに「なぜそのような違いが生まれたのか」という考察を加えることが、より深い歴史の理解を生み出すことだろう。
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うーん、我々は矢筈を掴むな!と教わりました。
矢筈を親指と人差し指の付け根で掴むと、奇麗な離れにならず、矢飛びが悪くなるためです。
また、この引き方では矢に余分な力が掛かり、これも矢飛びが悪くなる原因となります。
矢筈は人差し指外側の付け根で押さえ、親指の付け根で弦を引きます。
この時、手首を捻ることにより矢がこぼれないようにするのですが、ここに力が入るとやはり矢飛びが悪くなるため、
手首より先の力を抜き肘で引くように教わります。
硬帽子の弽の親指の付け根には、弦を掛ける為の段差が有るため、手首より先の力を抜いても引けるのです。
割と難しい技ではありますが。