中国史

今も昔も歯は大事だった 【中国で最も古い歯磨きの歴史】

どんな人でも歯が命

一昔前、テレビCMで「芸能人は歯が命」というキャッチフレーズのもと、歯磨き粉が売られていた。

歯は人の顔の部位の中でも、その人の印象をかなり左右させる。

近年日本では、コロナのせいでマスク習慣が定着してしまったが、食事などの際にマスクが外されると「あれ?印象が違うな」と感じることも多い。

【中国で最も古い歯磨きの歴史】
以前、筆者が中国に在住していた時、友人の祖母の歯のことで面白い出来事があった。

彼女は白髪混じりの美しい髪をしており、性格も温厚で服のセンスもとても良かった。
ユーモアのセンスもあり、とてもかわいらしいおばあちゃんだった。

ある時、私が「若い時はさぞかし美人さんだったんでしょうね」と話したところ、友人が大笑いしていた。その時は本人を目の前にしていたので、なぜ笑っていたのかわからなかった。
後になってこっそり尋ねてみると、友人が彼女が若い時の写真を見せてくれた。

なんと、ものすごい出っ歯だったのだ。しかし今は総入れ歯になり歯並びがキレイになっていた。そのおかげで整ったお顔だちになっていたのである。その時に私は、歯は人の顔の中でとても重要な位置を占めているのだと感じた。

そして最近筆者が台湾に在住していた時の話だ。台湾には多くのフィリピン人が外国人労働者として働いている。友人の家でお年寄りの介護をしているフィリピン人は30代半ばなのだが、奥歯がほとんどなかった。

彼女に聞くと、フィリピンでは歯の治療代がとても高いそうだ。治療するより抜歯した方が安上がりで痛みも少なくて済むという。40代、50代のフィリピン人は抜歯してしまって歯がほとんどない人が非常に多いのである。

中国で最も古い歯磨きの歴史

中国には「夜が開けた、鶏が泣いたら、顔を洗ってうがいをしよう」という言葉がある。

昔の中国人も、口の中を清潔に保つことについて関心が高かった。

では現代のような歯ブラシがなかった時代では、どのように歯を磨いていたのであろうか?

文献として残っている最も古い歯ブラシの記録は「柳の葉」である。

唐朝後期、人々は柳の葉を水の中に入れて繊維が出るまで浸し、柔らかくなったらそれを使って歯を磨いたという。

【中国で最も古い歯磨きの歴史】

画像 : 宋の時代の歯ブラシ

南宋の時代には、専門の歯ブラシを売る業者が存在し、歯ブラシを販売していた。
材質は木、動物の角、竹、動物の骨などが使われた。そして馬の尻尾がブラシ部分に使われていた。

現代の歯ブラシの走りである。

宋代になった頃には「歯磨き粉」も登場した。これは薬草を煮て作った歯磨き粉であった。

さらに歯ブラシと歯磨き粉が合体した商品も登場していたという。
香料と薬剤を製成してできた固形のものを歯ブラシの先につけたもので、繰り返し歯磨き粉をつける必要はなく、携帯にとても便利だったという。

宋代の人々は小さな袋に入れて、腰にぶら下げて旅行や仕事に持っていったのである。
これらは日用品の店で購入することができた。まるで現代人がコンビニで携帯用歯ブラシセットを買うような感じである。

では、歯磨き粉ができる前はどのように歯を磨いていたのだろうか?

一般的には塩水で磨いていたとされている。その他には濃いお茶やお酒で口をゆすぐなどしていた。お茶やお酒は抗菌作用もあり、歯周病予防にもなり、口の中を清潔に保つのに役立った。

歯は今も昔も健康に大きな影響を及ぼす。昔の人も歯を清潔に保つことに関心が高かったのである。

 

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 中国が歴史上行った残酷な処刑、拷問方法
  2. 洪武帝について調べてみた【中国最大の下克上と功臣の大粛清】
  3. 古代中国の美人メイクとは 「地雷メイク、美白、フェイクエクボが流…
  4. 楊貴妃は本当に美人だったのか? 【ワキガが酷い体質だった】
  5. 兵馬俑の最新調査について調べてみた【始皇帝の地下軍団】
  6. 清朝の『弁髪』はかなり臭かった?「漢民族は弁髪にしないと斬首刑」…
  7. ビジネスにも使える?「三十六計、逃げるにしかず」の元ネタ『兵法三…
  8. 天安門事件とはどのような事件だったのか? ② 「穏健派、趙紫陽の…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

【平安の京No.1の絶世美女】 常盤御前 ~華やかな宮廷生活から悲劇の末路へ

昔から、絶世の美女のことを「傾国の美女」などと称します。傾国の美女とは、一国の元首が、政治を疎か…

角田秀松のエピソード 「大義のため私怨を乗り越え、明治日本に力を尽くした会津藩士」

時は幕末、最後まで徳川幕府へ忠義を尽くし、薩摩藩・長州藩によって滅ぼされてしまった会津藩の悲劇は今日…

カラカウア国王について調べてみた【幻のハワイ,アジア連合】

アメリカ50番目の州であるハワイ諸島。世界で最も知られたリゾート地である。このハワイがかつて…

戦国一の子沢山?前田利家の妻・おまつ(芳春院)が生んだ子供たちを紹介【どうする家康に登場する?】

戦国時代、武家の女性に課せられた役割の一つに「子供を産むこと」が挙げられます。男児ならば世継…

人間の域を超えた知恵者~ 松平信綱の逸話 「将軍・家光、家綱を支えた知恵伊豆」

松平信綱とは松平信綱(まつだいらのぶつな)とは、江戸幕府3代将軍・家光と4代将軍・家綱を…

アーカイブ

人気記事(日間)

人気記事(週間)

人気記事(月間)

人気記事(全期間)

PAGE TOP