中国史

二千年の時を越えて生き返った兵馬俑 「一体の兵士が突然動き出した信じられない事件」

兵馬俑

二千年の時を越えて生き返った兵馬俑

画像 : 兵馬俑 public domain

秦の始皇帝を守るように、共に埋められた兵馬俑(へいばよう)は、今でも多くの歴史ファンを魅了してやまない。

中国の陝西省に位置する秦始皇帝陵は、秦の軍事力と威厳を象徴するものとして、世界中で知られている。

兵馬俑は、紀元前246年から紀元前208年にかけて造られたと推定されており、秦の軍事的栄光を守るために建設された。

兵馬俑の発見は、考古学と歴史研究にとっても画期的な出来事だった。それまでの文献や伝承による知識に基づいていた中国古代史の理解が一変し、新たな洞察がもたらされたのである。兵馬俑は、秦朝の歴史を再評価するきっかけとなり、その後の研究に大いに貢献した。

とはいえ、その謎はまだまだ解明途中で、発掘調査も進行中である。

最初は一人の農民が見つけた小さな穴をきっかけに発掘調査が進められた。一号から四号までの坑が見つかっており、その広さや深さはさまざまである。

現在に至るまで出土しているのは約8000体あまりの兵馬俑である。その一人一人は違った顔をしており、容姿も誰一人として同じものはない。まるで生きた人間のように生き生きとしており、その技術の高さに驚かされる。

実在の将兵をモデルとして作ったと考えられ、民族による身体的特徴まで再現されている。

顔立ちは鼻が高くて唇が厚い「西方顔」と、鼻が小さくて顎が細い「東方顔」の2系統を中心として、北方の遊牧民像であり秦と戦った「匈奴(きょうど)」の姿まである。

秦が各国・各民族の出身者を混在させた統一王朝であったことをうかがわせる。

また、出土した俑はすべて東を向いているが、これは秦の東にあった旧六国(燕・斉・趙・魏・韓・楚)に備えてのことだったと考えられている。中国統一後も、旧六国の国民が秦朝に対して必ずしも従順ではなかったということだ。

出土当時は、生きた人間の型を取って作ったのではないかと言わしめるほどであった。それに加えて馬や兵車なども数多く出土している。

しかし兵馬俑にはまだまだ解明されていない謎がいくつも残っている。そもそも始皇帝の墓自体は未だに見つかっていないのである。

もとはカラフルだった兵馬俑

ご存知の方も多いと思うが、兵馬俑はもともと美しい彩色が施されており、鉱石をすりつぶした顔料で着色されていた。

二千年の時を越えて生き返った兵馬俑

画像 : 彩色された兵士

2000年以上の間地下に埋まっていた兵馬俑たちは、空気に触れることなくその美しい彩色を保ち続けていた。

ところが、発掘調査によって一旦掘り起こされてしまうと、すぐに劣化が始まった。
空気に触れると約15秒で劣化が始まり、4分程度で剥がれ落ちてしまったという。

そしてその後、私たちがよく知っている灰色のハニワのように変化してしまった。

まるで、一瞬にして命が奪われて人形に変わってしまうかのようだ。これは意図されていたのかどうか、現代の私たちは知るよしもない。

生き返った兵馬俑

古代の遺跡には、呪いや不可思議な話はつきものである。

エジプトのツタンカーメン王の墓を発掘した調査チームの何人かが、謎の奇病にかかって命を落とした」などどいう話を聞いたことがある方も多いのではないだろうか。

2006年9月、兵馬俑にも一つの不思議な出来事が起きている。

その日、ある警備員がいつものように兵馬俑の警備にあたっていた。

すると、突然警報が鳴り始めたのである。

兵馬俑の展示してある場所は、体育館のように雨風がしのげる構造になっている。
発掘された修復済みの兵馬俑たちの前には柵があり、何者かがそこを超えたなら、すぐに警報が鳴るようになっているのだ。

どこぞの観光客が面白半分に柵を越えたか、不注意で触れてしまったのだろう

そう考えた警備員は、足早に現場に向かった。

ところが不思議なことに、誰も中に入った形跡がないのである。何度も何度も周りを調べたが、いつもの光景と変わったところは少しもない。

おかしいな…

警備員が怪伬な顔をして持ち場に戻ろうとした時、一人の年配の観光客女性が叫んだ。

あの兵馬俑…目が動いた気がする!

警備員は目を凝らして、たくさん並んだ兵馬俑を一体一体じっくりと見た。

全くわからない。この女性は私をからかっているのか。。。

ところが、年配の女性はある方向を指差しもういちど叫んだ。

あそこ!早く来て!生きてる!

なんと。。。兵馬俑が動き出したのである。

兵馬俑が長年の眠りから解き放たれて、現代に甦ったのだ。。

二千年の時を越えて生き返った兵馬俑

画像 : 偽兵馬俑を探せ

さて、タネ明かしをしよう。

その後、全ての警備員、そして警察までやってくる大騒ぎとなった。

なんと生き返った兵馬俑は、「兵馬俑の変装をしたドイツ人の若者」だったのである。

彼は兵馬俑を熱烈に愛する美大生で、中国で芸術を学んでいた。夢に見るまでに兵馬俑を愛し「一度でいいから兵馬俑と肩を並べたい」と願っていたのだという。

兵馬俑を愛していることから傷つける気は全くなく、兵馬俑へのリスペクトから今回の騒ぎを引き起こしたのである。

彼は兵馬俑を見学した後、自身の写真をもとに一ヶ月もの時間をかけて、兵馬俑の衣装を作り上げた。

本当に注意して見ないとわからないくらいに精巧に作られている。

中国政府はこの事件について、外国人が中国の歴史をこんなにも愛してくれていることに感謝を表すと共に、このような極端な行動は混乱をもたらす可能性があるとして二度とあってはならないと、外国人観光客に向けて注意を促している。

兵馬俑は国境を越えた世界的な宝であり、その魅力は時を超えて輝き続けている。

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草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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