中国史

始皇帝(嬴政)の出生に関する謎にせまる 【漫画キングダムから中国史を学ぼう】

画像 : 始皇帝 public domain

漫画『キングダム』を原作にした実写版映画の第3弾『キングダム 運命の炎』が、来月(7月)28日に上映予定です。

原作のストーリーは史実に基づいて展開されるため、歴史(中国史)の知識があれば、映画をもっと楽しく見ることができます。

今回の記事では、始皇帝(嬴政)の出生に関する秘密について、見ていきたいと思います。

「西帝」と名乗った昭王

嬴政の出生を理解するため、まずは昭王の時代から見ていきたいと思います。

秦による「中華統一」の兆しが見え始めたのは、昭王の時代です。漫画『キングダム』の王騎が仕えた王になります。

王位を継承した昭王はしばらくすると、自らを「西帝」と称し、東の大国である斉の王に「東帝」の号を送っています。昭王の行為が意味するところは、単に自国の頂点にいるだけに留まらず、他国よりも上のポジションを目指していたことになります。

この時点において昭王は、すでに「中華統一」を念頭に置いていたのでしょう。その前段階として、東の大国・斉と天下を二分する意図があったのかもしれません。しかし「東帝」という号を贈られた、斉の王は「中華統一」の思いなどなく、すぐに号を廃止してしまいます。これを受けて、昭王も「西帝」を名乗るのを取りやめています。

昭王の試みは上手く進みませんでしたが、王を超える「帝」を用いたことの意味は大きく、始皇帝(嬴政)が誕生する30年前に、秦はすでに「戦国時代」の先を見据えていたことになります。

秦軍の強さを支えた白起将軍

昭王の時代、秦軍の驚異的な強さは他国から恐れられていました。秦軍の強さを支えていたのは、ある将軍の存在です。連戦連勝を重ねた1人の将軍は、あまりの強さに畏怖の象徴となっていました。

その将軍は「白起」です。

白起

画像 : 白起 public domain

前298年、韓、魏を攻めた白起将軍はわずか2年足らずで、魏にある61城を占領します。前273年には、韓、魏、趙の将軍をそれぞれ捕え、前264年には韓にある5城を攻め落としました。前260年には、秦に次ぐ兵力を保持していた趙と戦い、勝利しました。

後に「長平の戦い」と呼ばれる戦争で完膚なきまでに打ち倒された趙は、このあとしばらく衰退に追い込まれます。

しかし、大勝利をおさめた「長平の戦い」のあと、白起将軍は名声を落とすことになります。40万人にのぼる趙の兵士を捕虜にした白起将軍は捕虜の食料を用意できず、また反乱を警戒したため、全員を生き埋めにして殺害したのです。

『キングダム』に登場する将軍・桓騎は、趙との戦いのなかで残虐非道な行為を繰り返していますが、そのモデルはおそらく白起将軍になるでしょう。

「長平の戦い」に勝利して勢いに乗ると、白起将軍は趙の首都・邯鄲へ攻め込もうとします。しかし秦の宰相は進軍をストップさせる指示を出しました。強すぎる白起将軍を見て、自分の地位が危ういと感じたのかもしれません。

秦の宰相は趙と和議を結んでしまったのです。

秦に不信感を抱いた白起将軍は引退を決意。このあと昭王に進軍を要請されても断り続けたそうです。すると昭王から一本の剣が届きます。その意味は「自刃せよ」ということです。当時、死刑に処せられるのは身分の低い者だけであり、階級の高い者は自ら命を絶つことが習わしでした。日本の武士による切腹と同じ考え方になります。

白起将軍の死は、秦にとって大きなダメージとなりました。中華統一に近づいていた秦の進軍が、一時停滞したほどでした。

呂不韋の登場

呂不韋 イメージ画像

秦が再び勢いを取り戻すには、漫画『キングダム』でもお馴染みの「呂不韋」の登場を待たねばなりません。

呂不韋はもともと趙の商人でした。塩や武器を売りさばき巨万の富を蓄えた呂不韋は、一世一代の投資を実行します。投資の対象は、趙で人質になっていた秦の公子・子楚です。子楚は昭王の孫にあたります。

白起将軍の進軍を止めて趙と和議を結んだことは、先ほど説明しましたが、このとき子楚の父である安国君は、自分の子供を人質として差し出しています。人質とされた時点で、子楚は安国君からの寵愛をすでに失っており、子楚が秦の王位を継承する可能性はほぼゼロでした。

大商人だった呂不韋は、この子楚に注目します。呂不韋は安国君の妻である華陽夫人に接近。「趙で人質になっている子楚は、あなた(華陽夫人)を実母のように慕っております」と吹聴したのです。

呂不韋の口車に乗せられた華陽夫人は、子楚を養子に迎え、世継ぎとすることを約束します。

こういった経緯によって昭王の死後、子楚は荘襄王として即位します。この荘襄王こそ、始皇帝(嬴政)の父にあたる人物です。

趙の役人を買収する呂不韋

子楚は趙を脱出して秦に帰還し、荘襄王になったのですが、嬴政の母である趙姫夫人と10歳の嬴政は、まだ趙にいました。その理由は、秦が和議を破って趙に攻め込んだためです。

秦の裏切りに怒った趙の王が子楚を殺害しようとしたとき、呂不韋が趙の役人を急いで買収し、子楚だけを秦に逃しています。趙姫夫人と嬴政は一緒に逃げることができず、呂不韋によって趙の富豪の家に匿われたのです。

2人が秦に戻ったのは、父である子楚が荘襄王になったあとになります。子楚が荘襄王となり、嬴政を太子(後継者)に指名したため、趙としても嬴政と趙姫夫人を秦に返さざるを得なかったのです。

イメージ画像:荘襄王(子楚)

秦の丞相となった呂不韋

漫画『キングダム』では、嬴政が命からがら趙を脱出し、秦に逃げる場面が描かれています。あのスリリングな脱出劇は、嬴政の父である子楚の脱出劇をベースにしたものでしょう。

子楚が荘襄王となったことで、呂不韋は丞相の座に就きます。一介の商人に過ぎなかった男が何の基盤も持たない秦で、いきなり高い位を与えられたのです。しかし、荘襄王は王となった3年目に崩御してしまいます。

そして、このとき13歳だった嬴政が王位を継ぐことになったのです。

参考文献:渡邉義浩『始皇帝 中華統一の思想』集英社、2019年4月

 

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村上俊樹

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“進撃”の元教員 大学院のときは、哲学を少し。その後、高校の社会科教員を10年ほど。生徒からのあだ名は“巨人”。身長が高いので。今はライターとして色々と。フリーランスでライターもしていますので、DMなどいただけると幸いです。
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