中国史

【中国三大悪女】武則天の墓を守る「首なしの61体の石像」の謎

武則天とは

武則天の墓を守る「首なしの61体の石像」の謎

画像 : 武則天 public domain

武則天は、中国の歴史において唯一の正統な女皇帝である。彼女は624年に生まれ、690年に自ら皇帝として即位した。

日本では「則天武后」という呼び名が一般的である。

武則天の生涯は波乱に満ちており、残虐な手段を使って国の当事者へと成り上がったことや、統治も賛否両論を呼ぶものだったことから、中国では呂后西太后とならんで「三大悪女」の一人ともされている。

武則天は、唐の皇帝・高宗李治の皇后として権力を握り、その後自らが皇帝となるべく様々な策略を駆使した。彼女は徹底した権力集中を図り、多くの敵対者を粛清したことから暴君とされる一方で、彼女の治世には中央集権化が進み、国家の基盤が強化されたとも評価されている。

また、武則天は文学や学問の振興にも力を入れ、科挙制度の整備を進めた。この結果、多くの有能な人材が官僚機構に登用され、国の繁栄に寄与した。仏教の保護にも力を入れ、多くの寺院や仏像が建設された。

705年、武則天は病に倒れ、翌年に退位を余儀なくされが、その存在と業績は歴史に深く刻まれている。武則天の墓である乾陵には文字のない「無字碑」が建てられ、その謎と共に彼女の伝説は今日まで語り継がれている。

今回は、そんな武則天の墓の謎について紹介したい。

武則天の墓

武則天は神龍元年11月26日(705年12月16日)に上陽宮で死去した。享年82であった。

彼女は生前の遺言通り、唐高宗李治と共に乾陵に埋葬された。

乾陵には文字のない記念碑が建てられており、この「無字碑」は特に注目を集めている。

武則天の墓を守る「首なしの61体の石像」の謎

画像 : 無字碑 By 猫猫的日记本  CC BY-SA 3.0

乾陵は現在の陝西省咸陽市北部6キロの梁山の上に位置している。

乾陵一帯には他にも多くの皇族やその家族が埋葬されているが、盗掘されることなく保存されている陵墓は少ない。

その中で乾陵は保存状態が非常に良いことで知られている。

無字碑の謎

無字碑に、なぜ文字が彫られなかったのかについては、いくつかの見解がある。

・自信の表れ:武則天は非常にプライドの高い皇帝であり、その業績は文字に頼らずとも人々に知られていると自負していた。

・功績と犠牲:彼女は自身の功績が多くの犠牲の上に成り立っていることを認識しており、そうした背景から文字で表すことをためらった。

・後世への期待:彼女は自身の評価は後世の人々が決めるべきものであり、自らの時代の評価に依存しないと考えていた。

これらの理由について真相を知るのは、武則天ただ一人である。

61体の頭部の無い石像の謎

乾陵の朱雀門の前には、61体の石像が墓を守るように立っている。

画像 : 乾陵墓前,六十一蕃臣 by赵文博 CC BY-SA 3.0

しかし、これらの石像の全ての頭部が失われていることが注目されている。

石像の背中にはそれぞれの人物の名前と略歴が刻まれているが、頭部がないのは一体どういうことなのか。

頭部が失われた理由

この謎についてもいくつかの説が存在する。

・盗賊による盗難:石像の頭部が盗賊によって持ち去られた可能性がある。

・後世の人々の行為:後世の人々が、先祖が墓の前に立たされていることに屈辱を感じ、国の尊厳を守るために頭部を持ち去った。

・地震の影響:西暦1555年に発生した大地震で全ての石像が倒れ、頭部が落ちてしまった。

現時点で最も有力な説は地震によるものだが、それでも全ての石像の頭部が失われているのはあまりにも偶然であり、奇妙なことのように思える。

頭部がすべて故意に持ち去られたと考える方が納得できるが、そうなると何らかの目的があるはずである。

頭部の発見

1974年、乾陵付近に住む農民が田畑を耕していたところ、いくつかの石頭が発見された。

それらを調査した結果、なんと乾陵の石像の頭部であることが判明した。

なぜ頭部が別の場所に埋められていたのかについても、謎が深まるばかりである。

最後に

石像の頭部が失われた理由については、はっきりとした答えは未だに不明である。頭部がすべての石像に残っていた時期が分かれば、何か手掛かりが得られるかもしれないが、現時点ではどの説も憶測の域を出ない。

武則天の墓とその周囲にまつわる謎は、歴史のロマンを掻き立てるものであり、多くの研究者や歴史愛好家の関心を集め続けている。歴史の真相を解明するための探求は、今後も続けられるであろう。

参考 : 咸陽市観光局 観光資源 陵墓

関連記事 : 【中国三大悪女】則天武后はなぜ悪女と呼ばれたのか? 「産んだばかりの子を自ら殺す」

 

アバター

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 毛沢東 〜中華統一の英雄にして最悪の独裁者
  2. 唐の皇帝が宮女を外出させたら⋯ なんと一晩で3000人が逃走!
  3. 木蘭がどんな女性だったか調べてみた【ディズニー映画「ムーラン」の…
  4. 「驚くほど寿命短めだった?」古代中国皇帝たちが短命だった理由 ※…
  5. 古代人はどうやってお尻を拭いていたのか? 【古代中国のトイレ事情…
  6. 始皇帝が追い求めた不死不老の薬~ 肉霊芝とは 【20億年前から存…
  7. 7000年前の墓で発掘された少女が物語る恐ろしい事実とは?
  8. 古代中国のトイレにまつわる話 「トイレに落ちて死んだ王様、尿瓶を…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

枕草子はなぜ生まれたのか?その誕生について調べてみた

『枕草子』と清少納言『枕草子』は平安中期、清少納言によって執筆された世界最古の随筆である。…

台湾のお年玉事情について調べてみた 「台湾のお年玉は一体いくら?」

子供のお楽しみお正月になると、子供はお年玉を楽しみにする。我が家では、両家の祖父祖母から…

ジーン・ケリー【ミュージカル映画の大スター】「雨に唄えば」のタップダンス

ジーン・ケリーとはジーン・ケリー(Gene Kelly:1912~1996)は、アメリカ…

自然の避暑地・マレーシアのキャメロンハイランド ~幻の花『ラフレシア』

マレーシアの首都『クアラルンプール』から北へ約150kmの場所に位置する「キャメロンハイランド」は、…

紫式部が嫉妬した才能? 和泉式部が詠んだ恋の和歌十首を紹介!【光る君へ】

和泉式部といふ人こそ、おもしろう書きかはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ。うちとけて文は…

アーカイブ

PAGE TOP