戦国時代

佐渡金山とは 【当時世界最大級の金山 ~上杉謙信の領土ではなかった】

佐渡金山とは

佐渡金山とは

画像 :「史跡 佐渡金山」坑道の入口 wiki c

戦国時代の最終的な天下人となり江戸幕府を開いた徳川家康

戦国時代を代表する武将がその野望の実現のために頼りにしたのが「佐渡金山(さどきんざん)」だとされている。

その昔、日本は外国から「黄金の国ジパング」と呼ばれており、佐渡以外にも幾つか金山があり、大量の金を産出していた。
佐渡金山は、関ヶ原の戦いの1年後の慶長6年(1601年)、山師3人によって金脈が見つかり開山された。

戦国時代「越後の龍」と呼ばれた上杉謙信の資金源だったという噂もあったが、これは小説の中の創作とされている。

天正17年(1589年)上杉謙信の跡を継いだ上杉景勝が佐渡を支配していた本間氏を滅ぼし、佐渡は上杉領となった。
その頃は銀の鉱脈が発見されており、豊臣秀吉に臣従した上杉景勝が佐渡の銀を秀吉に献上し、その銀は天下統一事業や朝鮮出兵「文禄・慶長の役」の資金源となっている。

慶長6年(1601年)金脈が発見され、慶長8年(1603年)に佐渡は徳川幕府の天領となり、佐渡奉行所が置かれて以来、佐渡金山は江戸幕府のとても重要な財源となったのである。

佐渡金山の詳細

佐渡金山は、「佐渡金銀山(そどきんぎんざん)」とも言われ、現在の新潟県佐渡島にある金鉱山・銀鉱山の総称である。

佐渡島には、「西三河砂金山(にしみかわさきんざん)」「鶴子銀山(つるしぎんざん)」「新穂銀山(にぼぎんざん)」「相川金銀山(あいかわきんぎんざん)」の主要な4つの鉱山の存在が確認されていて、一番古くに発見されたのは「西三河砂金山」であり、平安時代以前だという。

「新穂銀山」は戦国時代以前、「鶴子銀山」は戦国時代に発見され、最後に発見された「相川金銀山」が一番大きく、現在は国の史跡や重要文化財に指定されている。

佐渡金山または佐渡金銀山」と言えば「相川金銀山」を指す場合が多いのである。

佐渡金山とは

画像 : 相川金銀山のシンボル「道遊の割戸」wiki c Muramasa

遺跡や景観が多く残っていることで、現在では佐渡島の重要な観光の拠点となっている。

佐渡島内の鉱石は主に「銀黒(ぎんぐろ)」と呼ばれるもので、石英中に輝銀鉱及び自然金の微粒子が脈状に存在していた。

上杉謙信は佐渡金山を保有していなかった

新田次郎の小説「武田信玄」に「佐渡金山が上杉謙信の財源であった」という描写があることで良く誤解されているが、戦国時代の佐渡島は本間氏の領国で上杉氏の領国ではないので、小説の中の創作なのである。

今昔物語の中に「能登の国の鉄を掘る者、佐渡の国に行きて金を掘る」という記述があり、11世紀には少なくとも砂金等の形で、佐渡島で金が産出されていることは知られていたようだ。

天正17年(1589年)上杉謙信の跡を継いだ上杉景勝が本間氏を滅ぼし佐渡島は上杉の領有となるが、この時は大きな金脈は見つかってはおらず、銀が相当量産出されていた。
豊臣秀吉に臣従していた景勝は、この銀を秀吉に献上したため、秀吉の天下取りや朝鮮出兵の資金源として使われた。

世界最大級の金山

秀吉の死後、関ヶ原の戦いの1年後の慶長6年(1601年)3人の山師が「相川金銀山」の鉱脈を発見し、本格的な採掘が行われるようになった。

関ヶ原の戦い後、上杉氏は米沢藩に減転封となり徳川家康が江戸幕府を開いてからは、佐渡金銀山は江戸幕府の天領となり本格的な採掘が行われた。
元和から寛永年間の間が最盛期で、金が年間400kg以上産出されたという。
銀は金よりも多く採掘され、年間に1万貫(約37.5トン)も幕府に納められた。

佐渡金山は当時としては世界最大級の金山で、幕府は産出された金や銀を貨幣に鋳造した。
銀は生糸などの輸入代価として中国などに輸出され、佐渡島の銀は「セダ銀」と呼ばれた。

鉱山の労働者の給与水準は高く、周辺の町は繁栄したという。

過酷な強制労働

江戸時代後期には、江戸から無宿人(浮浪者)が約1,800人、罪人は強制連行されて過酷な労働を強いられたが、これは見せしめのためだったという。

無宿人や罪人は主に水潜人足の補充となり、その労働は極めて過酷で

佐渡の金山この世の地獄、上る梯子はみな剣

と謳われた。

江戸の無宿人や罪人は佐渡の御用を何よりも恐れ、水替人足の収容する小屋は銀山間の山奥の谷間にあり、下界との交通は遮断され逃走を防いでいたという。
小屋場では差配人や小屋頭が監督を行い、残忍さは牢獄以上と言われ、しかも期限は死ぬまでという重労働が課せられたのである。

江戸時代に産出された金や銀は幕府の貴重な財源となり、江戸幕府が260年以上も続いた大きな財源となった。

佐渡金山とは

画像 : 近代以降の坑道 wiki c amaknow

相川金銀山は明治2年から官営になり、明治22年に宮内省御料局の所属となり、明治29年に三菱鉱業株式会社(現在の三菱マテリアル)に引き継がれた。

平成元年に枯渇のため採掘が中止され、三菱マテリアルの子会社である株式会社ゴールデン佐渡に経営が引き継がれた。

現在は国の史跡「佐渡金銀山遺跡」に指定され、佐渡島の観光地となっている。

関連記事 : 石見銀山とは 【日本最大の銀山 ~戦国武将たちの壮絶な争奪戦】

 

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コメント

  1. アバター
    • 歴史大好きおじさん
    • 2022年 8月 10日

    石見銀山と金がとれる前の佐渡銀山でおいしい思いをしたのは天下人の秀吉。
    佐渡金山は家康、やっぱ天下人になりたいよね。
    でも石見銀山の大内・尼子に最終的に毛利元就って戦国時代だよね!

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