2200年前の兵馬俑、発見当時は色鮮やかだった!掘り当てた農民・楊志発

楊志発とは?

画像 : 兵馬俑を発見した農民として知られる楊志発(ヤン・ジーファ)氏。2008年撮影 CC BY 3.0

楊志発(ヤン・ジーファ)という人物をご存じだろうか

その名は中国国内では広く知られており、中国の百科事典サイト「百度百科」にも独立した項目があるほどである。

楊志発は、1974年に世界を驚かせた兵馬俑(へいばよう)の発見者のひとりとして、歴史に名を残した農民である。

画像 : 始皇帝陵兵馬俑坑1号坑 public domain

兵馬俑は公開以来、世界各国から多くの人々を惹きつけ続けており、中国を代表する観光・考古遺産となっている。

では、兵馬俑の発見劇とはどのようなものだったのだろうか。早速見ていくことにしよう。

1974年のある春の日

1974年の春、陝西省臨潼の村は、深刻な水不足に悩まされていた。

雨が長く降らず、畑の作物も枯れかけ、人々の暮らしにも危険が迫っていたのである。
そこで村人たちは話し合い、新しい井戸を掘って水を得ることを決めた。

作業には若い男性たちが総出で参加し、その中に41歳の農民・楊志発(ヤン・ジーファ)の姿もあった。

乾いた大地を相手に鍬をふるい、固い土を砕きながら、彼らは必死に穴を掘り進めていった。

画像 : 井戸掘りをする農民たち イメージ 草の実堂作成(AI)

深さ3mほどに達したとき、木炭や赤土が混じった地層が姿を現した。

普段の土とは異なるこの層に、村人たちは不思議に思いながらも掘り進めていった。

固い地層を突破してさらに掘り進めていくと、楊志発の鍬が瓦のように硬い物に当たった。
慎重に土を取り除くと、人の頭部をかたどった焼き物の破片が現れた。

最初は「古い窯跡の陶器ではないか」と思われたが、さらに掘り進めると肩や胴体、武具と思われる部分が次々と見つかった。

それは単なる陶片ではなく、二千年以上前に埋められた等身大の陶製の兵士、すなわち兵馬俑であった。

こうして地下に眠っていた秦の軍団が、二千年の時を超えて再び人類の前に姿を現したのである。

発見した当時の様子とは

画像 : 兵馬俑の彩色像(復元展示)Lindy Buckley(CC BY 2.0)

楊氏は後年、発見直後の様子をこう振り返っている。

「最初に掘り当てたのは頭部だった。壺か何かだと思ったが、そうではなかった。掘り出したばかりの頭部には黒い髪が描かれ、肌は白く、唇は赤かった。まるで生きている人間のように見えた。」

この証言から、兵馬俑が本来は鮮やかな彩色を施されていたことがうかがえる。
だがその色彩は、地上に出された途端に急速に失われていったという。

私たちが今、目にする土色の兵士たちは、二千年の眠りから呼び覚まされた後に、瞬く間にその輝きを失った姿なのである。

また、楊氏は骨董品に多少の知識があり、始皇帝陵の伝説がこの土地に伝わっていたことも知っていた。

発見場所が陵墓とされる地点からわずか2キロしか離れていないと気づき、「もしかすると」と胸を高鳴らせたという。
しかし確証はなく、自分たちだけで判断できるものではなかったため、発見した破片を専門家に託すことにした。

農民たちは掘り出した俑をリヤカー3台に積み込み、最寄りの臨潼県博物館へと運んだ。
館長は1台につき10元、計30元を村人たちに渡し、彼らはその小さな報酬に満足して村へと戻っていった。

自分たちが運んだ土色の陶片が、やがて世界を驚かせる世紀の大発見となることを、この時点で多くの村人はまだ知る由もなかった。

次々と姿を現した秦の軍団

頭部の破片に続き、胴体や武具の一部が掘り出されると、そこからは驚くべき光景が広がっていった。

幾体もの兵馬俑や埋葬品が、次々と姿を現したのである。

画像 : 兵馬俑(中国・西安)CC BY-SA 3.0 / GFDL

調査は急速に進み、わずか二ヶ月余りのうちに、出土した陶片が丹念に復元され、それが秦王朝時代の兵馬俑であることが確認された。

その功績により、のちに臨潼県は楊志発に30万元の報酬を与えた。

しかし同時に、発掘のために村人たちが土地を手放さざるを得ない事態も生じ、楊氏を恨む者もいたという。

それでも、この発見は楊氏の人生を大きく変えることになる。

画像 : クリントン大統領一家が中国・陝西省を訪れ、兵馬俑を見学する様子(1998年)public domain

1998年、アメリカのクリントン大統領が兵馬俑を視察に訪れた際、楊氏はその場で大統領と直接顔を合わせることになったのである。

干ばつに苦しみ、ただ井戸を掘っていた一農民が、やがて世界の大国の指導者と言葉を交わす日が来るとは、想像すらできなかっただろう。

楊志発のその後

兵馬俑の頭部を発見してから24年後、楊志発は兵馬俑博物館の名誉館長に就任した。

当時は字の読み書きができなかったため、何ヶ月も練習を重ね、やがて訪れる観光客に自らサインを書けるようになったという。

世界的に名高い始皇帝陵の兵馬俑の発見の背後には、一人の農民の人生と、いくつもの偶然があった。
あの年に干ばつがなければ、彼らが井戸を掘らなければ、発見はもっと遅れていたかもしれない。

兵馬俑が人々を惹きつけてやまないのは、そこに人知を超えた運命の重なりが映し出されているからだろう。

参考 :
『陝西省秦始皇兵馬俑博物館』
『Swissinfo.ch. “The man who dug a well and found an army.”』他
文 / 草の実堂編集部

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