三國志

張遼の異常な武力と合肥の戦い【正史の方が活躍していた】

正史の方が活躍している 張遼

張遼

※清代の張遼の画

三国志に於ける正史演義の記述では、人物によって活躍の度合いが違う事が多々あり、むしろ正史の方が演義よりも活躍している場合がある。

※三国志正史と演義の違いはこちらの記事を参照 → 「三国志」を記述してきた歴史家たち【正史&演義】

数ある正史と演義に書かれた内容に乖離がある人物の代表格として挙げられるのは、魏の名将として現代までその名が語り継がれている 張遼 (ちょうりょう)である。

三国志の武将の中でも人気が高い張遼は、正史でも演義でもその高い能力で後世に伝わるに相応しい活躍をしているので「正史と演義に書かれた内容に乖離がある」というのはやや語弊があるが、正史に書かれた張遼は演義以上に凄まじい活躍をしている。

今回は、正史に於ける張遼の活躍と、彼が最も輝いた合肥の戦い(がっぴのたたかい)について解説する。

張遼最大の見せ場「合肥の戦い」

合肥の戦いとは、魏と呉の国境にあたる合肥を巡る争いで、208年から253年の間に大規模な戦闘が五度に渡って行われている。

その中で最も有名なもので、張遼文遠の名を世に知らしめたのが、西暦215年に行われた二度目の大規模戦闘である。

まず、合肥の戦いが起きた背景だが、214年までに孫権は劉備との荊州を巡る争いに決着を着けており、北方を支配する曹操と対峙する環境を整えていた。

合肥の将軍たちの不仲と曹操の策

孫権は10万の大軍を率いて合肥城に攻め込むが、城を守る兵は7000人しかおらず、城を任されていた張遼、李典、楽進はそれぞれ不仲という最悪の状態だった。

寡兵に加え軍を纏める将軍達の雰囲気も最悪と不利な条件が揃い、落城も時間の問題と思われたが、曹操はそれを見越して張遼達に策を授けていた。

曹操は孫権に攻め込まれた時のための命令書を張遼達に預けており、そこには「張遼、李典は出撃、楽進は残って護軍の薛悌とともに城を守れ」とだけ記されていた。

シンプルというよりも説明不足で意図が掴めない内容だったが、張遼は「丞相(曹操)の救援が来るまで待っていては間に合わない、先に攻撃して出鼻を挫く」という曹操のメッセージの意図を読み、城を守るため不仲である李典、楽進もそれに賛同してバラバラだった三人がようやく一つに纏まる。

張遼のリアル三國無双

張遼は精兵800人とともに出撃すると陳武を討ち取り、更には徐盛を負傷させる大活躍で見事に敵を撃破する。

総大将である孫権は張遼の活躍を見て逃げ出すが、相手が800人しかいない事が分かると、自分達が大軍である事を利用して張遼を包囲する。

大軍に包囲されて絶体絶命の張遼だったが、張遼は孫権軍の包囲を自らの突撃で撃ち破って脱出する。
僅かな人数で大軍の包囲を破っただけでも奇跡だが、張遼は取り残された兵がいる事を知ると引き返し、再度包囲を破って部下を助け出す。

そして、またもや包囲を破って脱出するという離れ業をやってのけるが、それは「リアル三國無双」というべきものだった。


最近流行のライトノベルでいう「チート」というべき行動を披露した人間が1800年前にいるだけでも驚きだが、最後の方は孫権軍も張遼に恐れをなして自ら道を空けていたようで、張遼の活躍は曹操軍に勇気を、孫権軍に恐怖を存分に植え付けた。

張遼の「リアル三國無双」の大活躍により孫権軍の士気は著しく低下し、合肥城の攻略を諦めて退却する事になった。

演義の合肥の戦い

史実として描かれているが、凄すぎて逆に現実感のない張遼の活躍は残念ながら演義ではカットされており、張遼と李典が孫権を挟撃したところ、孫権は川を馬で飛び越えて逃げるという、史実ではこの後の追撃戦の名場面が先に持ち出されている。

最大の見せ場である張遼の「リアル三國無双」がカットされているため、この場面だけ見ると馬で「川を飛び越えた孫権が凄い」という印象を与え、張遼の本当の凄さは演義の読者には伝わらない。

しかし、史実と演義に共通する寡兵で孫権軍を打ち破った張遼の活躍は各地に響き渡り、張遼に強烈なトラウマを植え付けられた孫権は、張遼が病床にあっても恐れをなして彼の存命中は決して戦おうとしなかったと伝えられている。

合肥の戦いの勝者は?

魏と呉の国境争いとして長い間繰り広げられた合肥の戦いだが、いずれも明確にどちらが勝ったとは言い難い結果に終わっている。

合肥城を守る曹操軍(魏)が攻める孫権軍(呉)をいずれも撃退したという意味では確かに魏の勝利であるが、大半は大きな被害が出る前に呉軍が撤退しているため魏が大勝利を収めたという訳でもない。(張遼の活躍で孫権にトラウマを与えているが、それはあくまで一回の小競り合いに負けただけで、寡兵で守る合肥城を落とせず苦戦しているところに曹操の援軍が来たのが撤退の理由であり、張遼一人に叩きのめされたから逃げ出した訳ではない

253年に起きた五度目の戦いでは、新たに建築した合肥新城が初めて呉軍に落とされるなど呉軍の優位に進んだが、魏の張特が呉の諸葛恪に対して「100日待ってくれれば魏の法によって将兵の家族の命は助かる」とデタラメを言って呉軍を帰らせ、その隙に城の補修をしている。

騙された諸葛恪は猛攻を仕掛けるが、合肥新城が補修された事と、呉軍内部で疫病が流行ったため撤退しているが、張遼一人に叩きのめされた事を除けば呉軍が大敗らしい大敗を喫したのはこれくらいであり、何度も戦闘が行われた割には呆気なく終わっているため、合肥の戦いは「消化不良」という感が否めない。

基本的に攻城戦は守備側が有利であり、合肥の戦いに限らず攻城戦は将兵の質や戦力差に大きな差がない限り、籠城側が勝つのは歴史が証明している。

合肥の戦いは不利な状況下でも城を守りきった魏の将兵がそれだけ優秀だった事の証明でもあるが、それだけ城攻めが難しいという事も後世に伝えている。

「泣く子も黙る」の由来

張遼の活躍は呉の国民にも伝わり、孫権同様強烈な恐怖心を抱くようになっていた。

呉の子供は「遼来遼来(張遼が来るよ)」と聞くと泣き止んだという伝説が生まれ、現在も使われる「泣く子も黙る」という言葉の由来になったとされている。

三国志関連作品のベースとなる演義では語られていないため知名度は意外と高くないが、張遼の「リアル三國無双」は後世に大きな影響を残す事になった。

 

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コメント

  1. アバター
    • マジカルアイ
    • 2020年 1月 17日 1:38am

    世界で一番古い国はどこでしょうか?
    今でも王朝が続くイギリスでしょうか?
    中国4000年の歴史という言葉が
    あるくらいですから、中国でしょうか?
    実は日本です。
    日本は初代神武天皇が即位されてから、
    その血統が一度も途絶えることなくずっと
    繋がってきました。
    これを万世一系と言います。
    現在の今上天皇は第126代目です。
    天皇は国民を大御宝と呼んで、我が子のように
    大切にしてきました。
    国民は天皇を親のように慕ってきました。
    親子の愛情関係で築かれた国日本。
    今年でなんと2680年を迎えています。
    では他国と比べてどれくらい古いのでしょうか?
    世界で2番目に古い国は約1000年前に出来た
    デンマーク王国です。
    その次に古い国は約800年前に出来たイギリスです。
    ちなみに中国が今の国家として成立したのは1949年ですから、
    今で71年です。
    やはり日本は圧倒的に古い歴史を持ちます。
    では国の象徴ともいえる国歌、「君が代」とは
    どういう意味のある歌なのでしょうか・・・

    草の実堂の管理人さん始めまして。
    突然のコメント失礼します。
    「国歌からみえる本当の日本」~日本の歴史から学ぶ豊かさ~
    という動画を推進しております、
    マジカルアイと申します。
    歴史を愛する草の実堂の管理人さんならこの動画のすばらしさを
    共感して頂けるのではないかと思いまして、紹介させて頂きます。
    是非一度ご覧下さい。
    https://tasuke-i.jp/

    0
    2
  2. アバター
    • 通りすがり
    • 2020年 4月 01日 9:57pm

    正史と演義に書かれた内容に乖離がある人物の代表格は、張遼ではなく曹仁だと思いますけどね…

    張遼は演義でも良将ですが、曹仁は演義だと雑魚ですし(正史では最強クラスの名将)

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