三國志

青龍偃月刀は当時存在しなかった? 「三国時代の武器事情」

有名な武器はフィクションの存在?

青龍偃月刀は当時存在しなかった?

関羽と青龍偃月刀 wiki c Shizhao

ややマニアックな視点になるが、三国志を語る上で欠かせない存在が武器である。

三国志と戦争が切っても切れない関係であり、ゲームでもアイテムや武将の固有武器として目にする機会は多い。

筆者のように9999人オーバーの完スト状態になっても敵を殲滅するまで斬りまくる無意味な遊び方はしなくても、コーエーテクモゲームスの『三國無双』シリーズで一騎当千の気分を味わったユーザーは多いはずだ。(最強武器を入手するための特殊条件でもない限り普通にクリアする方が時間の節約になるため、完ストや殲滅にこだわるのはお勧めしない

龐統諸葛亮のように空を飛んだりビームを出したりという現実離れした攻撃を実際にやっていたと真に受けるユーザーはさすかにいないだろうが、関羽青龍偃月刀呂布方天画戟は『三國志』シリーズでも武将の武力を上げる強化アイテムとして登場するため、ゲームしか知らないファンの間でも有名だ。

ここで気になるのは1800年も昔に、「本当に関羽は青龍偃月刀とともに戦場を駆け回っていたのだろうか?」ということである。

ドラマ『三国演義』で関羽役を熱演した陸樹銘が映画『青龍偃月刀』で再度関羽を演じる事で話題になった事もあり、非常に気になる。

結論から言うと、僅かな記述しか書かれていない関羽伝に「青龍偃月刀」の名前は登場しないし、呂布伝にも「方天画戟」の四文字は見当たらない。

そう、有名武将のトレードマークというべき青龍偃月刀も方天画戟も、三国時代には存在しなかった武器なのである。

では、三国時代の武将はどのような武器を使っていたのだろうか。

今回は、演義で有名になった三国時代には存在しない武器と、三国時代の武器事情を解説する。

軍神の相棒 冷艶鋸

関羽ファンとしてのバイアスは入っているが、三国志の武器として最も有名といっても過言ではないのが青龍偃月刀である。

名前の由来となっている刃に施された青龍の装飾が特徴の青龍偃月刀だが、演義では「冷艶鋸(れいえんきょ)」と命名され、軍神の相棒として大活躍する。

冷艶鋸という名前で登場する事は少ないが、青龍偃月刀は関羽とセットで登場するためアニメやゲーム、漫画といった作品でも目にする機会が多い。(FF11こと『ファイナルファンタジー11』で武器として登場したり『一騎当千』で関羽雲長が愛刀として使用したりするなどゼロではない

例に出すと、冒頭にも書いた通り『三國志』シリーズでは関羽の固有武器として初期から所持しており、元からトップクラスの武力が更に強化されている。

『三國無双』では青龍偃月刀よりも強力なゲームオリジナルの武器として黄龍偃月刀や神龍偃月刀が登場するなど別方向に向かっている感はあるが、こちらも青龍偃月刀の知名度を広めるのに一役買っている。

偃月刀の起源と使い方

青龍偃月刀は当時存在しなかった?

偃月刀 イメージ画像

あらゆるメディアで登場するため一般的な認知度も高い青龍偃月刀だが、大元となる偃月刀(大刀)は三国時代から約500年後のの時代に生まれた。

元は歩兵が騎兵と戦うための武器として古代から存在した斬馬刃から派生したもので、馬の脚をなぎ払う事に使われた。

これは偃月刀がポピュラーな武器となっていたの時代の話になるが、戦闘で偃月刀などリーチのある武器を使う時は鎧を着た兵士よりも生身の馬を狙う方が楽であり、馬から落ちた兵士を仕留めるチームプレーが主流だった。

また、演義で青龍偃月刀は八十二斤(18~50キロと触れ幅が大きい)と常人には扱えない代物だが、演義ほど大袈裟ではないにせよ、長さ約3メートル、重さ5キロもある武器を敵味方入り乱れる戦場でゲームのように振り回す事は不可能であり、演義の関羽以外に扱える猛者は存在しなかった。

長さと重さは偃月刀と似た武器である薙刀を参考にしたため偃月刀及び青龍偃月刀の実際の重さまでは不明だが、扱いづらい事に変わりはなく、次第と戦場からフェードアウトして訓練や演武など戦闘以外の用途がメインになった。

三国時代の武器事情

ここまでは三国時代に存在しない青龍偃月刀の解説をしたが、三国時代にはどのような武器が使われていたのだろうか。

最もポピュラーな武器として挙がるのが(つるぎ)とである。

そのフォルムから剣も刀も幅広い層から人気を誇るが、剣は両刃、刀は片刃という違いがある。

これに関しては『三國無双』よりも『モンスターハンター』シリーズに登場する太刀と片手剣、大剣を見たら剣と刀の大まかな違いが掴めると思う。(双剣は色々と定義が難しいため除外した

剣も刀も紀元前から存在しており、素材も銅から鉄へと進化した訳だが、鉄で作られた武器は1800年も経てば錆びるか跡形もなく消えてしまうため、現存する資料は少ない。(日本でも三国時代のアイテムが展示されるイベントがあるが、現存する武器が希少であるという前提知識を持っていればそれがいかに貴重な機会か分かると思う

勿論、剣や刀だけで戦っていた訳ではなく、戦車に乗った兵士や騎兵が使う武器として「」や「」といった長柄武器が生まれ、三国時代には刺してよし斬ってよしの万能武器として重宝された。

冒頭で呂布の方天画戟がフィクションであると書いたが、正史で戟を使う場面は度々描かれており、戦闘状態になった劉備紀霊を仲裁するために立てた戟を射貫いて両者を停戦させたエピソードは正史にも書かれている。

ちなみに、戟も時代とともに進化しており、槍のような刃先の横に月刃と呼ばれる三日月状の刃が片方に付けられた青龍戟、双方に月刃が付いた方天戟が宋の時代に生まれた。(余談だが、同時期のヨーロッパでは似たようなコンセプトの武器としてハルバードが存在しており、武器に求めるものは東洋も西洋も同じだった

青龍偃月刀は当時存在しなかった?

一番右が方天戟。その隣が、方天戟から派生した青龍戟。中央の二つが戟。wiki c Waerloeg

気になる方天戟と方天画戟の違いだが、方天画戟が半分フィクションの存在であるため両者の違いに関する定義は曖昧であり、イラストであれグッズであれ、デザインを作る人のセンスに任されている。

武器が進化した結果

今回は青龍偃月刀を中心に三国時代の武器事情を解説したが、攻城兵器の発展や弩などの遠距離武器の進化によって白兵戦は減少し、戦闘は地味なものとなっていった。(五丈原の戦いも小規模な戦闘こそあったが両軍睨み合いを続けていただけでほとんど戦っていない

また、武器が進化するとともに鎧や甲冑などの防具も進化しており、戦争に明け暮れた三国時代は武器、防具、戦術(作戦)といった軍事面に関するあらゆるカテゴリーを大きく進化させた。

そういう意味で三国時代の後世に与えた影響は大きく、戦争を変えた分水嶺と呼ぶべき時代だった。

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