三國志

趙雲は本当に強かったのか?【三国志正史で描かれた趙雲子龍の実像】

人気ゲームの事実上の主人公 趙雲

趙雲

正定県趙雲故里にある趙雲像 wiki c Morio

三国志の入り口として人気の『三國無双』シリーズだが、実は事実上の主役が存在する。

プロデューサーのインタビュー時の隅に書かれた注釈によると、実は演義に於ける趙雲の活躍を基準に各キャラのステータスを決めているとの事で、オープニングムービーに登場したり、パッケージを飾ったりする彼の「優遇」ぶりは決して気のせいではない。

とはいえ、元から人気武将である事に加えイケメンかつ超優秀なステータスという事もあって、趙雲の主役扱いに対する不満の声は皆無であり、コーエーテクモゲームスのもう一つの看板作品である『三國志』シリーズでも、イケメングラフィックと作中最強クラスのステータスによってユーザーのお気に入りとなっている。

演義では登場する度に大活躍の趙雲だが、正史ではどのように描かれているのだろうか。

今回は、正史で描かれた趙雲の実像に迫る。

劉備との出会い

劉備玄徳

趙雲が劉備に仕える前は公孫瓚の配下だったというのは有名な話だが、正史では袁紹と戦っていた田楷の援軍として公孫瓚が劉備を派遣した時に、趙雲も同行したのが二人の出会いである。

そのまま劉備の配下となったため演義のように浪人生活を過ごした時期はないが、各地を流浪する劉備の元で特に活躍したという記述もなく、趙雲伝赤壁の戦いの前に飛ぶ。

正史で見る長坂の戦い

趙雲

趙雲(長坂の戦い)wiki c Rolf Müller

赤壁前の趙雲といえば長坂の戦い(ちょうはんのたたかい)は外せないが、これは正史にも書かれている。

曹操に敗れた劉備は、妻子を捨てて曹操軍から逃げていた。

自分の命が最優先なので、必要以上に劉備の行動を批判する事は出来ないが、劉備に捨てられた妻と子(阿斗=劉禅)を救ったのが趙雲だった。

演義では赤ん坊である阿斗を抱えながら「リアル三國無双」と呼ぶに相応しい活躍で曹操軍の包囲を抜け出すが、正史には「趙雲が阿斗と甘夫人を保護したが、劉備の娘二人は曹純に捕まった」と書いてあるだけで、趙雲の活躍に関する描写はなく、この戦いの後に牙門将軍に昇進したとだけ書かれている。

記述がシンプルなのは正史によくあるパターンであり、趙雲の活躍は三国志演義作者の羅貫中(らかんちゅう)の脚色と解釈出来るが、むしろ演義では書かれていない劉備の娘達の方が気になる。

残念ながら、劉備の娘達のその後に関しても一切書かれておらず、趙雲の最大の見せ場である長坂の戦いは、読者にとって本当に知りたい事が分からないモヤモヤ感が残る。

劉備入蜀後

趙雲

益州(えきしゅう)の位置 ※作成 草の実堂

赤壁の戦いの後、荊州を手に入れた劉備は第三勢力としての地位を確固たるものにするため、益州攻めに向かっう。

趙雲は関羽張飛諸葛亮とともに荊州に残って劉備の留守を預かっていたが、213年に関羽を残して益州へと向かう。(演義では母親危篤という偽りの手紙を受け取った孫夫人「孫尚香」が、阿斗を連れて呉に向かうところに遭遇して阿斗を救出しているが、これもフィクションである

なお、蜀攻めに関する趙雲の功績は、川を溯上するルートから江陽を攻略したとしか書かれていない。

益州平定後は翊軍将軍に就任したが、劉備の益州攻めでもやはり趙雲が目立った活躍をしたとは言いがたい。

それから再び趙雲に関する記述は途切れ、孔明の北伐まで話は飛ぶ。

227年、諸葛孔明率いる蜀軍は、魏を討つべく北伐に向かう。

その中には既に老将となっていた趙雲の姿があり、趙雲は鄧芝(とうし)と共に箕谷へと現れた曹真を攻撃する。

兵の数は趙雲とは鄧芝の軍の方が多かったが、曹真率いる魏軍は強く、箕谷の戦いは魏軍の勝利となる。

敗戦を喫した趙雲軍は撤退を余儀なくされるが、趙雲の指揮によって被害は最小限で済み、敗戦の責任によって鎮東将軍から鎮軍将軍へと降格になった。

翌229年に趙雲はこの世を去るが、息子の趙統が後を継いだ事と261年に「順平侯」の諡を与えられたとあるだけで、30年も劉備と蜀のために戦った名将の生涯の記録としては淋しすぎる。(ちなみに、蜀の人間として諡が与えられたのは12人目だが、いわゆる「五虎大将軍」のメンバーから1年遅れで与えられるなど、趙雲に対する扱いの悪さが目立つ

地味な男が人気者になった理由

趙雲

趙雲

三国志屈指の人気武将である趙雲の正史に於ける足跡を辿ると、演義でファンになった人ががっかりするほど趙雲の活躍の描写が少ない事に驚く。

趙雲がどれだけ活躍したかほとんど伝わらない趙雲伝は、これを読んでファンになる人はほとんどいないと断言出来る内容であり、今日の趙雲人気は演義から来ている事は間違いない。

物語を作る立場になって考察すると、蜀と劉備を主軸にストーリーを考えた場合、劉備を支える人間が必要になる。

そこで「都合が良い」のが、長年劉備に付き従いながらも正史で思ったほど活躍していない関羽張飛、趙雲である。

正史で活躍していないからこそフィクションを挟み放題であり、劉備の妻子を保護するという地味ながらも大きな手柄が「リアル三國無双」へと昇華するなど多くの見せ場が生まれている。

また、正史と演義で共通しているのは(北伐で敗戦を喫しているが)失敗らしい失敗がない、趙雲の「完璧超人」ぶりである。

正史の記述が乏しいとはいえ、長年劉備に仕えながら破綻なく任務を遂行し続けたのは趙雲の特筆すべき功績であり、自らの過ちによって死を招いた関羽や張飛よりも「有能」に見える。

そういう意味で、関羽や張飛よりも趙雲を高く評価するのは決して的外れではない。

武将としてランク付けをすると関羽、張飛よりワンランク下に見られがちな趙雲だが、演義では関羽や張飛に負けない活躍をしている上に、性格面でも比の打ち所のない、非常に頼れる存在になっている。

蜀には関羽と張飛がいるため、趙雲には「最強の三番手」というイメージが付いて回るが、関羽、張飛と違って長生きした上に致命的な失敗のないまま天寿を全うしている。

正史の記述が少なすぎるため最強の武将とは言えないが、死の直前まで重用された趙雲は「最も頼りになる武将」の一人として蜀で欠かせない存在だった。

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