安土桃山時代

蝙蝠(こうもり)のように飛び回った剣豪・松林蝙也斎

松林蝙也斎とは

松林蝙也斎(まつばやし へんやさい)は、徳川幕府第三代将軍・徳川家光の前で、相手の太刀の棟に飛び乗り宙を舞うなどの身軽な動きを披露して「蝙蝠(こうもり)の如し」と讃えられた剣豪である。

源義経を超える剣さばきと言われるなど様々な逸話がある「夢想願流(むそうがんりゅう)」の開祖・松林蝙也斎について調べてみた。

夢想願流

松林蝙也斎は文禄2年(1593年)上杉家の家臣である松林永常の子・松林左馬之助として信濃国海津(現在の長野県長野市)に生まれる。
別名を西村四左衛門といい、14歳の頃から剣術を志して鹿島の新当流や夢想権之助の夢想流などの諸流を学んだ。

夢想權之助勝吉

上杉家を出奔して巡国修業に出て剣術・槍術・薙刀術を学び、自らの剣術「夢想願流(むそうがんりゅう)」を編み出した。

その後、左馬之助(蝙也斎)は無雲と号して親類である関東郡代・伊奈忠治の食客となり、武蔵国足立郡赤山村(現在の埼玉県川口市)に住み剣術を指南した。

そして無雲(蝙也斎)の剣術は、世にも珍しい剣技として有名になっていくのである。

松林蝙也斎の逸話

無斎(蝙也斎)には、幾つかの逸話が残っているので紹介しておく。

源義経

源義経には「柳の葉が落ちて水面につくまでに八断する」という故事があり、それを倣って無雲が行うと「柳の葉は水に落ちる間に十一(十三という説もある)に分断された」という。

他には「小刀でハエの首を斬り落とした」「夜道で無雲を脅かそうした時に、一瞬で川向こうに跳躍すると同時に刀を刀身だけ持っていた」「15歳の頃より浅間山の天狗と修業した」などの逸話がある。

「夢想願流」には「足譚(そくたん)」と言われる相手の刀を踏み落とすという奥義があり、相手の刀の棟(刀の峰)に飛び乗って刀を蹴り落としそのまま宙を舞ったという。

川岸で立ち会った時に相手の刀の棟に飛び乗り、相手の刀を蹴り落とし、その反動で川の向こう岸まで飛び移る離れ業だったと伝えられている。

世にも珍しい武道の達人と無雲の名は評判になり、寛永20年(1643年)51歳の時、仙台藩主・伊達忠宗から世子・光宗の剣術指南役として知行300石で招かれて江戸に移った。

慶安御前試合

光宗はその2年後に亡くなるが、無雲(蝙也斎)は仙台藩に残り、仙台城の下の片平に屋敷を構え、そこに道場を開き藩士たちに剣術を教えた。

道場には多くの門下生が集まり繁盛したことから、無斎の屋敷に面した通りはそれから「道場小路」と呼ばれた。現在の東北大学正門のあたりだという。

徳川家光

慶安4年(1651年)三代将軍・徳川家光が病に倒れ、武芸好きな将軍・家光のために諸藩を代表する武芸の達人が江戸城に集められ、武芸を披露する「慶安御前試合」が開催されることになった。

60歳になった無斎も家光公の御前で「夢想願流」の奥義を披露することになる。

門人の阿部道是を相手に組太刀20番を立ち合い、名剣士としての腕前を存分に見せた後に奥義「足譚(そくたん)」を披露。
打ち込んでくる相手の刀に飛び乗り、足で相手の刀を蹴り落とした。

次にまるで天狗のように高い城の屋根に飛び移ること3回、その時に袴(はかま)の裾(すそ)はまるで小鳥の羽のように見えたという。

家光公は「身の軽きこと蝙蝠(こうもり)の如し」と、その演武を褒め沢山の褒美を与えた。

蝙蝠(こうもり)の如し」と家光公から褒められた無斎はそれから「蝙也斎(へんやさい)」と号した。

晩年

明暦元年(1655年)蝙也斎は家督を婿養子・実俊に譲り隠居したが、「夢想願流」の奥義は高弟・佐藤嘉兵衛に授けた。
蝙也斎は世襲によって「夢想願流」が形骸化するのを懸念して、門弟の中で一番腕の立つ佐藤嘉兵衛に相伝したという。

家督を継いだ実俊は勘定奉行など財政関連の要職を歴任し、松林家は召出二番坐の家格を与えられて幕末まで存続した。

蝙也斎は死の直前まで道場で毎月刀を千回素振りしながら門人に稽古をつけ、寛文7年(1677年)閏2月、75歳で死去した。

明治時代に「夢想願流」の技術は失伝するも、現在仙台に住んでいる蝙也斎の子孫のもとには蝙也斎直筆の伝書や古文書などが残っている。

おわりに

松林蝙也斎はまるで漫画やドラマの主人公のように宙を飛び回ったというが、これは伝説や作り話ではなく事実なのである。

当時の剣豪たちの多くが自分の流派を神格化するために「夢の中で開眼した」「修業中に天狗と立ち合った」「満願成就の日に開眼した」など、今では完全に誇張だろうと思われる悟りを豪語していたのも、剣で生きるためのすべとして理解ができる。

松林蝙也斎の奥義「足譚(そくたん)」は実際に将軍・徳川家光の眼の前で披露され、江戸城に来ていた多くの幕閣や剣豪たちも見ていた。

60歳の男が「向かってくる相手の刀の棟に飛び乗って、相手の刀を蹴り落とし、その反動で宙を舞う」これを見た家光公は、きっと驚いて眼を丸くしたに違いない。

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