「三国志」には様々な戦やエピソードがあるが、その中でも最もインパクトのあるものと言えば『赤壁の戦い』だろう。
これは三国志を題材にしている作品であれば必ず盛り上がる戦であり、ハリウッド映画にもなっている。
かの天才軍師・諸葛孔明が『東南の風』を呼び込むシーンは有名であるが、果たしてこれは真実なのだろうか?
正史三国志と三国志演義などの『赤壁の戦い』における『東南の風』の扱いは?
まずは正史三国志と三国志演義で、この『赤壁の戦い』における『東南の風』がどういった扱いになっているのか。
そしてコーエーのゲームにおいての扱いと、ハリウッド映画『レッドクリフ』での扱いも見ていこう。
・正史三国志:この時期はたまに東南の風が激しく吹くため、それを周瑜達がうまく利用して曹操を倒した。(呉書周瑜伝より)
・三国志演義:風向きに悩む周瑜だったが、諸葛亮が祭壇を作って祈祷すると東南の風が吹いた。
・コーエーのゲーム:諸葛亮が祭壇を作って祈祷すると東南の風が吹いた。
・レッドクリフ:諸葛亮が真夜中に風向きが変わることを予見しており、その知見を活用して火攻めした。
このようになっている。
コーエーのゲームである『三国志』と『三国無双』は、基本的に三国志演義をベースにして作られているので「諸葛亮が祈祷をしたことで風が吹く」というシナリオになっているのがほとんどだ。
実際にこれらのゲームから入った人達は、その祈祷シーンを覚えていることだろう。
ハリウッドのレッドグリフでは「その地方の気象が諸葛亮の頭に入っており、予見できた」という設定になっていた。
祭壇を作って祈祷、といった事はやっていない。
正史の三国志では、「諸葛亮が東南の風に関して何かをした」という描写は一切ないようだ。
むしろこの風については呉の人達の方が理解しており、周瑜達がうまく活用したといった形になっている。
なぜ『東南の風』を利用できたのか?
正史の記述を見る限り「諸葛亮が祈祷した」という話は、リアルではなさそうだ。
では、なぜ孫権軍と劉備軍が東南の風をうまく活用できたのかを探って行く。
これに関しては様々な説があったので、それらを一気に紹介していこう。
・諸葛亮が天文暦学に精通していたため、星の動きなどで予見できた説
・諸葛亮が易(占い)に精通していたため、東南の風が吹くことを知っていた説
・地元の漁師に「ドジョウが引っくり返ってお腹を見せるという行動を始めたら、東南の風が吹くタイミングになる」と教えてもらった説
・周瑜や黄蓋といった江南の出身・在住だった呉の武将達が、この時期特有の気候を知っていた説
大別すると諸葛亮が知っていたという説と、地元民が知っていたという説になる。
ただ、これらの説に共通していることが『何らかのや祈祷や妖術などで、無理矢理東南の風を吹かせたわけではない』ということだ。
あくまでも、「赤壁の戦をする地域の気候を知っていた」という結論になっている。
実際にこの地域の天候は、現代の気象学においても「亜熱帯モンスーン気候の地域ではあるが、暖冬の年だと長江の地形では山谷風が吹く」とされている。
そう考えるとワクワクするものがある。
諸葛亮に『東南の風』を呼ぶ力があったら無敵説
このように「東南の風」は、気象庁からもお墨付きの説となっている。
それはそれで良いのだが、「諸葛亮の祈祷によって東南の風を呼ぶ」というシーンに対しては、筆者も納得できない点があった。
それは「そんな力があるのなら、あらゆる戦場で理想的な天候や風向きにして、全戦全勝できたのでは?」というツッコミだ。
三国志演義では、劉備を主役にするために様々なフィクションが盛り込まれているが、この諸葛亮の能力をあらゆる場面で使ってしまったら物語が破綻してしまったであろう。
三国志演義の作者も、この力の乱用はしておらず、自重させている気すらする。
やはり、ちょっとやり過ぎたと思ってしまったのでないだろうか。
参考 : 正史三国志 三国志演義
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