三国志には多くの英雄が登場する。
その中には多くの女性も登場し、歴史において重要な役割を担った女性も存在する。
しかし、戦う女性の逸話となるとその数は極めて少ない。
三国時代は特に男尊女卑が強い時代であり、その中で戦う女性が登場するのは希有である。
三国時代に戦の逸話がある女性は、どれだけいるのだろうか。
女性が表立って戦う逸話は、ほとんど無い
結論として述べれば、三国時代において、女性が戦で戦果を挙げた例は極めて少ない。
正史において確認できる限り、そのような戦功が残った例は馬超との戦いで知られる『王異(おうい)』くらいである。
三国志演義においては、孟獲の妻である祝融が登場しており、彼女も戦った描写があるが、正史にはその記述が見当たらない。
さらに、ゲームで広く知られている呂布の娘である『呂玲綺』も、実際には正史においては名前すら確認できない人物である。後世の創作によって名づけられたが、彼女が目覚ましい戦果を挙げたという歴史的な事実はない。
このような事例から見ても、当時の戦争・戦闘において女性の活躍が極めて少なかったことが窺える。
他に有名な人物として挙げられるのは、関羽の娘である『関銀屏』がいるが、戦果についての記録はない。娘自体はいたようだが『関銀屏』という名前は正史に登場せず、民間伝承によって名づけられた可能性が高いのである。
このように、彼女たちはフィクションの中で活躍している存在であり、三国志の正史において戦功が確認できるのは、王異ただ一人となっている。
王異は、どんな戦果を挙げたのか?
王異は、涼州の武将で後に益州刺史となる趙昂(ちょうこう)の妻である。
正史では知謀に優れ、趙昂が立てた策略にも大きく関与し、馬超とのだまし合いを制するなど非凡の才を見せている。
まずは、王異のプロフィールから見ていこう。
●プロフィール
姓名:王異
生年:不明(三国志14では177~235年)
別名:士異、王氏
夫:趙昂
子:趙月
娘:趙英
三国志14のパラメーター:統率72、武力51、知力82、政治63、魅力72
謎の多い女性であるが、某ゲームメーカーからは高評価されていることがわかる。
次は王異が挙げたとされる戦果をまとめていこう。
主に、対馬超戦である。
① 冀城の防衛戦:馬超の攻撃に備え、夫と共に8カ月にわたり奮戦。王異は自ら弓籠手を身に着け応戦した。
② 士気の維持:包囲された際に自らの財産を使い、兵士へ褒美を与えて士気を高める。
③ 降伏に反対:涼州刺史の韋康が降伏を試みるが、王異は断固拒否。しかし、後に韋康は降伏し、馬超に殺される。
④ 馬超への策略:馬超に対抗するために馬超の妻・楊氏と仲良くなり、馬超からの信頼を築く。
⑤ 夫を奮起:息子が人質にされた際、夫である趙昂に奮起を促し、道徳的な助言を与える。
⑥ 馬超をだまし討ち:馬超を欺いて敗戦させ、冀城を奪還。
⑦ 祁山での防衛:馬超の再度の攻撃に対し、夫とともに祁山に立て籠もり奮戦。
⑧ 9つの策略:冀城が襲われてから祁山を守備するまでに、9つの策を用意して成功に導いた。
王異はこれらの功績により、三国時代に戦った女性の代表的存在となっている。
三国志に登場する女性は名前が残らない
三国時代は特に男尊女卑が強く、基本的には『○○夫人』といった呼び名で統一され、名前が残る例は非常に少なかった。
そのため、仮に戦った女性が存在していたとしても記録される可能性は低かったであろう。
しかし、王異のように明確な戦果を挙げ、その功績が正史に記録された女性も存在したのである。
参考 : 『正史 三国志』
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