光る君へ

【光る君へ】 なぜ藤原氏の紫式部が『藤原氏物語』ではなく『源氏物語』を書いたのか?

『源氏物語』誕生の謎

平安時代初期、藤原氏はライバルの源氏との政治闘争に勝利します。その勝利の要因は「関白」という天皇の代理人的地位を独占したことにありました。

詳しくは、前回の記事をご覧ください。

【光る君へ】 藤原氏の血を引く紫式部は、なぜ源氏を称える『源氏物語』を書いたのか?
https://kusanomido.com/study/history/japan/heian/hikarukimie/78505/

関白は政務の実権を握る強力なポストであり、これを支配下に置いた藤原氏は、事実上の最高権力者として君臨できるようになりました。以後、百年以上にわたって藤原氏が平安政権を牛耳る「藤原氏全盛期」が始まります。

しかし不思議なことですが、この時代に源氏を主人公とする『源氏物語』が生まれています。すでに源氏は政治的に敗北しており、本来ならば藤原氏を主人公にした作品が作られるはずです。

なぜ政治的に弱体化した源氏を主人公に据えた長編小説が作られたのでしょうか。

今回の記事では『源氏物語』が持つ謎の核心に迫りたいと思います。

源氏物語

画像:紫式部の和歌、百人一首 57番より「めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半(よは)の月かな」 public domain

藤原氏出身の紫式部が、なぜ源氏勝利の物語を?

『源氏物語』において、主人公の光源氏は架空の桐壺天皇の皇子として、源の姓を賜った設定になっています。

物語では光源氏が成長するにつれ、政治的ライバルである藤原氏(右大臣家)と激しく争い、遂に藤原氏に打ち勝って政権の座を手にする、と描かれています。

なんと作中では、源氏が藤原氏に勝利をおさめる様子が描写されているのです。

『源氏物語』が書かれた時代、現実の世界では源氏が藤原氏に敗れ、政権の座から追放されている状況であったことは前回確認しました。

しかし作者の紫式部はなぜか、政敵である源氏が勝利する様を描いています。外国なら絶対にあり得ない話であり、大きな疑問が残ります。

紫式部が興味本位で政敵の英雄譚を描くとしても、藤原氏の棟梁である藤原道長までもが『源氏物語』の執筆を応援していたことが知られています。

極めて不可解な点であると言っていいでしょう。

源氏物語

画像:『源氏物語』の執筆を支援した藤原道長 public domain

『源氏物語』の謎は『古今和歌集』にある

古今和歌集』の選者になった紀貫之ですが、その背景には不明な点が多いとの指摘があります。紀貫之自身、当時の一流和歌人という訳ではなく、なぜ抜擢されたのか説明がつかないのです。

さらに当時は、政治と文化は極めて近い関係にあり、文芸面における人事にも権力者である藤原氏の影響力が及んでいました。しかし藤原氏は選考プロセスから完全に排除されており、その点に関しても不可解な点があります。

こうした背景から、紀貫之の選出には何かしらの裏がありそうです。

紀貫之が『古今和歌集』の仮名序において「六歌仙」として、力を入れて称えている6人の歌人を見ると奇妙な点があります。

実際のところ、6人のうち評価に値する実力があるのは3人程度(僧正遍昭、在原業平、文屋康秀)で、残り3人(喜撰法師、小野小町、大友黒主)は六歌仙として相応しくないとされています。

大友黒主に関しては作品数自体が極めて少なく、百人一首といった他の和歌集にも選出されていません。明らかに六歌仙として実力不足なのです。

こうした実力と評価の乖離は明らかに不自然で、選考基準に何らかの意図があったことが伺えます。

不可解な選出の背景

源氏物語

画像:惟喬親王 public domain

政治の世界を見ると、紀氏は藤原氏との政争によって完全に追い込まれ、政界からの退場を余儀なくされていました。

しかし844年、文徳天皇との間に男子・惟喬親王(これたかしんのう)が生まれます。長男である惟喬親王が皇位を継げば、紀氏が政界に復帰できるチャンスでした。

ところが惟喬親王は藤原氏の政治工作によって即位を阻まれてしまい、紀氏再興の夢は潰えてしまいます。

そして、六歌仙に選ばれたメンバーの多くが、惟喬親王と関係の深い紀氏側の人々でした。

小野小町は日本一の美女、在原業平は日本一の美男子とされていますが、なぜそのように評価されるのか明確な理由がありません。

六歌仙に対する高い評価には事実関係の裏付けがなく、何らかの作為が働いていた可能性があります。六歌仙が選ばれた背景には、政治的な事情が関与していたと考えるのが妥当ではないでしょうか。

「六歌仙」選出の真相とは一体何なのでしょうか。

怨霊鎮魂が生んだ二大名作

897年、皇位継承の悲願を断たれた惟喬親王が死去します。その8年後、紀氏の子孫である紀貫之が『古今和歌集』の編纂を命じられます。そして紀貫之が六歌仙として選出したのは、惟喬親王と繋がりのある紀氏側の人々でした。

この流れを見ると『古今和歌集』は、怨霊鎮魂の書であることが分かります。

この百年後、藤原氏は政争で源氏を滅ぼします。紫式部による『源氏物語』にも、やはり怨霊を鎮める目的があったと言えそうです。そう考えると、藤原道長が積極的に執筆を支援した理由も分かります。

『源氏物語』も怨霊鎮魂が生んだ名作なのです。

日本史の理解には、表面的な事実関係の背後に働く「怨霊信仰」という視点が欠かせません。

怨霊信仰は政治だけではなく、芸術や文学にも大きな影響を与えており、二大名作である『古今和歌集』『源氏物語』が誕生する理由にもなっているのです。

参考文献:
梅原猛(2008)『神と怨霊』文藝春秋
井沢元彦(2013)『学校では教えてくれない日本史の授業』PHP研究所

 

村上俊樹

村上俊樹

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“進撃”の元教員 大学院のときは、哲学を少し。その後、高校の社会科教員を10年ほど。生徒からのあだ名は“巨人”。身長が高いので。今はライターとして色々と。フリーランスでライターもしていますので、DMなどいただけると幸いです。
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