『古代中国』皇后の寝所から男が消えた「恐ろしい理由」とは?

西晋は脆かった?

画像 : 晋の領土(280年頃)草の実堂作成(twha)

晋(西晋)は、魏・蜀・呉が争い続けた三国時代を終わらせ、中国を再び統一した王朝である。

265年、司馬炎(しばえん)が魏から禅譲を受けて晋を建て、280年には呉を滅ぼした。

後漢滅亡からおよそ60年、分裂と戦乱が続いた中国は、ようやく再び一つの王朝に統一されたのである。

戦乱が終わり、人々はようやく安定の時代が訪れたと信じた。

だが、その期待は早い段階で裏切られることになる。

実は晋は、成立直後から「脆い国家構造」を抱えていた。

司馬炎は、即位当初までは有能な人物だったが、統一後は急速にぜいたくと享楽に溺れ、政治への関心を失っていった。

画像 : 車に乗り後宮を巡る司馬炎 武帝後宮巡回絵 public domain

後宮には数多くの妃嬪が集められ、初代皇帝は夜ごと酒宴と女色にふけるようになった。

朝政は次第に形だけのものとなり、実際の政治は外戚や側近に任されていった。

さらに致命的だったのが、後継問題である。

皇太子に立てられた次男の司馬衷(しばちゅう)は、史書がはっきり「暗愚」とまで評した人物で、国家を統治できる器ではなかった。

司馬炎自身もそれを理解していたが、決断を先送りしたまま崩御してしまう。

こうして永熙元年(290年)、司馬衷は即位し、第2代皇帝・恵帝となった。

晋は統一を果たしながらも、無能な皇帝と歪んだ宮廷構造を抱えたまま、次の時代へと進むことになる。

その権力の空白を埋めるように現れたのが、恵帝の皇后となった賈南風(かなんぷう)であった。

皇后・賈南風とは何者だったのか

画像 : 惠帝と賈南風 public domain

賈南風(かなんぷう)は、晋建国の功臣・賈充(かじゅう)の娘として生まれた。

もともと、皇太子・司馬衷の妃には、名門の娘が迎えられるはずだった。

ところが賈南風の母・郭槐(かくかい)は、武帝・司馬炎の皇后・楊艶(ようえん)に賄賂を贈り、さらに側近たちへも周到に根回しを行った。

こうした働きかけの末、賈南風が皇太子妃に選ばれ、15歳で司馬衷に嫁ぐことになった。

史書は彼女の容姿を「短形青黒色」と記しており、決して美人ではなかったようだ。
一方で、聡明で記憶力に優れ、強い猜疑心と執念深さを備えた人物だったと伝えられている。

先に述べたように、司馬衷は判断力に著しく欠ける皇帝であった。

彼女は早い段階でそれを理解しており、その状況を恐れることも嘆くこともせず、「皇帝が決められないなら、自分が決める」という立場を選んだ。

しかし、政治と私生活を分ける発想そのものが、彼女の中には存在していなかった。

皇后の寝所で「消える」男たち

やがて晋の宮廷では、説明のつかない「消える男」が現れ始めた。

若く容姿の整った下級官吏や、宮中で雑務にあたる男たちが、ある日を境に突然姿を消すのである。

捜索も裁きも行われず、失踪は記録にすら残されなかった。

それでも、ごく稀に「戻ってきた者」が現れ、史書に書き留められた。

『晋書』に残る洛南の下級官吏の話も、その一つである。

ある小吏(しょうり : 末端の役人)が老女に声をかけられ、箱に入れられて運ばれ、目隠しをされたまま宮中の奥へ連れて行かれたという。
香湯で体を洗われ、衣を与えられ、女と数日を過ごした後、男は外へ出された。
彼が語った女の姿は、賈南風と一致していたとされる。

だが『晋書』は、こうも記している。

「時他人入者多死,惟此小吏,以后愛之,得全而出。」

意訳 : この小吏以外にも宮中へ入った者は多かったが、その多くは命を落とした。皇后に愛されたため、この男だけが生きたまま外へ出ることを許された。

『晉書』卷三十一 列傳第一 后妃上(惠賈皇后)より

つまり、この小吏は例外中の例外で、他に入った男たちのほとんどは生きて戻らなかったのである。

画像 : 賈南風と美男子イメージ 草の実堂作成(AI)

身元を悟らせずに誘い出すため、最初に声をかけるのは老嫗(老女)であった。

そして宮中へ入る段階で、宦官の手に引き渡される。

ここまで来てしまえば、誘われた男たちには「断る」という選択肢はない。一度、宮中に足を踏み入れてしまった以上、もう後戻りはできなかった。

その奥で何が起きていたのかを裁く者はいない。暗愚な皇帝は判断できず、法も及ばない。

皇后の寝所は、いつの間にか誰にも罪を問われない恐ろしい空間と化していたのである。

私室から始まった王朝の崩壊

賈南風の寝所で起きていた異常は、後宮のスキャンダルだけにとどまらなかった。

やがて同じ手法が、政治の中枢でも使われるようになる。
詔は密室で偽造され、政敵は突然誅殺された。

そして299年、司馬衷の長男で、側室の子として生まれた皇太子・司馬遹(しばいつ)が、賈南風によって謀反の罪を着せられ、太子の座を廃されてしまう。

翌300年には、司馬遹は金墉城に幽閉された末、毒殺されてしまった。

皇后の寝所だけで行われていた横暴が、国家の中枢においても常態化してしまったのだ。

画像 : 八王の乱 封国分布図 public domain

その結果として起きたのが、司馬氏の諸王が兵を向け合った内戦「八王の乱」である。

この内乱によって国力は急速に消耗し、晋は北方異民族の侵入を防ぐ力を失っていく。
やがて「永嘉の乱」を経て晋は崩壊し、約300年に及ぶ動乱の時代へと再び移り変わっていくこととなる。

誰にも裁かれない寝室の出来事は、王朝そのものを内側から壊し始めていたのである。

参考 :『晋書』列傳第一 后妃上(惠賈皇后)列傳第十五(愍懐太子・司馬遹)『資治通鑑』他
文 / 草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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