西洋史

「同性愛の秘密を握られ国家機密を売った」オーストリア将校レードルの二重スパイ事件

第一次世界大戦前夜、ヨーロッパ列強は激しい緊張状態にありました。

ドイツ、フランス、イギリス、ロシア、オーストリア=ハンガリーの主要国が、同盟関係や軍事力のバランスを巡り、複雑な駆け引きを続けていたのです。

特にバルカン半島では、セルビアやモンテネグロなど新興国家の台頭がオーストリア=ハンガリー帝国の安定を脅かしており、領土内の民族紛争や反乱の可能性も無視できない状況でした。

そのような緊張の中、オーストリア=ハンガリー参謀本部の情報部で信頼される人物が、国家機密を敵国に提供していた事実が発覚します。

彼の名はアルフレート・レードル

画像:アルフレート・レードル public domain

防諜の専門家として高く評価されていた一方、ロシア帝国の情報機関に二重スパイとして情報を提供していたのです。

この事件は、単なる一個人の裏切りではなく、帝国の防諜体制の弱点や、周辺国との国際関係に影響を与えるショッキングな事件でした。

今回は、レードルの波乱に満ちた生涯や二重スパイとしての活動、事件が明るみに出るまでの経緯、そして当時の国際情勢の裏側を紐解いていきます。

貧しき少年から軍情報局の中心へ

画像:レードルが生まれた当時のレムベルクは現在のウクライナのリヴィウにあたる。画像は現リヴィウの旧市街 wiki c Konstantin Brizhnichenko.

アルフレート・レードルは1864年3月14日、オーストリア=ハンガリー帝国領ガリツィアのレムベルクに生まれました。家庭は比較的貧しく、父親は鉄道職員でした。

しかし若い頃から知性と勤勉さを示し、陸軍に入隊して軍学校に学び、士官学校を経て将校となります。
その後ウィーンの参謀本部に関連する教育を受け、軍事的な訓練とともに情報・対諜報に関する基礎知識を身につけました。

1900年前後にはロシア担当の部署に配属され、現地の文化や言語に親しみながら、情報分析や諜報に関する技能に磨きをかけていきます。

1907年頃には、レードルは帝国軍情報局の対外スパイ対策部門で重要な役職に就き、国内外のスパイ摘発や情報収集の責任を負いました。

防諜活動の近代化にも尽力し、写真記録や指紋採取、情報整理の技術を取り入れて情報管理の効率を高めました。

こうして同僚や上官から高く評価され、帝国の情報網において重用されるようになったのです。

裏切りの動機と二重スパイとしての活動

画像:オーストリア=ハンガリー帝国の国章(1914年) public domain

しかしその期待を裏切るかのように、レードルは1900年代初頭からロシア帝国の情報機関と接触し、軍事に関するさまざまな情報を提供していました。

エリート将校として将来を嘱望されていたレードルが、なぜ国家を裏切る道を選んだのか。

その動機については複数の要因が指摘されています。

まず大きな要因の一つとされるのが、収入に見合わない浪費とそれに伴う借金でした。
レードルは高級車や邸宅を所有するなど贅沢な暮らしを好んでおり、その資金を補う手段として、ロシア側から支払われる報酬は無視できないものでした。

さらに有力な説として挙げられるのが、プライベートな秘密が恐喝に利用されたというものです。
レードルは同性愛者であったとされ、当時のオーストリア=ハンガリー帝国では刑罰の対象であり、もし発覚すれば将校として致命的でした。
ロシア側はこの事実を把握し、暴露と引き換えに協力を迫ったという見方が有力です。

いずれにせよ彼が提供した内容には、軍の暗号や通信、鉄道網の状況など最高レベルの機密が含まれていました。

当時オーストリア=ハンガリー帝国は、バルカン半島での勢力維持を最重要課題としており、ロシアと結びつくセルビアへの軍事計画を秘密裏に進めていました。

レードルが流した情報は、その作戦の核心に触れるものだったのです。

しかもレードルは防諜部門の高官であり、自ら築いたシステムを悪用して自身の不正を隠し続け、長期間疑われることなく活動を継続できたのです。

発覚の経緯と衝撃

ところが1912年、レードルは防諜部門長を退き、プラハの第8軍団参謀長へ異動します。

その後任に就いたのが、かつてレードルの下で諜報・防諜技術を学んだ「弟子」とも言えるマクシミリアン・ロンジュでした。

ロンジュが郵便検閲を強化したことで、事態は一気に動き始めます。

画像:マクシミリアン・ロンジュ public domain

1913年5月、ウィーン中央郵便局に届いた「ニコライ・ウィグ」という偽名宛の不審な郵便物が差し止められました。

中身は多額の現金であり、受取人がレードル本人であることが判明したのです。
これにより、彼の長年にわたる裏切りが白日の下にさらされました。

しかし軍部は巨大なスキャンダルが公になることを恐れ、レードルに正式な裁判の機会を与えませんでした。

1913年5月25日の夜、調査団はホテルの部屋に彼を追い詰め、一丁のピストルを残して立ち去ることで「将校としての名誉ある解決」を迫ったのです。

翌朝、レードルは自ら命を絶った状態で発見されました。

事件の残響

しかし軍部の思惑とは裏腹に、事件は新聞報道を通じて世間に知れ渡り、帝内外に大きな衝撃を与えました。

伝記文学の巨匠シュテファン・ツヴァイクは、その著書『昨日の世界』の中で、この事件を帝国の崩壊を予感させる出来事として描いています。

画像:シュテファン・ツヴァイク public domain

レードルが敵国へ提供した情報の戦略的影響は計り知れず、翌年に始まる第一次世界大戦に暗い影を落としました。

東部戦線での苦戦には多くの要因があったものの、動員計画や軍事機密が事前に漏れていたことは、帝国にとっては致命的でした。

レードル事件は戦争の号砲が鳴る前から、オーストリア=ハンガリー帝国が静かに崩れ始めていたことを示す出来事だったのです。

参考文献
『ウィーン―栄光・黄昏・亡命』/ポール・ホフマン(著) 持田 鋼一郎(訳)
『昨日の世界』<1,2>/シュテファン・ツヴァイク(著) 原田 義人(訳)
文 / 草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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