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スターリンが指導者だった頃のソ連 【1000万人の大粛清】

スターリンが指導者だった頃のソ連

※スターリンの肖像画

『スターリンはあまりに粗暴過ぎる。背信的なスターリンを指導者にしてはならない。』

この言葉はソ連を成立させた指導者レーニンが死の間際にスターリンを是が非でも指導者にさせないために遺したものである。

しかし、この願いは届かずスターリンがソ連の指導者となり、大粛清という大虐殺を起こしてしまう結果となってしまった。

そこで今回はスターリンが指導者だった頃のソ連について詳しく見ていこうと思う。

大粛清

スターリンが指導者だった頃のソ連

※スターリンを写した写真 元々スターリンの右横には人がいたが大粛清の時に消された

スターリンを語る上で大粛清は欠かせないだろう。

スターリンの性格は非常に残虐で猜疑心が強いものであり、そのため本当はスターリンに忠実でソ連のために尽くしていた人たちもスターリンの指令によって粛清されてしまった。

スターリンの粛清は1937年だけで134万人が逮捕。

そのうちの半分が死刑判決を受け、また死刑判決を受けなかった人もシベリアの強制収容所に連れられ、そこで死ぬまで強制労働させられた。

スターリンが指導者だった頃のソ連

※トゥハチェフスキー元帥 wikiより引用

しかしその大粛清が原因で一回ソ連が崩壊しかけたことがあった。ヒトラー率いるナチスドイツのバルバロッサ作戦である。

ソ連には世界的に優秀な元帥がいた。その名もトゥハチェフスキー

彼はソ連の正式軍隊である赤軍の近代化を促進。さらに縦深戦術論という戦術を確立して『赤軍の至宝』『赤いナポレオン』と呼ばれ恐れられてきた。

しかし、トゥハチェフスキーもスターリンの大粛清によって1937年に銃殺。彼が指導してきた赤軍将校も大量に粛清し赤軍は壊滅的な状況に追い込まれた。

独ソ戦

スターリンが指導者だった頃のソ連

※ジューコフ元帥 後に失脚するが、ソ連国民から英雄として讃えられた wikiより引用

ナチスドイツから見たらスターリンの赤軍大粛清は天祐としてみてもいいだろう。

ナチスドイツは1941年にバルバロッサ作戦を始め独ソ戦が始まったが、ソ連にはまともな将軍が存在しておらず、ドイツの電撃戦によって兵が死んでいくだけであった。

そのためナチスドイツは快進撃を続け、首都モスクワまであと30キロのところまで詰められてしまった。

しかしソ連は運が良かった。まだ赤軍には粛清を回避した有能な将軍がいたのである。

ソ連の赤軍は土壇場でジューコフによって再建され、ドイツの攻撃に対して粘り強い抵抗を見せた。

そしてスターリングラード包囲戦からソ連は逆転。1945年にはドイツの首都ベルリンを占領し独ソ戦はソ連の勝利で終わった。

冷戦

独ソ戦に勝利したソ連は戦後社会主義国のリーダー的存在を確立させ、アメリカと並ぶ超大国となった。

ドイツ民主共和国(東ドイツ)を始め東欧諸国を次々と社会主義国に変えていった。この様子をイギリス首相チャーチルは「シュテッティンからトリエステまで鉄のカーテンが降ろされた」と演説した。

さらにスターリンはアメリカと対抗するために核爆弾の製造に熱心だった。

1949年にはソ連初の核実験が行われ、遂にソ連はアメリカに次いでの核保有国となった。

五カ年計画

スターリンは内戦状態が続いて産業がボロボロになっていたソ連の国内産業を立ち直らせようと、これまで行われていたネップを取りやめて新たにソ連主導の中央計画経済である五カ年計画を実行した。

五カ年計画は一応ソ連の経済を立て直すことに成功したが、その裏には濡れ衣を着せられて政治犯となった人や、労働者などがタダ働き同然で働かされたという実情もあった。

さらにスターリンは集団農場を強制して300万人が飢えによって死んでいったという、悲惨な状況を引き起こしたのである。

スターリンの死とその後のソ連

※スターリンの遺体 日本にもスターリンショックという形で影響があった

スターリンは晩年になると元々あった猜疑心がより強くなり,暗殺の恐怖に怯えながら毎日を送っていた。

そのため就寝の時も寝室を毎回変えてそのことを誰にも言わなかった。さらに寝室の構造はまるで鋼の箱のような作りとなっており、扉の鍵もスターリン自身と寝室を守る警備員しか持っていなかった。しかしそれが思わぬ結果へとつながってしまう。

とある日。起床時間が過ぎてもスターリンが全然起きる気配がなかった。怪しく感じた警備員はスターリン確認しようとしたが、もし寝てた場合スターリンの逆鱗に触れることを恐れ正午を回るまで何もしなかった。実はスターリンはこの時脳卒中で倒れていたのだ。

もし、警備員が勇気を振り絞って朝に寝室に入っていたならスターリンは助かっていた可能性がある。しかしスターリンの猜疑心とこれまでの恐怖が警備員をためらわせた。つまり最後の最後でこれまでのツケがやってきたのである。

結局脳卒中で倒れてから4日後の1953年3月5日。スターリンは亡くなってしまった。

その後ソ連の主導者となったフルシチョフはスターリン批判を始め、これまで神として崇められたスターリンは一転、ただの独裁者へと変わってしまった。

各地にあったスターリンの銅像は壊され、さらにスターリンを賛美した本は発禁処分となった。

最後に

スターリンのロシア内での評価は、独ソ戦に勝利し、曲がりなりにもソ連を世界第2位の超大国にした肯定的な意見と、大粛清を行いソ連国民を大量虐殺した否定的な意見に分かれている。
その後、ソ連はスターリンの評価に対する見解に悩みながらアメリカとの冷戦に立ち向かっていくのである。

 

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草の実堂編集部 新井弘樹

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