中国史

西太后 【中国三大悪女】の贅沢すぎる暮らしっぷり

西太后とは?

西太后

西太后

西太后は清の咸豊帝の側室のひとりである。後に皇帝との間に男子を産んだ。

咸豊帝の死後その息子が皇帝に即位することになり、生母として皇太后「西太后」と呼ばれるようになった。

咸豊帝には正妻「慈安皇太后」がいて男子を産まなかったが、儒教のしきたりにより皇后であり続けた。後に彼女は「東太后」と名乗り、その対となる称号として「西太后」と呼ばれるようになったのである。

その後、西太后はクーデターを起こすなどして政治の実権を握るようになった。彼女は清朝に多く貢献したが、それ以上に国を滅亡させた悪名高い人物として知られ、中国三代悪女とも呼ばれている。

西太后は非常に派手で贅沢な生活様式が有名である。

1895年の日清戦争の敗北は西太后の費用浪費のせいだといわれている。軍事費を削ることになり、清朝は資金繰りがうまくいかなかったようである。

彼女は一体どのような生活をしていたのだろうか?そのいくつかを見てみよう。

豪華な食事

西太后

西太后の食事(イメージ)

中国人は飲食を重視する。西太后も例外ではなかった。

彼女は少食だったようだが、毎回の食事に100種類もの料理(一説のよると200種類以上とも言われている)+400種類のデザートを用意させた。
こんなに多くの料理を並べれば、テーブルは一杯になってしまう。

西太后の前から並べ始めて、一番端の料理はとても遠く手が届く距離ではなかったという。

そして一つの料理を三口しか口にしなかった。厨房は毎日500個の卵を用意しなければならなかった。しかし彼女が手をつける料理はその中の20個分程度の料理だった。

つまり料理のほとんどは「食べる」ためではなく「見る」ためのものであった。そして、その食事を毎日繰り返していたのである。

入浴

毎回の入浴で、四人の侍女が入浴の介助をした。一人は上半身を洗い、一人は下半身を洗った。

太后が座り、侍女が胸部分を半分に折ったタオルで洗い背中を洗う、この工程を6、7回繰り返す。そして洗った後、石鹸(バラの香りの宮特製の高級なもの)をタオルに擦り付けて、再度太后の体を洗った。

毎回、100枚のタオルを用意し、そのタオルは一点の汚れも許されなかった。
タオルの縁は金の糸でかがってあり、真ん中には金の龍が刺繍してあった。

入浴に使う水は清潔に保たれなければならなかった。その温度も一定に保たれなければならず、常に熱湯を継ぎ足ししなければならなかった。

タオルは一度使ったら二度と使ってはならず、その都度廃棄した。

身だしなみ

西太后は頭髪をとても大切にした。髪を整理するのに毎日1、2時間かかった。

髪をとかしている時、一本の髪も落としてはならなかった。落としてしまうと太后の怒りに触れるので必死に隠したという。万が一太后に見つかってしまった場合、処刑されてしまうからだ。

西太后の衣服は豪華絢爛なものであった。衣服の上や靴の上にも沢山の宝石が散りばめられていた。

花の模様に併せてメノウ、翡翠、サファイアなどの宝石があしらわれた。
さらに西太后は真珠を愛した。一足の靴の上に300個の真珠を使ったものもあった。

宝石や真珠を服や靴にあしらうには相当の労力と時間、技術を要する。刺繍を学ぶには三年以上の歳月が必要だった。

ところが費用や時間をかけた高価な服や靴も、3回以上は着用しなかったという。

西太后

豪華な暮らしぶり

西太后が死去した後に棺の中に敷かれた布からも、彼女の贅沢な生活を垣間見ることができる。

その底部分には大小の真珠が12604粒使用されていた。そしてその表面にも真珠2400粒が使用されていたという。

西太后は「皇室の宝石キチ◯イ」と呼ばれ、ありとあらゆる贅沢を極めた生活をした。

彼女は清朝滅亡の象徴のようなイメージとなってしまったが、仮に彼女以外の人間が権力を握ったとしても時代的に清朝は長く続かなかったであろう。

そして3代悪女の他の二人、呂后武則天はライバルだった妃を四肢切断したり残虐であったが、西太后のかつてのライバルたちは穏やかな余生を送っていたようである。

関連記事
日本三大悪女「淀殿」の壮絶な生涯【父と兄を信長に殺され、母と義理の父を秀吉に殺され、家康に滅ぼされる】
イタリアの悪女・ルクレツィア・ボルジア【天女と呼ばれた魔性の女】
北条政子の尼将軍と呼ばれた人生 「日本三大悪女」
・則天武后はなぜ悪女と呼ばれたのか?【中国三大悪女】
毛沢東はどんな人物だったのか?③ 「不倫を重ねた4人の妻たち、長男の死因」

 

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 【十二支の本当の由来とは】 干支について調べてみた
  2. 隋について調べてみた
  3. 幻の秘薬は人の排泄物だった!? ~古代中国の驚きの漢方薬とは
  4. 【古代中国の謎の像】 大立人は一体何を持っていたのか? 「三星堆…
  5. 秦の始皇帝は水洗トイレを使っていた? 【発掘された世界最古の水洗…
  6. 始皇帝と秦王朝の中国統一までについて調べてみた
  7. 古代中国では「猫」はどんな存在だったのか? 【黒猫は縁起が良かっ…
  8. 『古代中国』夫が妻を他人に貸して子を産ませていた?清代まで続いた…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

巴御前の戦いぶりは伝承どおりだったのか? 【鎌倉殿の13人】

平安時代の末期、信濃国(長野県)に、ひとりの武者がいた。勇猛に戦場を駆け、薙刀と弓で…

宦官について調べてみた【中国史の陰の主役】

中国陰の主役である宦官中国の歴史を語る上で欠かせない存在、それが 宦官 (かんがん)である。…

毛沢東はどんな人物だったのか?① 「中国共産党中央委員会主席となるまで」

毛沢東のイメージ筆者の毛沢東のイメージはあまり良いものではない。共産主義国の暴君といったとこ…

自分のドッペルゲンガーを目撃して亡くなった人々

「ドッペルゲンガー」みなさんはどんなイメージをお持ちでしょうか。テレビや小説…

誕生日石&花【11月01日~10日】

他の日はこちらから 誕生日石&花【365日】【11月1日】洞察力があり頭の回転が速い。大胆不…

アーカイブ

人気記事(日間)

人気記事(週間)

人気記事(月間)

人気記事(全期間)

PAGE TOP