【海を越えていた日本刀】古代中国詩人も愛したその魅力とは

日本が世界に誇る美術品の一つとして、日本刀を挙げる方は少なくないでしょう。

その細く鋭いシルエットに浮かぶ表情豊かな刃紋、柄頭から石突にいたるまで凝らされた精緻な拵えは、まるで刀工の息遣いが伝わってくるようです。

21世紀の令和日本でも多くのファンがいますが、千年以上も昔から日本刀は愛されてきました。

今回は、海を越えた北宋王朝の詩人・欧陽脩(おう ようしゅう。欧陽修)が詠んだ「日本刀歌」を紹介したいと思います。

欧陽脩「日本刀歌」原文と読み

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まずは、原文と読みをご紹介いたします。

昆夷道遠不復通(こんい、みちとおく、またかよわず)

世傳切玉誰能窮(よにせつぎょくをつたうるも、たれかよくきわめん)

寶刀近出日本國(ほうとうちかく、にほんこくにいずる)

越賈得之滄海東(えつこ、これをそうかいのひがしにえたり)

魚皮裝貼香木鞘(ぎょひをよそおい、こうぼくのさやにはる)

黄白閒雜鍮與銅(こうはく、ちゅうとどうにかんざつす)

百金傳入好事手(ひゃっきんにて、こうずかてにつたえいる)

佩服可以禳妖凶(はきおぶれば、もってようきょうをはらふべし)

傳聞其國居大島(つたえきく、そのくにはだいとうにてあり)

土壤沃饒風俗好(どじょうよくじょうにして、ふうぞくこのまし)

其先徐福詐秦民(そのむかし、じょふくがしんのたみをたばかり)

採藥淹留丱童老(くすりをとるとえんりゅうし、かんどうおいたり)

百工五種與之居(ひゃくこうごしゅとこれあり)

至今器玩皆精巧(いまにいたりてきがん、みなせいこう)

前朝貢獻屢往來(ぜんちょうのこうけん、しばしばおうらいし)

士人往往工詞藻(しじんおうおう、しそうにたくみなり)

徐福行時書未焚(じょふくのゆくとき、しょのいまだやかれざらば)

逸書百篇今尚存(いっしょひゃっぺん、いまなおそんす)

令嚴不許傳中國(れいきびしく、ちゅうごくにつたうるをゆるさざれば)

舉世無人識古文(よをこぞりて、こぶんしるにひとなし)

先王大典藏夷貊(せんおうがたいてんはいはくにかくれ)

蒼波浩蕩無通津(そうかい、こうとうとしてつうずるしんなし)

令人感激坐流涕(ひとをはげしくかんぜしめてりゅうていそぞろなれば)

鏽澀短刀何足云(しゅうじのたんとう、なんぞいうにたらん)

※読み回しについては諸説あります。

欧陽脩「日本刀歌」意味要約

蒼海の彼方(イメージ)

※かなり超訳なので、厳密な意味が異なる場合があります。

名刀の産地である昆吾(こんご錕鋙)までの道のりは遥か遠く、永く交易や往来が途絶えたままだ。

名刀・切玉(せつぎょく)の存在は世に知られているが、誰がその境地まで達せられるだろうか。

そんな中、幸いにも日本国の宝刀が見つかったのである。

越(浙江地方)の商人が、青い海を乗り越えて日本の名刀を買い求めた。

名刀は、香木の鞘に鮫皮を貼りつけて装飾してある。

金銀に混ざり合って輝くのは、真鍮と銅である。

名刀は、百金(大金のたとえ)の高値で好事家の手に収まった。

その名刀には、身に帯びることで、妖怪や凶運を祓える力がある。

伝え聞くと、日本国は大きな島だそうな。

土地は肥沃で、人々は親切で礼儀正しいという。

かつて徐福(じょ ふく)が秦の始皇帝を欺き、東の海へと旅立った。

不老不死の薬草を採ってくると言いながら時は流れ、少年は年老いてしまう。

その際、日本国へ技術と五穀の作物がもたらされたのである。

だから今でも日本国の道具はみな精巧な造りとなっている。

日本からはしばしば朝貢の船が往来している。

日本の知識層は、詩歌に巧みである者が多い。

徐福が旅立つ前は、まだ焚書坑儒が行われていなかった。

そのため、日本には大陸で失われた貴重な書物が百篇ほど今も残されている。

日本の天子はそれらの書物を厳しく管理し、大陸へ伝えることを許さない。

だから大陸では、みな古い文字を知ることができなくなった。

古の帝王が遺した貴重な書物が、蛮族の元に収められていようとは。

大陸と日本国の間には青い海が広がり、渡航する手段はない。

その現実に、人はただ涙を流すばかり。

錆びついた短刀であっても、日本への思いがあふれて涙がとまらないのだ。

欧陽脩「日本刀歌」まとめ

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今回は北宋の詩人・欧陽脩の「日本刀歌」を紹介しました。

最初は「宝刀をゲットしました!」という喜びから、その詳細を解説していたのに、後半はほとんど「古代の書物が失われてしまった」という嘆きに変わっています。

寶刀近出日本國

越賈得之滄海東

魚皮裝貼香木鞘

黄白閒雜鍮與銅

百金傳入好事手

佩服可以禳妖凶

……純粋に日本刀そのものを詠んでいるのは、ここだけですね。

この美しく芸術的な日本刀は、かつて徐福が伝えた技術によって造られたものである。よって日本刀は我が大陸文化の産物であると言わんばかりです。

さすがの中華思想と言うべきでしょうか。

すべての大陸人がそうではないと思いますが、他の日本文化についても、そう思っていそうな気がしなくはありませんね。

欧陽脩プロフィール

画像 :『晩笑堂竹荘畫傳』より、欧陽脩 Public Domain

景徳4年(1007年)生~煕寧5年(1072年)没

姓は欧陽、諱は脩。字は永叔(えいしゅく)。北宋王朝の人。政治家・詩人・作家。酔翁(すいおう)または六一居士(ろくいつこじ)と号する。後に唐宋八大家に一人と称された。死後の諡(おくりな)は文忠。

参考:
・川合康三『新編 中国名詩選 下』岩波文庫、2015年3月
文 / 角田晶生(つのだ あきお) 校正 / 草の実堂編集部

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角田晶生(つのだ あきお)

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