古代中国の死生観と墓の意味
古代の人々にとって、「死」は終わりではなかった。
特に中国では、死後の世界は現世よりも永遠で重要な場所とされ、そこでも生活が続くと考えられていた。
あの世でも不自由なく暮らせるよう、衣食住に必要な品々が墓に納められた。

画像 : 始皇帝陵兵馬俑坑1号坑 public domain
この考え方は、社会の上層になるほど顕著だった。
王や貴族の墓は、地上の宮殿にも匹敵するほど壮麗につくられ、宝物や生活道具、時には使用人や動物までもが副葬された。
それは単なる見せびらかしではなく、「死者に仕える」という一種の宗教的行為であり、家族や国家が死者を敬う証でもあった。
副葬品の一つひとつは、故人の地位や暮らしぶりを示すと同時に、当時の流行や価値観、技術力までもを今に伝えてくれる。
こうした理由から、古墓の発掘は歴史研究にとって重要な手がかりとなっている。
始皇帝の祖母・夏太后とその巨大陵墓

画像 : 始皇帝 public domain
紀元前3世紀、戦国時代の末期。後に中国を初めて統一する始皇帝の祖母にあたる女性がいた。
史書では「夏姬(かき)」と記されている。
彼女は秦の太子・安国君(後の孝文王)の側室であり、異人(後の荘襄王)を産んだが、母子ともに宮廷内では寵愛を受けていなかった。
やがて異人は趙へ人質として送られ、夏姬も宮中で孤立した存在となっていた。
しかし、正室の華陽夫人に子がなかったため、異人は彼女の養子として迎えられ、後に呂不韋の支援によって秦へ帰国。
安国君の死後、異人は王位を継ぎ、荘襄王として即位した。
これにより、夏姬は「夏太后」として正式に尊崇され、王の生母として王族内での立場を確立したのである。
2006年、陝西省西安市南郊の神禾塬(しんかげん)で巨大な墓が発見され、彼女のものである可能性が高いとされている。

画像 : 神禾塬にある夏太后陵の全景 ※陝西省考古研究院
墓域の面積はおよそ260畝(約17万平方メートル)に及び、南北550メートル、東西310メートルという規模は、中国で発掘された戦国期の王族墓として最大級である。
墓室は四条の墓道を持ち、王侯にのみ許された「天子駕六(六頭の馬が引く御車)」が副葬されていた。

画像 : 「天子駕六」とされる馬匹の遺骸 ※陝西省考古研究院
だがこの墓もまた、歴史の荒波から逃れられなかった。
内部には17ヶ所以上の盗掘痕が見つかり、棺は焼き払われ、壁面には高熱の痕跡が残されていた。
それでも金銀器、玉器、青銅器など300点を超える副葬品が出土し、彼女の地位が極めて高かったことを物語っている。
中でも注目を集めたのは、「私官」や「北宮楽府」などの文字が刻まれた遺物であった。
これらは太后や王族と強く結びつく官職・機関であり、墓の主が夏太后であるとする考古学上の有力な証拠とされている。
「謎の猿」の発見
夏太后の陵墓では、金銀玉器や馬具だけでなく、予想もしなかった“ある生き物の痕跡”が発見された。
それは、人間の手では到底つくりえない精巧さと奇妙さを併せ持った、1体の小型霊長類の頭骨だった。
最初に骨を見た考古学者たちは、その正体に困惑した。骨の形状が、中国に現存するどの霊長類とも一致しなかったからである。

画像 : 君子属帝国種(Junzi imperialis)」の頭骨復元図wiki c A. C. Tatarinov
研究チームは骨を保存し、後にロンドン動物学会(ZSL)のサミュエル・ターヴィー博士らが詳しく分析を行った。
DNA解析は許可されなかったため、研究者たちは3Dスキャンと形態測定という手法で、この謎の骨を現生のテナガザルと比較した。
その結果、この霊長類は現存するいずれの属にも属さない、完全な新属・新種であることが判明したのである。

画像 : 中国のテナガザルのイメージ 北宋・易元吉『乔柯猿挂』扇面画 public domain
学名は Junzi imperialis。中国語では「帝国君子长臂猿」、日本語に訳すと「帝国君子テナガザル」にあたる。※本稿では以降、帝国君子テナガザルと記す。
この名称は、中国文化に根ざした「君子」と「帝国」という概念に由来する。
古代において、テナガザルは礼節と知性を備えた理想的人物「君子」の象徴とされ、特に高貴で風雅な存在として尊ばれていた。
この発見は、単に新種の動物が見つかったという話では終わらない。
帝国君子テナガザルは、人類の活動によって絶滅した霊長類の一つである可能性もあるのだ。
墓に副葬されていたという事実から、この猿は夏太后の寵愛を受けていた“高貴なペット”だった可能性が高い。
彼女の死後、愛玩動物としてともに埋葬されたその姿は、今や静かに絶滅という事実を語っている。
テナガザルと古代中国の関係とは
古代中国において、テナガザルは単なる動物ではなかった。
そのしなやかな肢体、静かな佇まい、そして森に響く哀切な鳴き声は、人間の精神性や美意識と深く結びつけられていた。
儒教における理想的人物「君子」にたとえられることもあれば、道家思想では仙人や霊獣と並ぶ存在として描かれることもあった。
唐代の詩人・李白は名詩『早発白帝城』の中で、「両岸の猿声啼きやまず、軽舟すでに万重の山を過ぐ」と詠んだ。
これは、かつて三峡一帯にテナガザルが多数生息していたことを示すと同時に、その鳴き声が人の心を揺さぶる特別な響きであったことを物語っている。
また、北魏の地理誌『水経注』にも、三峡の渓谷で鳴く「高猿(たかざる)」の声が何度も記されており、長い間、人々の記憶と風景に溶け込んできたことがうかがえる。

画像 : イメージ 明宣宗《戲猿圖》public domain
宋や明の時代には、文人画や扇面画の中にたびたびテナガザルが登場する。
樹上から身を伸ばし、ものを取ろうとする姿や、静かに佇む姿は、詩情と孤高を象徴する存在として愛された。
このようにテナガザルは、宮廷や士大夫階層の精神文化とも密接に関わっていたのである。
しかし、時が経つにつれ、テナガザルの姿は消えていった。
長安(現在の西安市)周辺はかつて森林に覆われ、多くの動植物が暮らしていたが、都市化と農耕の拡大によりその生息環境は急速に失われた。
帝国君子テナガザルが副葬された夏太后の墓があるこの土地も、今では猿の声が響くことはない。
今日、テナガザルはアジアの熱帯林にわずかに残るのみであり、中国に生息する種の多くは絶滅寸前にある。
特に海南島に生息する黒冠テナガザルは、現存数がわずか20数頭とされ、世界で最も希少な霊長類のひとつとなっている。
かつて“君子”と称えられた猿たちの姿は、今や古代の墓や絵画の中にしか見ることができない。
帝国君子テナガザル(Junzi imperialis)の発見は、静かに消えていった命の記録であり、同時に私たちが失いつつある自然との関係そのものを映し出しているのかもしれない。
参考 :
Turvey, S. et al. (2018). Junzi imperialis: A new genus and species of extinct gibbon from ancient China. Science.
司馬遷『史記』李白『早発白帝城』他
文 / 草の実堂編集部
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