中国史

傾国の美女・楊貴妃 「いびきが大きく体臭がキツかった」

楊貴妃とは?

楊貴妃

楊貴妃

中国四大美女の一人として知られる楊貴妃(ようきひ)は、中国唐代、玄宗皇帝の寵姫である。

玄宗皇帝は彼女を愛するあまり国政をおろそかにし、最終的には安史の乱という大規模な反乱が起こってしまう。

国を背負う皇帝を夢中にさせた「楊貴妃」とは一体どのような女性だったのだろうか。

ライチ

楊貴妃はライチを好んで食べた。楊貴妃の名前からとられた「妃子笑」という品種があるほどである。(妃もニッコリ微笑むほど美味であるという意味)

楊貴妃はライチを各地から取り寄せていて現在の廣東から西安まで、およそ2000キロの距離を運ばせていた。当時は馬で運んだので、一日200キロ馬を走らせても10日かかる。

そこで疑問が生じる。10日もかかると、新鮮なライチも腐ってしまうではないか?

古い文献によると、氷とハチミツを入れ何重にも保冷した上で、新鮮なライチを妃に届けていたという。

玄宗皇帝は楊貴妃に新鮮なライチを食べさせるために尽力したという。多くの馬や人をどれだけ疲労させようが、皇帝は彼女の笑顔さえ見る事ができれば満足したのである。

楊貴妃

玄宗皇帝と楊貴妃

楊貴妃は肥満体だった?

楊貴妃は豊満な体型であったということが広く知られている。当時の美人の条件でもある。

楊貴妃は肥満のため少し歩くと息切れし大汗をかいたという。

玄宗皇帝もふくよかな女性を好んだ。楊貴妃を妃にしたのは彼が60歳を過ぎた頃だった。
ふくよかな楊貴妃は、厳しい冬にすでに初老に差し掛かっていた皇帝の体を温めたという。
それが玄宗皇帝が彼女を寵愛した理由かもしれない。

ちなみに楊貴妃の身長は165センチ、体重は75キロであったと推定されている。

楊貴妃のいびき

楊貴妃は太っていたという原因から、かなりの「いびき」をかいていたという。
美女といびき…想像しにくいところである。

皇帝は後継争いなど当時多くの心痛があった。後継争いとなると人の生死も関わることがあり、悪夢を見ることも多かったという。

そんな皇帝も夜、寝床で寵愛する楊貴妃のいびきで悪夢から呼び戻され、落ち着いて眠れたという。

彼女のいびきが安眠薬となっていたのである。

楊貴妃の体臭

楊貴妃

※『楊貴妃図』、高久靄厓筆。Wikipediaより引用

楊貴妃はその体型のせいか大量の汗をかいたという。ワキガであったとされ非常に強い臭いを放っていたと伝えられている。

1日に3回、花びらを浮かべての入浴を欠かさなかったという。皇帝はそんな彼女のために専用の入浴池まで作った。

楊貴妃は「羞花」(直訳:恥じらう花)と呼ばれ、これは美人を形容した表現であるが、楊貴妃の場合は人に知られては恥ずかしい「体臭」という秘密を持っていたからだと考えられる。

楊貴妃は不妊体質?

楊貴妃は17歳で嫁ぎ、38歳でなくなるまでの20年間、子供を産んでいない。

しかし彼女を溺愛した玄宗皇帝は、最も多くの子供をもうけた皇帝とされている。
玄宗はなんと、30人の息子と31人の娘を持っていたという。

玄宗皇帝は楊貴妃を溺愛していたが「皇后」にはしなかった。その理由は本来彼女は息子・李瑁の妻であったからである。実質は内縁関係であり皇后に次ぐ貴妃にはなったが、皇帝といえども息子の妻を自分の正妻とすることはできなかったのである。

とは言え、溺愛されていた楊貴妃が皇帝の子供を産む可能性は高かったが子供が生まれた記録はなく、李瑁との間にも子供が生まれた形跡はない。

つまり楊貴妃は子供を産めない体であった可能性が高いとされている。

彼女は体臭を隠すために多くの薬や治療法を無闇矢鱈に試していた。その中に彼女を不妊にさせる要素があったと推測されている。

また、肥満体質が彼女を不妊にさせていたという説もある。

※『楊貴妃遊花園』。Wikipediaより引用

楊貴妃は子宝には恵まれなかったが、外見内面ともに強烈に男性を惹きつける魅力を持った女性であったことは間違いなさそうである。

後世では楊貴妃を元にした文学作品が数多く作られ、日本の能や古典文学においても取りあげられている。

 

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 中国の妃たちが恐れた冷宮送り【罪を犯した后妃が生涯幽閉された地獄…
  2. 【群馬伊香保に突如できた謎の巨大宗教施設】佛光山 法水寺とは一体…
  3. 清朝の『弁髪』はかなり臭かった?「漢民族は弁髪にしないと斬首刑」…
  4. 「中国で発見された最も古く高い銅像」 青銅大立人とは ~三星堆遺…
  5. 『古代中国』皇帝が死んだ後、後宮の妃たちはどうなった?悲しき8つ…
  6. ラーメンマンのような髪型にしないと死刑だった清王朝 【辮髪】
  7. 古代中国の占いはどのように進化したのか?【八卦 奇門遁甲】
  8. 【今は亡き世界最凶スラム街】九龍城砦の歴史 〜人々を魅了し続ける…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

現地取材でリアルに描く『真田信繁戦記』 第5回・大坂冬の陣編 ~真田丸の攻防で幕府軍を撃破

エピローグ九度山で朽ち果てる運命にあった真田信繁は、大坂冬の陣により再び歴史の表舞台に返…

緊急事態宣言が出ても3日間はスーパーへ行かない方が良い

5日、作家の本田健さんが「本田健からの一生のお願い!緊急事態宣言が出ても、3日間はスーパーに…

日本最古の神社の一つである大神神社(三輪明神)に行ってみた

日本には数多くの神社がありますが、その中でも日本最古級の神社の一つとされているのが、奈良県桜井市に鎮…

【三国志】 劉備の息子『劉禅』の暗愚すぎるエピソード 「無類の女好き、救いようのない阿斗」

今回は、シミュレーションゲームの『三国志』をプレイしたことがあるという方にとって見慣れた数値を取…

武田信玄(晴信)の初陣に敗れた豪傑・平賀源心(玄信)。その子孫はどうなった?

時は天文5年(1537年)12月26日。信濃国海之口城(長野県南佐久郡南牧村)が攻略され、城主の平賀…

アーカイブ

人気記事(日間)

人気記事(週間)

人気記事(月間)

人気記事(全期間)

PAGE TOP