日本史

卑弥呼と邪馬台国の謎 【なぜ史料がない?】

古代史は謎に満ちている。というよりも謎だらけといってもいい。

その中で最大級のものとして今も人々を惹きつけてやまないのが「邪馬台国」に関する謎である。

卑弥呼 の謎を解く

卑弥呼と邪馬台国の謎
【※魏志倭人伝】

邪馬台国というとまず浮かんでくるのが「場所」の問題だ。

邪馬台国があったのは機内(大和)という可能性は高まっているものの、九州北部説も消えたわけではなく、それ以外の地域も含めて現在も論争は尽きない。

しかし、その他にも興味深い謎はいくつもある。例えば、邪馬台国の女王であった「卑弥呼」に関する謎がそれだ。卑弥呼は巫女(シャーマン)で「鬼道(きどう)」と称する呪術を行ったとされるが、その容姿や生活ぶりなどはわからないことばかりである。その理由は何よりも情報源となる史料が限られていることは有名だ。

邪馬台国については、魏・呉・蜀の歴史を描いた中国の「三国志」、その中の魏の歴史を記した「魏志」の一部である倭人伝、すなわち「魏志」倭人伝が何よりも頼みの綱である。この字数にして2,000字足らずの史料が謎を解くカギとなった。

そのなかから卑弥呼についての記述を拾っていくと、いくつかの謎が出てくる。そのなかでもっとも大きな謎がその死因といってもいいだろう。

寿命説

卑弥呼は239年に魏へ遣いを送り金印を与えられ、さらに6年後の245年に狗奴国(くなこく)との戦争状態を報告し、援助を求めている。狗奴国との戦いについては247年にも報告がなされ、これに対して魏から武官の「張政(ちょうせい)」らが派遣され、軍事指揮に用いられる旗「黄憧(こうどう)」などがもたらされた。

しかし、そうした最中に卑弥呼は亡くなってしまう。そのときの様子について「魏志」倭人伝には「卑弥呼、以って死す」とあるのみで、死因に関しては一切触れていない。

そこで「魏志」倭人伝にふたたび目を向けてみよう。そこには卑弥呼の年齢が「長大」と記されている。「長大」とは老齢とする説があるが、成人とする説もあり、必ずしも老衰とはいえない。

次に戦死説について考えてみよう。

戦死説

卑弥呼は狗奴国と長期にわたる戦争中であり、しかも相手はなかなか強大であったことが魏への支援要請から見てとれる。そうしたなかで、卑弥呼が戦陣で倒れたという説はひとつの説として十分興味深い。

狗奴国との戦いに絡んだ説としては、殺害説も挙げられる。長期間の戦闘にも関わらず勝利できなかった責任を取らされたというもので、張政らが来たのは卑弥呼への責任追及のためとする説だ。さらに同じ殺害説でも、異なる理由のものもある。それは巫女としての能力が弱体化したしたためというものである。

弥生時代の巫女というのは、神に祈りを捧げ、神託を受ける存在だった。

能力低下説

魏への遣いを送った247年には九州で、翌248年には大和で日食が起きたとされている。

2年続けての日食は、当時の人々に大きな不安を与えたはずだ。こうした現象はとりもなおさず卑弥呼の巫女としての呪力が衰えたためと考えられても不思議はない。それを理由に卑弥呼は殺害されたと見ることができる。日食と巫女としての卑弥呼の能力を結びつける考え方もあった。

卑弥呼の巫女的性格という点では、「魏志」倭人伝に見られる「持衰(じさい)」の記述が参考になる。持衰とは、やはりシャーマン的な存在だ。

外洋に航海する船にはひとりの持衰が乗せられ、航海中は髪もとかさず、しらみも取らず、衣服が汚れても取りかえることはない。さらに、肉も食べず、女性も近づけず、まるで喪に服したように禁を守り続けたとある。そして、航海が済めば褒美などが与えられるが、うまくいかなかった場合には、その責任を取って殺害されたという。

そして、持衰の責任の取らされ方を参考にするならば、戦争に勝利できなかったり、日食という天変地異が起こった原因が、卑弥呼の呪力の低下のせいと考えられたとしてもおかしくない。

卑弥呼が消された時代

しかし、なぜ日本の史料には卑弥呼に関する記述がないのだろうか。

卑弥呼の死は247年頃とされて、日本最古の歴史書「古事記」が完成したのが712年、「日本書紀」は720年のため、実に400年以上も後のことである。

そのなかでは卑弥呼や邪馬台国に関する記述はない。しかし、完全にないのかというとそうでもなく「魏志によると、女王が魏に使いを送ったという」記述がある。

これは、ヤマト王権以前に「女王が存在したこと」を隠したかったためではないか?

つまり、後世の人間により、意図的に卑弥呼の存在が消された可能性もあるのだ。

最後に

卑弥呼の死因について、老衰というあまりドラマチックでないものから戦死説、殺害説などについて調べてみた。

いずれも可能性がないとはいえないが、ひとつに絞ることも難しい。やはり、謎は尽きないということだ。

関連記事 : 卑弥呼の正体―虚構の楼閣に立つ

 

アバター

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 本当は長いんです。昔の日本人のフルネーム 【名前、名字の由来】
  2. 古事記 ~人々が地上に現れる以前の神代の物語
  3. 一粒万倍日とは?「2024年9月以降の一粒万倍日と、天赦日が重な…
  4. 桃太郎伝説はどこから始まったのか 「実際の人物がモデル?」
  5. 本当は怖い日本昔話 【桃太郎は捨てられて流された子だった?】
  6. 出雲大社より格式が上? 出雲が頭を下げる聖地「熊野大社」
  7. 『狛犬だけじゃない』狛猫・狛カエル・狛ウサギ〜ユニークな狛〇〇に…
  8. 中世の物語絵巻は、現代の漫画やアニメの原点だった?

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

戦国武将きってのグルメで美食家・伊達政宗の「正月料理」は超豪華だった!

「奥州の虎」と恐れられた伊達政宗。冷徹な戦略家としての一面がある一方、文化・芸術を愛する美意…

徳川家康に保護され、生き永らえる今川氏真。その子供たちを一挙に紹介!【どうする家康】

かつて「海道一の弓取り」と讃えられた名将・今川義元の跡目を継ぎながら、一代にして三ヶ国(駿河・遠江・…

ミステリー小説オススメ作品 「年間読書数100冊越えの筆者が選ぶ!」

皆さん、こんにちは。年間読書数100冊越えの本の虫、ライターのアオノハナです。日本国…

古代中国人の信じられない出産方法 「母親は立ったまま出産していた」

出産スタイル出産を経験した女性たちは、いつの時代も偉大であり、心から尊敬に値する存在であ…

なぜ『春画』は江戸で大流行したのか?エロだけじゃないその意外な理由

春画は、江戸時代以前から描かれていた一般に「性」という概念に対しておおらかであったといわれる江戸…

アーカイブ

PAGE TOP