日本史

【長男以外は奴隷】「おじろく・おばさ」はなぜ生まれたのか? ~精神科医による分析

前回の記事「長野県旧天龍村の奴隷制度『おじろく・おばさ』 インタビューをまとめてみた」では、精神科医の近藤廉治氏が行った「おじろく・おばさ」のインタビューをお伝えしました。

今回の記事では、インタビューを終えた近藤氏がどのような考察をされたのか、近藤氏が書かれた『開放病棟―精神科医の苦闘』を参考にしながら、書籍の内容を要約したいと思います。

社会に適応できない「おじろく・おばさ」

 

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「おじろく・おばさ」たちの中で、自由を奪われた劣悪な環境に不憫を感じて、家を飛び出す者はいなかったのでしょうか。

「おじろく・おばさ」たちには、村を出ることはとても悪いことで、家の掟に背くことであると教え込まれていたようです。そのため「大部分の者は逃げようとは思わなかった」と、天龍村に住む古老は話します。

まれに意欲があって外に出て行った者がいましたが、すぐに戻ってきたそうです。社会的交流が上手くできず、人付き合いもできなかったことが理由のようです。

兄(長男)の言う通りに働いていれば、貧しくても衣食住への不安はないので、少しずつ生きる意欲がなくなってしまったのではないかと考えられます。

小さな頃から価値観を刷り込む

「おじろく・おばさ」たちは、幼児期に「厄介者」という運命を背負わされたことで、愛情のない育て方をされたのか、あるいは不憫な者として甘やかされたのでしょうか。

「おじろく、おばさ」たちにインタビューすると、ひどい扱いを受けた記憶もなく、とくに可愛がられたこともないそうです。

物心が付くまで長男と同じように育てられ、分別ができるような年齢に達すると長男の手伝いをさせられ、従うように教えられました。反抗するとひどく叱られたようです。

お盆、正月、祭事など親戚まわりをするのは長男で、それ以外の弟(妹)たちは家に残っていました。ただ子供のころは「兄に従うものだ」という言葉を受けるぐらいで、とくに変わった扱いをされたわけではないようです。

長男は休まずに学校に行けましたが、弟妹たちは何かある度に学校を休んで、家の仕事を手伝わされました。嫌がると「そんなことでは兄の手伝いはできんぞ」と親たちは厳しく叱ったそうです。このように「将来、お前たちは兄のために働くのだ」という価値観を日常生活の中で刷り込んでいったのです。

長男以外の子どもは「おじろく」として兄を助け、家を繁栄させるために働くのが当然であると、親は考えていました。子供たちを「おじろく」に育て上げることに抵抗を感じず、不憫だとも思わなかったようです。

また成長するに従って「おじろく・おばさ」は、長男と異なる扱いを受けるようになります。しかし彼らは意外と素直に受け入れ、ひどい仕打ちだと憎むこともなかったそうです。

精神分裂病的な特徴はあるが、分裂病ではない

今回取り上げた「おじろく、おばさ」は、長い年月にわたって続いてきた慣習のために社会から疎外されてしまった人々です。彼らは分裂病に類似する点を多く持っています。

それは感情が鈍く、無関心で、無口で人嫌いで、自発性が少ないところです。

しかし「おじろく、おばさがいると、その家は繁盛する」と言われるぐらいによく働くのです。この点に関しては分裂病とは異なります。しかし自発的に働くというより、働くのが自分の運命であると諦めているように見えます。

アメリカの研究によれば、幼時期の親子関係が分裂病の発生に影響を与えるようですが、近藤氏の調査ではそういう点は確認されませんでした。

少年期を過ぎて青年期までは、親子関係に変わったところはありません。20歳を過ぎてから、少しずつ分裂病的な兆候が出てくるのです。とはいえ「おじろく、おばさ」には、幻覚や妄想を経験した者、気が狂ってしまった者はいなかったそうです。

無表情で無言でとっつきの悪い態度をしながらも「おじろく、おばさ」は、家のためにこつこつと働いて、不平や文句も言わず一生を終えるのです。悟りを開いた僧侶でもなく、ましてや特殊な能力を持っているわけでもありません。

本当に平凡な人々であり、ただ精神分裂病者の特徴がある点が興味深いところです。

疎外が分裂病に類似した人間をつくる

近藤氏が調査を開始した当初は、あまりに分裂病の要素が多いため「おじろく、おばさ」たちは分裂病ではないかと思ったそうです。しかし、そのような証拠は確認できませんでした。

また、小さな山奥の村に昔から分裂病の人が多くいたとも思えません。意欲のある若者はどんどん外へ出て行ってしまい、能力のない者だけが残ったという想定もしましたが、そういった事実はありませんでした。

「おじろく、おばさ」に見られる症状の原因は、山村に昔から残る慣習に縛られて、「二男、三男はこうあるべきだ」という観念から脱することができなかったということしか考えられない。間違った慣習であってもそれが常識であると教えられ、ずっと疑いを持たずに続けてきた結果である。

このように近藤氏は主張します。

3人の「おじろく・おばさ」たちは家族に迷惑をかけておらず、むしろ貴重な労働力として重宝されています。

しかし閉鎖された社会集団の中で極端な人間疎外が行なわれると、分裂病に類似する人間が形成されることを「おじろく・おばさ」は示唆しているのです。

参考文献:近藤廉治(1975)『開放病棟―精神科医の苦闘』合同出版

 

村上俊樹

村上俊樹

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“進撃”の元教員 大学院のときは、哲学を少し。その後、高校の社会科教員を10年ほど。生徒からのあだ名は“巨人”。身長が高いので。今はライターとして色々と。フリーランスでライターもしていますので、DMなどいただけると幸いです。
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