日本史

【現存する日本最古の天守】 国宝・犬山城について解説 「日本で最後まで個人が所有」

日本には江戸時代までに建造され、今も残っている天守が12城存在しています。

今回は、その中でも最古の天守で国宝に指定されている5天守の一つ、犬山城について解説いたします。

犬山城とは

国宝・犬山城について解説

画像:木曽川の犬山橋からのぞむ犬山城 wiki c Alpsdake

犬山城は、尾張国と美濃国の堺にあり木曽川沿いに築かれた平山城です。(所在地 : 愛知県犬山市犬山北古券65-2)

高さ約88メートルの丘の上にあり、別名「白帝城」といいます。
中国の長江流域の丘の上に建つ白帝城を詠った「早發白帝城」という李白の詩にその姿を重ねて呼ばれるようになったと伝えられ、この別名を付けたのは江戸時代の儒学者・荻生徂徠(おぎゅうそらい)だと言われています。

この場所には岩倉織田氏の砦があり、それを織田信長の叔父にあたる織田信康が改修し、その後は信長の乳兄弟で家臣の池田恒興や、豊臣政権時には石川貞清が入城しました。

小牧・長久手の戦い(1584年)や、関ヶ原の戦い(1600年)では、西軍の重要な拠点が置かれました。

3層4階地下2階の複合式望楼型天守で、2004年までは個人所有の天守としても有名でした。

現在は「財団法人 犬山城白帝文庫」の所有となっています。

歴史が変わった犬山城天守

国宝・犬山城について解説

画像:犬山城天守(2008年(平成20年)1月) wiki c Yamaguchi Yoshiaki

歴史が変わったと書きましたが、今まで犬山城の天守は1537年に織田信長の叔父・信康が自身の居城である木之下城からこの地へ移り、1階2階部分が築造され、その後に3階4階部分が増築されたと考えられていました。

しかしこの度「年輪年代法」という年代測定調査が行われ、天守が創建された年代が科学的に解明されたのです。

この調査は名古屋工大大学院の麓和善教授(建築史)と、年輪年代測定で高名な奈良文化財研究所の光谷拓実客員研究員が犬山市教育委員会から依頼を受けて行ったもので、「柱や梁の伐採時期から1585年から1590年頃の築城であり、現存天守の中で最古の建造である」ということが証明されました。

1~2階の樹皮が残るヒノキの柱は1585年に伐採された木材であり、4階部分の床を支えているヒノキの梁は1588年に伐採された木材であることが判明しました。他にも4階部分の床板などが1585年から1588年の木材だと推定されました。

さらに木材の加工はこの時代の特徴的な加工の痕跡が残されており、1585年以降に1階から4階までが一気に建造されたとみられることがわかりました。

国宝・犬山城について解説

画像:一隻 豊田市郷土資料館保管 六曲屏風 紙本着色 public domain

1582年に本能寺の変が起こり、その後尾張国は織田信長の次男・信雄が領有し、犬山城には信雄の配下である中川定成が入城したと言われています。

その後、1584年には小牧・長久手の戦いで信雄方につくと思われた池田恒興が伊勢に援軍を出し、手薄になっている犬山城へ奇襲をかけ奪取していることから、犬山城の天守が建造開始されたと推定されている1585年頃(1階2階の柱の伐採時期)は、豊臣方が入城していたことになります。

1587年に信雄に返還されているとすると、4階の床板を支えている梁の伐採年代が1588年と推定されることから、4階部分が建造されている時には信雄が犬山城にいたことになります。

ちなみに3階の床を支えている梁の部分の伐採時期は1588年と推定されているので、3階4階部分は信雄の時代に建造され、1階2階部分は豊臣方の時代に建造されていたことが想像できます。

また最上階は「真壁造り」という造りになっています。
これは柱や桁がむき出しになっているもので、建物の外壁としては珍しく寺院でよく見られる造りです。
また北と南につけられている「花頭窓」も寺院で多くみられる窓で、真壁造・花頭窓どちらも格式が高い建築様式です。

終わりに

国宝・犬山城について解説

画像 : 犬山城天守(国宝) (2023年(令和5年)3月)wiki c Tomio344456

日本に現存している12天守の中で、国宝に指定されている天守は5天守です。その中でも最も古い天守がこの犬山城になります。

柱や梁の伐採時期から天守が建造された年代がはっきりとしたわけですが、小牧長久手の戦いなどにより建造中に城主が代わってしまうなど、まだまだ築城にまつわる謎が残っています。

この先の研究の成果や歴史的資料の発見などで、さらに当時の様子を知ることができる日は来るのでしょうか。

 

アバター

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 日本三大仇討ち(曽我兄弟の仇討、赤穂事件、鍵屋の辻の決闘) 【武…
  2. 【触れるだけで祟られる?】初鹿野諏訪神社のホオノキ伝承とは 〜関…
  3. 【絶対に見てはいけない】三種の神器の起源とその物語 ~現在どこに…
  4. 日本刀の作り方 使い方について調べてみた
  5. 古代日本の謎・広田人とは ~「1800年前に幼児の頭蓋骨を意図的…
  6. 【奈良公園の鹿たち】なぜそこに集まったのか、その生態と歴史を探る…
  7. 【日本の怪異7選】 ユニークな妖怪たちと、怨霊となった平将門、菅…
  8. 明智光秀の有能さと戦歴について調べてみた

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

【大河予習】犬猫までも斬り捨てよ!武田勝頼を滅ぼした織田信長の大号令と、武田再興を図った徳川家康【どうする家康】

時は天正10年(1582年)3月11日。甲斐国天目山(山梨県甲州市)で武田勝頼(演:眞栄田郷敦)とそ…

男色家の将軍・徳川家光が初めて女性に一目惚れ!?美貌の尼「お万の方」とは

三代将軍の徳川家光は、幕藩体制や幕府機構の確立など、約260年も続いた徳川幕府の基礎を築いた将軍とし…

【逃げ上手の若君】 鎌倉幕府の滅亡は何が原因だったのか?

近年、大きな人気を博しているアニメ『逃げ上手の若君』。鎌倉幕府の滅亡という壮大な歴史…

黒田官兵衛(孝高)が織田家の家臣となるまで

多数くの逸話黒田孝高(くろだよしたか)は豊臣秀吉の軍師として、官兵衛の名で知られている武…

引っ越し【漫画~キヒロの青春】㉗

西武池袋線のひばりヶ丘から、池袋まで数往復…

アーカイブ

PAGE TOP