庶民にとっては頭の痛い税金。
近年の日本では消費税10%を始めとしてあらゆる税金が上がり、さらに物価も上昇し給与も上がらず、生活は苦しくなる一方である。
日本の中間層以下の負担は激増し、平均的なサラリーマンは収入の約4割が税金や社会保険料に消えている。現状はなんと江戸時代の年貢より重いそうだ。
そんな税金だが、日本ではいつから開始されたのであろうか?
邪馬台国の頃には既に始まっていた
日本においてもっとも古い税金の記述は「魏志倭人伝」である。
邪馬台国の卑弥呼が、当時、三国時代だった中国の「魏」へ使者を出しており、その魏国で書かれた魏志倭人伝に当時の日本の事が記述されているのである。
そこには
「女王卑弥呼が治めている邪馬台国では、種もみや絹織物を貢ぎ物として納められている」
と記されており、これが最も古い日本の税金の記録となる。
ただし史実的には卑弥呼自体がミステリーな存在であり、邪馬台国の場所すら未だに特定できていない状況であるので、詳しい概要までは不明である。
正式な税金の記録は「大化の改新」から
日本において正式に税金を取り始めたのは、「大化の改新の詔」からである。
それまでの日本は、各地の豪族たちがバラバラに統治しており、国全体のルールや法律というものは存在しなかった。
飛鳥時代の中期に孝徳天皇が「改新の詔」を発し、豪族の連合体であった国家の仕組みを改め、土地・人民の私有を廃止し、天皇中心の中央集権国家を目指したのである。
当時の日本は朝鮮三国(高句麗、百済、新羅)や唐など、外国との駆け引きが緊張状態にあり、中央集権化して国力を高める必要があった。
決められた税は主に
租 (そ:口分田収穫の3%)
庸 (よう:布の物納、男子のみ)
調 (ちょう:絹、地方特産物を運搬納税)
である。
他には必要な時は兵役に出たり、公共事業の労役など様々な法令が、645年から701年の大宝律令完成までの間に定められ、これらの改革を総じて大化の改新という。
このように「国」として体をなした時点から仕組み上「税」は必ずつきものとなり、国と税は切っても切れない関係である。
それは仕方のないことであるが、現代は当時に比べれば別世界と言えるほど科学は発展し、物や食料もあふれている。それなのに労働と税のバランスに関してはむしろ退化し、庶民の生活がなかなか楽にならないのは実に不思議なことである。
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