■蜂須賀正勝 / 高橋 努
はちすか まさかつ / たかはし つとむ川並衆筆頭
木曽川での運送に携わる土豪。美濃の要地・墨俣に砦(とりで)の築城を命じられた豊臣兄弟は、正勝に協力を求める。
※NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。
美濃攻略に乗り出した織田信長(小栗旬)の命により、蜂須賀正勝(高橋努)の協力を求める小一郎(仲野太賀)と藤吉郎秀吉(池松壮亮)。
果たして二人はどうやって正勝を「たらし込む」のでしょうか。
ところで、川並衆(かわなみしゅう)とは何なのか、気になった方も少なくないはずです。
そこで今回は『武功夜話』で言及される川並衆について紹介。大河ドラマ「豊臣兄弟」を楽しむご参考にどうぞ!
木曽川流域の国人衆

画像 : 秀吉の美濃攻略に貢献(イメージ)
川並衆とは、木曽川流域で勢力を持っていた土豪たちの集団です。
木曽川は尾張と美濃の国境地域に流れていたため、当時は織田信長と斎藤龍興(濱田龍臣)のどちらに力を貸すかで揺れ動いていました。
また木曽川の流れを活かした水運業なども取り仕切っており、その利権を牛耳っていたことでしょう。
ちなみに「川並衆」という言葉については『武功夜話』にしか登場せず、当時使われていた根拠はありません。
そもそも『武功夜話』自体が、信憑性に賛否分かれる状態なので……。
しかし、木曽川流域に土豪たち(国人衆)が割拠していたのは確かでした。
川並衆の顔ぶれは?
それでは、川並衆と呼ばれた国人衆の顔ぶれを見ていきましょう。
・蜂須賀正勝
・前野長康(渋谷謙人)
・青山新七(あおやま しんしち)
・梶田直繁(かじた なおしげ)
・坪内利定(つぼうち としさだ)
・日比野六大夫(ひびの ろくだゆう)
・松原内匠(まつばら たくみ)
・三輪吉高(みわ よしたか)……など
大河ドラマ「豊臣兄弟!」に登場する二人は別の機会に紹介するとして、他メンバーについてざっくり紹介したいと思います。
青山新七(あおやま しんしち)

画像 : 青山新七(イメージ)
生没年不詳。新七は通称で、実名は不詳。
信長に仕え、墨俣一夜城を築く秀吉の任務に協力したそうです。その後について、詳しいことはわかっていません。
梶田直繁(かじた なおしげ)
生没年不詳。加治田政直(まさなお)の子として加治田村(岐阜県富加町)で誕生しました。
通称は梶田隼人(はやと)。
秀吉の墨俣一夜城を築く任務に加勢し、その後も秀吉の家臣として仕えます。
坪内利定(つぼうち としさだ)

画像 : 坪内利定(イメージ)
天文8年(1539年)生~慶長15年(1610年)2月13日没(享年72歳)。
尾張国松倉城主(岐阜県各務原市)を務めた坪内勝定(かつさだ)の子として誕生。
通称は喜太郎(きたろう)または玄蕃(げんば)と言いました。
永禄2年(1559年)に織田家を出奔した前田利家(大東駿介)を匿ったことがあり、義侠心に厚い性格がうかがえます。
墨俣一夜城の任務では木曽川の水流を活かした木材搬送に活躍しました。
その後も秀吉に仕えるも故あって牢人し、徳川家康(松下洸平)に鞍替えしています。
日比野六大夫(ひびの ろくだゆう)
生没年不詳。墨俣一夜城の任務では前野長康らと組んで活躍しました。
その後も永禄7年(1564年)の鵜沼城攻めや永禄10年(1567年)の稲葉山城攻め、元亀元年(1570年)の金ヶ崎合戦と武功を重ねます。
尾張国春日井郡(愛知県春日井市)に自分の城(通称:日比野六大夫館)を持っており、それなりの勢力を持っていました。
松原内匠(まつばら たくみ)

画像 : 松原内匠(イメージ)
享禄3年(1530年)ごろ生~慶長9年(1604年)ごろ没。
尾張国葉栗郡松原島(岐阜県各務原市)の出身で、木曽川の水流に精通して操船術に長け、また建築術も心得ていたそうです。
はじめ美濃の守護大名である土岐頼芸(とき よりあき)に仕えますが、その後は美濃国を奪取した斎藤道三(麿赤兒)に鞍替えしました。
永禄7年(1564年)ごろに秀吉と出会い、永禄9年(1566年)の墨俣一夜城任務では持ち前の建築術を駆使します。
そして永禄10年(1567年)には兄の松原源吾(げんご)から家督を譲られ、尾張国亘利城主(岐阜県各務原市)となりました。
しかし天正13年(1585年)の大洪水で木曽川の流れが激変し、亘利城と城下が壊滅状態となったため、翌天正14年(1586年)に亘利城が放棄されます。
拠点を野中(岐阜県岐南町)に移転し、文禄4年(1595年)に隠居しますが、後継者について詳しいことはわかりません。
やがて松原氏の領土が坪内家に吸収されたことから、後継者がいなかった(もしくは認められなかった・資格を剥奪された)可能性も考えられます。
三輪吉高(みわ よしたか)
生没年不詳。通称は五郎左衛門(ごろうざゑもん)、官位は出羽守(でわのかみ)。
宮後八幡社(みやうしろ。愛知県江南市)の社家に生まれ、はじめは娘のまつ(大匠院)が伊勢国の守護大名・北畠具教(きたばたけ とものり)に嫁いでいたことから、北畠家に仕えていました。
しかし、具教の正室から嫉妬されたため北畠家を退き、まつの再婚相手である蜂須賀正勝と共に秀吉に仕えます。
後に豊臣秀次(秀吉の甥で養子)の補佐役として尾張犬山城代(愛知県犬山市)を務めますが、文禄4年(1595年)の秀次事件で連帯責任を負わされ、失脚しました。
この事件では多くの家臣が切腹に追い込まれているものの、三輪吉高が切腹した記録はありません。
そのため、追放されたか逃げ出したかしたのでしょう。
終わりに

画像 : 落合芳幾 太平記英勇傳 八菅與六正勝(蜂須賀小六正勝)public domain
今回は、秀吉の墨俣一夜城に協力する川並衆について、その顔ぶれを紹介してきました。
ほとんど記録が残っていない者から、大活躍した者まで様々ですね。
果たしてNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、彼らのうち何人が登場するのでしょうか。
誰がキャスティングされるのかも注目しています。
※参考文献:
・『武功夜話』
・谷口克広『織田信長家臣人名辞典』吉川弘文館、2010年10月
・早瀬晴夫『織豊興亡史』今日の話題社、2001年7月
文 / 角田晶生(つのだ あきお) 校正 / 草の実堂編集部























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