「文句があるなら、陰で愚痴ってないで当人に直接言えばいいのに……」
世の中、そう思うことは少なくありませんが、その後のこと(つき合いとか色々)も考えると、なかなか言えない(言わない)のが大人と言うもの。
だから表面上はそれなりに平和が保たれているのですが、中には「文句があるなら即行動」という人物もいて、度肝を抜かれることもしばしば。
その決断力・実行力には驚き、感心してしまう反面「コイツ空気読めなすぎ、ヤバすぎだろ」と一線を引いてしまいがちです。
今回はそんな幕末「四大人斬り」の一人・河上彦斎(かわかみ げんさい)のエピソードを紹介したいと思います。
とある幕吏の噂を聞いて……
ある時、彦斎が酒を呑みにいった時のことです。
日ごろ尽忠報国・尊皇攘夷の志に奔走している仲間たちと大いに盛り上がり、楽しいひと時に鋭気を養っていました。
「時に拙者は、アイツを絶対に許せんのだ!」
酔いが回ってきたのか気も大きくなり、仲間の一人が声高に非難するのは、とある幕吏(幕府の官吏。幕臣)の専横ぶり。
幕府の威光を嵩(かさ)に着て威張り散らし、卑しくも我ら尊皇護国の志士を侮るさまは、やがて日本を誤らせるに違いありません。
「「そうだ、そうだ……!」」
他の者たちもこれに賛同し、酒宴もいよいよ酣(たけなわ)と言った盛り上がり。
「なぁ、彦斎殿もそうであろう!?」
仲間の一人が同意を求めると、彦斎は静かに微笑みながら酒を口に運び、呑み終えるやスクと音もなく立ち上がりました。
「ん、厠(かわや。トイレ)か?」
その問いかけには答えず、彦斎はそのまま出て行ってしまいました。
彦斎はどこへ行った?
それからしばらく彦斎は戻って来ず、憂国談義に花を咲かせていた仲間たちも、少し心配になってきます。
「おい、彦斎はどうしたんだ?」
「黙って出ていったきり、もう半刻(約1時間)は経つな」
「雪隠詰め(せっちんづめ。トイレに籠ること)かと思って小用ついでに見てきたが、誰もいなかったぞ」
「よもや食い逃げ?とも思ったが、別に我らに立て替えを遠慮するような間柄でもなし」
「……彦斎が座を立ったのは、あの幕吏の話が出てからだ。もしかして、ヤツはあの幕吏と通じていたのでは……?」
「それで、気まずくなって帰ってしまったのか。なるほど、ありえるな」
「しかし、尊皇護国の志士ともあろうものが、あんな貪官汚吏(たんかんおり。出世をむさぼる、腹汚い役人)と癒着しておったとは……」
「まったく、見下げ果てた男よな!」
「……誰が?」
次の瞬間、障子が開いて現れた彦斎は、何事も無かったかのごとく元の席に座り、抱えていたものを置きました。
「彦斎、それは……?!」
首級を肴に呑み直し
仲間たちが息を呑んだのもそのはず、彦斎が持ってきたのは、先ほど槍玉に上げていた幕吏の首級だったのです。
「諸君がお求めのようだったから、チョイと用立てて来たのさ。さぁ、これを肴に呑み直そうじゃないか!」
「「あは、ははは……」」
確かに、生かしておくと日本のためにならぬとは言ったが、まさか本当に斬ってしまうとは……彦斎の並々ならぬ腕前と覚悟に一同舌を巻きながら、内心空恐ろしく思ったことでした。
「そうやって愚痴ばかりこぼしておれば、その内『誰かが斬ってくれる』とでも思っていたのか?」
その後も彦斎は数々の暗殺を繰り返し(※)、一度睨まれたら逃げられないことから「蝮蛇(ひらくち。マムシ)の彦斎」と陰口を叩かれたそうです。
(※)ただし、ハッキリ記録に残っているのは、開国派だった佐久間象山(さくま しょうざん)ただ一人。その他の者たちについては、文字通り闇に葬り去ったのでしょう。
エピローグ
ある時、酒樓に登つて同志數人と酒をのんでゐると、中の一人が幕吏某の専横を憤り、しきりにその非を鳴らしはじめた。彦斎は、黙つて聞いてゐたが、そのうちプイと席を立つて行つた。どこへ行つたかと怪しんでゐると、間もなく、平気な顔をして、血だらけの首を袖に包んでかへつて来た。
「貴公が憤慨してゐたのは、此奴ぢやらう。今チョイと首にして来た。さあこれを肴に大いに飲まう」※大坪草二郎『国士列伝』より。
「拙者が人を斬るも殺すも、尊皇攘夷の大義ゆえ。そのやり口が気に入らぬなら、面と向かって意見すれば良かろうに……」
敵対者の暗殺に利用するだけしておきながら陰では薄気味悪がって、いざ目的が果たされれば、いともあっさり切り捨てる。
明治維新のなった後、多くの者たちは変節(※)してしまいましたが、そんな連中に比べたら、彦斎の生き方は遥かに潔く、清々しいものだったと言えるでしょう。
(※)最後は主君に裏切られ、処刑されてしまいました。
余談ながら、このエピソードだけ聞くと何だかサイコパスじみている彦斎ですが、日ごろは温厚で礼儀正しく、妻子にもやさしかったそうです。
そういう大切な者たちを守るためなればこそ、万難を排して手を血に染め続けたのかも知れませんね。
※参考文献:
大坪草二郎『国士列伝』高山書院、1941年8月
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