幕末明治

安易な増税に異議アリ!明治政府の放漫経営に憤る西郷隆盛の言葉 「西郷南洲遺訓」

……また増税が計画されているそうですね。通勤手当や失業給付などまで課税対象に加え、いわゆる「サラリーマン増税」と呼ばれ、人々の怨嗟が渦巻いています。

※首相らは「サラリーマンを対象としたものではない」と言っていますが、主としてサラリーマン(勤め人)が影響を受けることから、屁理屈に過ぎません。

報道によれば日本国の税収は過去三年間で最高額を更新し続けているとのことで、いったい何の目的で、いくら足りないと言うのでしょうか。

労働者が増税に苛まれる一方で、官僚や政治家の皆さまは相も変わらず利権をむさぼり続け、好き放題に振る舞っています(もちろん例外はいるでしょうけど)。

「西郷南洲遺訓」

重税に苦しむ国民の風刺画。「東京パック」明治41年5月20日号

国民が搾取に喘ぎ苦しみ、いわゆる「お上」ばかりが肥え太る……そんなことを続けていたら、遠からず祖国は滅んでしまうでしょう。

そんな怒りは昔からあったようで、江戸幕末から明治時代にかけて活躍した維新三傑の一人・西郷隆盛(さいごう たかもり)も、明治政府のやり方に義憤を覚えていたようです。

今回は彼の教訓集『西郷南洲遺訓』より、こんな教えを紹介したいと思います。

「欲しいから、欲しいだけとる」では国民がもたない

一三 租税を薄くして民を裕にするは、即ち國力を養成する也。故に國家多端にして財用の足らざるを苦むとも、租税の定制を確守し、上を損じて下を虐たげぬもの也。能く古今の事跡を見よ。道の明かならざる世にして、財用の不足を苦む時は、必ず曲知小慧の俗吏を用ひ巧みに聚斂して一時の缺乏に給するを、理財に長ぜる良臣となし、手段を以て苛酷に民を虐たげるゆゑ、人民は苦惱に堪へ兼ね、聚斂を逃んと、自然譎詐狡猾に趣き、上下互に欺き、官民敵讐と成り、終に分崩離析に至るにあらずや。
※『西郷南洲遺訓』

意訳】税負担をなるべく軽くして国民生活を豊かにすることが、国力増強には不可欠である。だから政府が何かと入用だからと言っても、税を取りすぎぬよう戒め、財政負担を国民に押しつけてはならない。

歴史を振り返ってみるがいい。ビジョンが明確でない国家は浪費を続け、財政が苦しくなると必ずと言っていいほど、小賢しい役人が国民から搾り取ろうと悪知恵を巡らすものだ。

そして国民から搾取するほど評価され、ますますエスカレートした結果、国民は苦悩をこらえかねて租税回避に悪知恵を巡らせるようになるだろう。

かくして政府と国民の間には不信感が増幅し、まるで敵同士のようにいがみ合い、ついには国家が崩壊してしまうのだ。

……カネが足りないのであれば、何はなくとも政府の支出を削減すべきであって、国民から無理に搾り取ろうとするんじゃない。西郷さんの言っていることは非常にシンプルです。

現代日本を顧みれば、政府はとにかく国民から税金を取り上げることしか考えておらず、国民は国民で何とか税負担を逃れようと汲々たるありさま。

続いて西郷さんは、こんなことも教えています。

一四 會計出納は制度の由て立つ所ろ、百般の事業皆な是れより生じ、經綸中の樞要なれば、愼まずばならぬ也。其大體を申さば、入るを量りて出づるを制するの外更に他の術數無し。一歳の入るを以て百般の制限を定め、會計を總理する者身を以て制を守り、定制を超過せしむ可からず。否らずして時勢に制せられ、制限を慢にし、出るを見て入るを計りなば、民の膏血を絞るの外有る間敷也。然らば假令事業は一旦進歩する如く見ゆる共、國力疲弊して濟救す可からず。

※『西郷南洲遺訓』

「西郷南洲遺訓」

収支のバランス(収入>支出)が大事(イメージ)

意訳】国家財政はすべての基本であるから、その運用には細心の注意を要するものだ。と言ってもそう小難しいことではなく「収入を基に支出を管理しなさい」これ以外に守るべきことはない。

歳入(一年間の収入)を基準としてこれを歳出(一年間の支出)の限度とし、会計管理者はこれを超えた予算を組んではならぬ。

にもかかわらず、その場の空気に流されてアレもコレもと手を出して、すべての欲望を満たす財源を求めればどうなるか。

言うまでもなく国民の血税を必要以上に搾り取るほかなくなってしまう。それでたとえ一時は上手くいったように思えても、国民の活力は減衰し、中長期的な国力は損なわれてしまうのだ。

……この数十年を振り返るだけでも、思い当たるふしがありまくりますね。言うまでもなく、これは単なる原則論ではなく、西郷さんたちの生きていた当時も似たような状況があったのでした。

終わりに

「西郷南洲遺訓」

泉下の西郷さんは、現代日本をどう思っているのだろうか(イメージ)

それにしても、西郷さんが百年以上も昔に(何ならもっともっと大昔から)訴え続けている原則が、令和日本においても守られていない現状と思うと……人間ってヤツはなかなか進歩しないものだと痛感させられます。

あるいは、政府と国民の分断ひいては国家の崩壊など百も承知で、わざとやっているんじゃないですよね?……そうでないことを願うばかりです。

※参考:

  • 山田済斎 編『西郷南洲遺訓 附 手抄言志録及遺文』岩波文庫、2009年7月
  • 岸田首相「サラリーマン増税は考えてない」発言のまやかし サラリーマンどころか“全世帯増税”への道筋が着々と
  • “サラリーマン増税”岸田首相は「全く考えていない」と言うけど…経済ジャーナリスト「消費税増税前の地ならし」とズバリ

 

角田晶生(つのだ あきお)

角田晶生(つのだ あきお)

投稿者の記事一覧

フリーライター。日本の歴史文化をメインに、時代の行間に血を通わせる文章を心がけております。(ほか政治経済・安全保障・人材育成など)※お仕事相談は tsunodaakio☆gmail.com ☆→@

このたび日本史専門サイトを立ち上げました。こちらもよろしくお願いします。
時代の隙間をのぞき込む日本史よみものサイト「歴史屋」https://rekishiya.com/

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 大政奉還後の徳川慶喜と戊辰戦争
  2. 【日本総理大臣列伝】伊藤博文の人物像に迫る 「着飾ることを知らな…
  3. 日本陸軍の創始者・大村益次郎
  4. 西郷隆盛が西南戦争でなぜ戦ったのか調べてみた
  5. 食堂はどのようにして進化していったのか?【明治以降の食堂の歴史】…
  6. 江戸幕府最後の老中「板倉勝静」と天空の城「備中松山城」
  7. 広島が首都だった時【広島大本営と第七回帝国議会】
  8. 明治天皇に書道を教えた酔っ払い書家 〜三輪田米山の生涯

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

デュ・バリー夫人 「ギロチン台で泣き叫んだルイ15世の愛人」

デュ・バリー夫人(Madame du Barry:1743~1793)は、フランス革命前に君…

亡くなった台湾のパンダ 「団団(ダンダン)」

パンダ外交中国は、長年パンダを国際外交の道具として使ってきた。1972年、アメリカ合衆国…

劉備玄徳が母親思いだったというのは本当なのか?

・劉備母子のエピソード小説やゲーム、映画など「三国志」は長年、根強い大人気コンテンツとなって…

ナンパに勤しむ【漫画~キヒロの青春】57

若い頃は池袋に住んでいて、カラオケ店で働いていたのですが、周りがチャラ目の人間が多かったので…

承久の乱 〜「後鳥羽上皇側についた武士達の個人的理由とは?」

1221年(承久3年)三代鎌倉殿・源実朝の暗殺事件後、ついに執権・北条義時討伐の命令が後鳥羽上皇(1…

アーカイブ

PAGE TOP