幕末明治

『新選組は実は病人だらけだった』 新選組を救った食べ物とは?

新選組

画像 : 新選組の旗 publicdomain

大河ドラマやゲーム、舞台、漫画など様々なエンターテイメントで取り上げられ、幅広い年齢層に人気がある「新選組」。

血気盛んな若者たちが多く在籍していた一方で、病に臥せっていた者も多かったことをご存じでしょうか?

今回は、そんな病人だらけだった新選組を救った「ある食材」について紹介していきます。

新選組を支え続けた医者・松本良順が屯所へ

慶応元年(1865年)新選組は、壬生から西本願寺へ屯所を移します。

壬生浪(みぶろ)」と蔑まされ、京の人々から嫌われていた新選組でしたが、前年の池田屋事件(京都に潜んでいた長州藩の攘夷志士たちを新選組が取り締まった事件)や、禁門の変(長州藩が薩摩・会津・桑名藩と京都御所周辺で戦った事件)で名を挙げて一躍有名になりました。

入隊希望者が一気に増え、「訓練」という名の元で盛大に大砲を放って、隊士たちを鼓舞していたようです。
そんな西本願寺屯所に訪ねてきた人物がいました。

それが松本良順

最先端の医学を身に付けた蘭方医で、奥御医師として将軍家に仕えていた幕府お抱えのお医者さまです。

新選組

画像 : 松本良順 public domain

新選組局長・近藤勇と良順には、かねてより親交がありました。

以前、近藤の胃炎を診たことをきっかけに、良順は新選組との交流を深めたと言われています。

今回は良順が将軍に随行して京都にやってきた際に、近藤が屯所へ招いたのです。

3分の1が病人!?病に臥せっていた若者たち

新選組

画像 : 近藤勇 publicdomain

近藤と談笑した後、副長・土方歳三の案内で屯所内を見て回った良順は驚きます。

刀の腕に磨きをかけるべく修練している隊士たちがいる一方で、相当な数の隊士たちが横になっていました。
中には素っ裸で寝転がっている隊士もいたようです。

…近藤さん、こりゃあまりにも酷すぎやしませんか。武士たるもの、規律を厳しくして素行を改めるべきでしょう

うむ、先生のご説ごもっとも。しかしながら、彼らはみな病人なのです。

なんですって!?これだけの数の隊士が病気にかかっているということですか!

そうなのです。
新選組は西本願寺へ屯所を移した年の7月、「英名録」という隊士の名簿を作成していました。

名簿によると総勢134名のうち、40~50人というかなりの人数の若者が、何らかの病にかかっていたようです。

「豚を食べなさい!」養豚所と化した新選組屯所

当時、どうやら屯所内では風邪が流行っていたようですが、男所帯の不潔さも原因の一つだったようです。
掃除が行き届いておらず、部屋の汚さは相当なもの。
台所には生ごみがそこら中にあふれていました。

しかも当の病人たちは「なあに、寝たら治るさ」と医者にかかることもしていませんでした。

このような悲惨な有様を見かねた良順はすぐさま病人たちを部屋に集めて、看護の者を付けます。
そして病に臥せている者たちを医者に診てもらうように指示をして、西洋風の仮の病室を作らせたのでした。

生ごみがかなりあふれているが、これを利用して豚を飼ってみてはいかがかね。5頭ほど養って肥えてきたら隊士に食べさせるのがよろしかろう。豚は体力増強にはもってこいですぞ。

ゴミだらけだった部屋を見て良順は、このようなアドバイスを近藤に勧め、すぐ実行されました。
生ごみをエサにして豚を育て隊士に食べさせることで、栄養補給はもちろんのこと、あふれかえっていた生ごみも処理できるという寸法です。

当時はまだまだ肉食が浸透していなかったため、隊士たちは最初こそ気味悪がっていましたが、食べてみると豚の美味しさに驚いたようです。

近藤が良順を屯所に招いたのは、こういった状況を実際に見てもらい、どのようにすべきかという指示を仰ぎたかったのかもしれません。

疲労回復・集中力UP!新選組のスタミナ源となった豚肉

豚肉はビタミンB群が非常に豊富で、動脈硬化や疲労回復に効果があることが知られています。
特にビタミンBの含有量は、牛肉のなんと10倍。

白米に多く含まれている糖質の代謝を助け、スムーズにエネルギーに変換する役割を持ちます。

ビタミンBが不足すると集中力や疲労感を感じやすくなるため、激動の幕末を生きた隊士たちにとってぴったりの食材だったというわけです。

おわりに

当時、忌避されていた豚肉が、新選組の病人たちを救ったとは驚きです。
良順の適切な判断とアドバイスが無ければ、新選組を立ち直らせることが難しかったことでしょう。

西本願寺からは厄介者扱いされていた新選組ですが、良順はそんな彼らを支え続けたといいます。
彼が居なければ、新選組はまた違った最期を迎えていたかもしれません。

参考 :
信長の朝ごはん龍馬のお弁当 編集:俎倶楽部
たべもの日本史 著:永山久夫
クスリごはん ゆるゆる漢方 監修:櫻井大典
栄養学の基本がまるごとわかる事典 著:足立 香代子
風光る 著:渡辺多恵子

関連記事 : 「剣豪」から「名指揮官」に変貌した土方歳三 【日本最大の内戦~戊辰戦争】

 

アバター

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 西郷隆盛が島流しになった理由について調べてみた
  2. 徳川家の終焉を見届けた皇女・和宮 〜家茂の死、江戸無血開城、その…
  3. 福沢諭吉【やせ我慢で武士の矜持を示した幕臣】瘠我慢の説
  4. ジョン万次郎について調べてみた【英会話は得意だが文語は苦手だった…
  5. 青年期の西郷隆盛について調べてみた【西郷どん】
  6. 戊辰戦争で「賊軍」と呼ばれた男たちのその後 【後編】
  7. 夫から性感染症をうつされ、離婚…そこから日本初の公許女性医師とな…
  8. 尾高惇忠と富岡製糸場 前編 「渋沢栄一の従兄弟で義兄で学問の師」…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

原宿表参道元氣祭・スーパーよさこいとは【よさこい祭りの歴史】

よさこい祭りとは♪ 土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た よさこい よさこ…

細川忠興 「天下一気が短いと言われたイケメン武将」と美人妻ガラシャ(光秀娘)

細川忠興とは細川忠興(ほそかわ ただおき)は足利将軍家に仕えた細川藤孝の息子で、織田信長…

中世日本の物流を支配した海や川の豪族たち 「北条時政にはなぜ金があった?」

鎌倉幕府を支え、代々将軍を補佐する執権を勤めた北条氏だが、源頼朝の後ろ盾になった当初は、中クラスの豪…

『虎に翼』 寅子の覚醒!史実モデル・三淵嘉子は、なぜ裁判官を目指したのか?

朝ドラ『虎に翼』では、寅子が「裁判官にしてください」と司法省に押しかけていましたが、寅子のモデル・三…

「岡ふぐ」と呼ばれた猫肉 〜戦後日本の知られざる食の記録

日本人は仏教思想から殺生を嫌い、肉食も忌避する傾向が見られました。明治時代の文明開化によって…

アーカイブ

PAGE TOP