逆賊の幕臣

【逆賊の幕臣】勝海舟は、ライバルの小栗上野介忠順をどう評したか?

勝海舟のライバル”と言われた男

日本初の遣米使節となって新時代の文明を体感し
新しい国のかたちをデザインした江戸幕府の天才
だが明治新政府に「逆賊」とされ歴史の闇に葬られた
忘れられた歴史の“敗者”=幕臣の知られざる活躍を描く
スリリングな胸熱(むねあつ)エンターテインメント!

※NHK公式サイトより。https://www.nhk.jp/g/blog/8cyap_xmze/

令和9年(2027年)の生誕200年を記念して、初の大河ドラマ主役となる小栗上野介忠順(おぐり こうずけのすけ ただまさ)。

幕府の中から維新を推進し、新しい日本の形を描いた期待の俊英ながら、幕府と共に滅ぼされてしまいます。

明治維新の立役者であった勝海舟のライバルとも評される小栗上野介忠順を、勝海舟自身はどう見て、評したのでしょうか。

今回は、勝海舟による小栗上野介忠順の人物評を紹介。第66作NHK大河ドラマ「逆賊の幕臣」予習にどうぞ。

小栗上野介忠順プロフィール

画像:小栗忠順肖像 Public Domain

小栗上野介忠順は、文政10年(1827年)6月23日、先祖代々旗本を勤める名門に誕生します。

武士でありながら経済に明るく、勘定奉行など幕府の要職を歴任しました。

万延元(1860)年には遣米使節へ加わり、西洋列強の先進文化を体感します。

帰国後はこの知見を活かし、近代工業や軍制改革、商システムの合理化を推進しました。

後に大隈重信が「明治の文明開化は小栗の模倣であった」と評するほど、先進的な人物であったようです。

しかし、慶応4年(1868年)に戊辰戦争が勃発すると、新政府軍に対する徹底抗戦を主張する小栗は幕閣から遠ざけられ、所領に帰って隠居します。

やがて新政府軍によって捕らわれ、同年閏4月6日に斬首されてしまったのです。享年42。

小栗上野介忠順が斬られた原因は諸説あり、農兵を率いて抵抗を試みたためとも、徳川埋蔵金の在処を白状しなかったためとも言われているとか。

勝海舟プロフィール

画像:勝海舟 Public domain

勝海舟は、文政6年(1823年)1月30日、不良旗本の息子として誕生。いかにも江戸っ子なべらんめえキャラで知られています。

若い頃から剣術や蘭学を修め、幕臣としての地位を固めていきました。

戊辰戦争の際は、小栗上野介忠順とは逆に早期停戦を主張。新政府軍の西郷隆盛と会談し、江戸城の無血開城を実現します。

明治維新がなった後は参議・海軍卿・枢密顧問官など政府の要職を歴任、伯爵にまで叙せられました。

そして明治32年(1899年)1月19日、77歳で天寿をまっとうしたのです。

竹を割ったような勝海舟と、ちょっと変わり者でオタクな秀才キャラの小栗上野介忠順。二人の凸凹ぶりが本作の見どころとなるでしょう。

よくも悪くも三河武士

二人のプロフィールを踏まえた上で、勝海舟による小栗上野介忠順の評価を見てみます。

「眼中ただ徳川氏あるのみにして、大局達観の明なし」

もう徳川の世が過ぎ去ろうとしているのに、徳川幕府に対する忠義一筋で、視野が狭くなってしまっている。そんな評価でした。

または、こうも言っています。

「小栗上野介は幕末の一人物だよ。あの人は精力が人にすぐれて、計略に富み、世界の情勢にもほぼ通じて、しかも誠忠無比の徳川武士で、先祖の小栗又一によく似ていたよ。あれは三河武士の長所と短所とを両方具えておったのよ。しかし度量の狭かったのは、あの人のためには惜しかった」

優れた才能と先見の明、そして並びなき忠義を備えた三河武士を絵に描いたような傑物。その姿はあたかも祖先の小栗又一(またいち。小栗忠政)を彷彿とさせるものでした。

しかし生来のオタク気質が、徳川からの鞍替えをよしとしなかったのか、幕府の命運に殉じることとなったのです。

終わりに

画像:晩年の勝海舟。Public domain

小栗は持っている人です。身分、能力、機会に恵まれた変わり者の天才となれば鼻につく人物かもしれません。実際、無血開城の立役者、勝海舟は小栗を疎んじました。しかし小栗は官吏であり、いわゆるリーダーではありません。公の人です。そして小栗は持っている人だからこそ《個》として自由に生きることを自分には許さなかった。つねに公がなすべきことを考え、変容せざるをえない国を少しでも良くしようと邁進する。その高潔さと頑固さは清々しいほどで、混乱の世にあって希望たりえる人だったと思います。

※NHK公式サイトより、脚本家・安達奈緒子コメント https://www.nhk.jp/g/blog/8cyap_xmze/

今回は、勝海舟による小栗上野介忠順の評価を紹介しました。

惜しむべき才能を発揮しながら、滅びゆく徳川幕府に殉じる姿は、新選組にも通じる美学が感じられますね。

松坂桃李が静かに熱く演じる小栗上野介忠順。その生き方に、きっと多くの視聴者たちが魅せられることでしょう。再来年が楽しみですね!

※参考文献:
・阿部道山『海軍の先駆者小栗上野介正伝』マツノ書店、2013年7月
・佐藤雅美『覚悟の人 小栗上野介忠順伝』岩波書店、2007年3月
文 / 角田晶生(つのだ あきお) 校正 / 草の実堂編集部

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角田晶生(つのだ あきお)

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コメント

    • 金魚
    • 2025年 3月 26日 10:40pm

    ・勝海舟が「万延元年(1860年)には小栗上野介忠順と共に遣米使節へ加わりました。」という部分はご訂正を。
    勝海舟は「遣米使節」ではなく、乗っていった船も「護衛船という名目の練習航海船」咸臨丸で、日本~サンフランシスコを往復しただけ。遣米使節一行はアメリカ軍艦ポウハタン号で日本~ハワイ~サンフランシスコ~パナマ~ワシントンと航海していて、咸臨丸には使節は一人も乗っていません。参照:遣米使節の行程 http://tozenzi.com/kenbei-course.html

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