江戸時代

犬公方・徳川綱吉は本当に暴君だったのか? 【前編】

徳川綱吉とは

犬公方・徳川綱吉は本当に暴君だったのか?

画像 : 徳川綱吉 wiki c

江戸幕府開府からおよそ80年、人々を翻弄し苦しめたと言われた将軍が登場する。

それは5代将軍・徳川綱吉(とくがわつなよし)である。

天下の悪法と言われた「生類憐みの令」で「犬公方(いぬくぼう)」と揶揄された綱吉が使った金額は、今の価値にすると年間100億円とも言われている。

綱吉はなぜそんな法令を出したのか?犬公方と呼ばれた徳川綱吉は本当に暴君だったのか?前編と後編に分けて解説する。

綱吉の出自

徳川綱吉は、正保3年(1646年)1月8日、江戸幕府3代将軍・徳川家光の四男として江戸城に生まれる。

生母は家光の側室の桂昌院(けいしょういん)である。長兄の家綱がわずか11歳で4代将軍に就任し、綱吉は16歳で舘林藩25万石の藩主となる。

現在の愛知県岡崎市にある大樹寺に収められている各将軍の位牌が、遺骨から判明したそれぞれの身長と同じ高さであるという説がある。その位牌によると綱吉の身長は約124cmで低身長症だったとも言われている。一方では関係が良好でなかった6代将軍・家宣がわざと位牌を小さく作ったという説もある。(真相は未だに謎である

綱吉は人の好き嫌いが激しく、物事に執着するタイプで儒学や能に熱中していたという。

5代将軍就任

犬公方・徳川綱吉は本当に暴君だったのか?

画像 : 徳川家綱

兄の将軍・家綱は病弱で世継ぎもなく、上の兄たち2人が亡くなっていたことから、幕閣たちは早くから次の将軍候補に頭を悩ましていた。

延宝8年(1680年)5月、家綱の容体が悪化し、江戸城内では後継者についての話し合いがもたれた。
次期将軍候補として名前が挙がったのは、唯一生きていた家光の実子・綱吉であった。

しかし、綱吉就任に異議を唱える者が現れる。それは大老・酒井忠清であった。
酒井忠清は鎌倉時代に習い、朝廷から宮将軍を迎えるべきだと強硬に反対したのである。

それは綱吉に対する厳しい評価があった。

忠清は「綱吉に天下を治める器量はない、将軍となれば多くの人が困窮し天下の騒動になるだろう」と反対した。
また忠清は亡くなった綱吉の兄・綱重の子・家宣を推していた。

実は綱吉は父・家光から幼き頃に「才能があってもそれを表に出すな」という忠告を受けていた。
3代将軍・家光は、聡明だった弟・忠長と3代将軍の座を争い、悲しい結末を迎えている。綱吉の生母・桂昌院は身分が低い生まれであったこともあり、才能を隠して将軍職は長男・家綱にと決めることで兄弟間のわだかまりが消え、将軍継承が上手く行くと考えたのである。

当時、幕府内で強大な力を持っていた忠清に幕閣たちは反論できずにいたが、老中に就任したばかりの堀田正俊が「鎌倉の先例に学ぶことなどない、家康公の血を引く綱吉様がいる以上、将軍は綱吉様にすべき」だと後押しした。

また、堀田正俊は病床の4代将軍・家綱を説得して5代将軍への確約も得ていたので、忠清も反対ができなかった。

その後、兄・家綱が40歳で死去したため、ついに綱吉は5代将軍に就任した。この時35才であった。

生類憐みの令

犬公方・徳川綱吉は本当に暴君だったのか?

イメージ画像

当時は江戸市中に将軍が出掛ける際には、行列に犬や猫が迷い込まないように必ずつないでおかなければいけなかった。

しかし綱吉が将軍に就任して5年目、放しておいても構わないというおふれが出た。

これが最初に出された令だとされている。

その後、綱吉が将軍だった24年の間に生き物を保護する法令が130余り出され、これらを総称したものが「生類憐みの令」と呼ばれている。

最も多かったのが犬に関する法令だった。

「飼い主のいない犬を見つけたら餌を与えること」
「犬が喧嘩しているのを見たら水をまいて引き離すこと」
「うろつく子犬を見たら母犬を見つけること」

など、犬を見守る簡単な法令から始まり、やがては

「犬を捨ててはならない」
「捨て犬を見つけた者は養育すること」
「傷ついた犬がいる時はその町全体の過失とする」

などその内容は徐々に厳しくなっていったのである。

そして人々は綱吉を「犬公方(いぬくぼう)」と揶揄するようになっていった。

違反した者には厳罰が下された。例えば元禄9年(1696年)8月、犬を殺した大工の弟子が市中引き回しの上、斬首となり、これを告発した者には50両の褒美が与えられたという。
そのため人々は犬と関わることを恐れ、密かに犬を捨て始め、江戸の町は野犬で溢れるようになった。

困った幕府は野犬の保護を名目に幾つか「犬屋敷」を造った。現在の中野付近に造られた犬屋敷はその中でも最大で、面積はおよそ30万坪(東京ドーム約20個分)の広大なものだった。

総ヒノキ造りの小屋が290棟、その他にも餌を食べる小屋、日よけの小屋、子犬の養育所、犬の医者と役人の住まいなども造られ、10万頭もの野犬がここで飼育されていたという。

年間の運営費は10万両(現在の価値でおよそ100億円)にも及んだという。

その運営費は江戸の町民や農家が負担、さらに町ごとに野犬を運ぶ籠を用意させられるなど、この法令は庶民の重みとなり、綱吉への不満は募っていった。

ここまでだと悪い面しか見えない「生類憐れみの令」であるが、綱吉の治世はその後どうなっていったのだろうか?

後編では「生類憐れみの令」発布の真のいきさつと、綱吉の生きた元禄時代について解説する。

関連記事 : 犬公方・徳川綱吉は本当に暴君だったのか? 【後編】

 

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