江戸を代表する料理として有名なのが「寿司」「蕎麦」、そして「天ぷら」だろう。
当時から庶民の味として食されたのは有名だが、どのような天ダネがあり、どのような経緯で日本の食生活のなかに定着したのであろうか?
てんふら
文献上の天ぷらの初出は、1669年に書かれた京の医師・奥村久正による『食道記』に記述がある。
「てんふら、小鳥たたきて、かまくらえび、くるみ、葛たまり」
これは、小鳥のタタキや鎌倉海老を餡掛けにしたものらしい。しかし、この時点では「てんふら」が揚げ物とは書いていない。
さらに江戸末期の関西では、はんぺんを油で揚げたものを天ぷらと呼んだ、薩摩揚げを天ぷらと呼んだなどと諸説あるが、現在でも関西の一部では練り物を天ぷらと呼ぶことから、もともとは「練り物を油で挙げたもの」を指していたと思われる。
一方、江戸では同時期に衣揚げという言葉が出ている。
1671年の『料理献立集』において、
「どじょうくだのごとくきり、くずのこたまこを入、くるみ・あふらにてあげる」
この料理がどのようなものだったのかは不明だが、油で揚げると記述されている。
少なくとも、江戸時代の初期には天ぷらの原型「らしきもの」が現れたようだ。
天ぷらの起源
天ぷらの起源が南蛮料理にあるという話も有名である。
16世紀の中ごろに鉄砲と共にポルトガルから長崎に伝わったというが、日本は安土桃山時代である。江戸時代に「てんふら」の文字が確認される約100年も前に伝わってきていた。
ただ、この時代の天ぷらは小麦粉に砂糖や塩、酒を加えてラードで揚げたとあるので、現在のフリッターに近いものだろう。
また、当時の日本においては油は灯火用として大変高価なものだったため、庶民には手の届かない料理であった。
日本における食用油はエゴマが最初だったとされるが、ごま油も造られていた。だが、安土桃山時代までは大山崎油座(おおやまざき あぶらざ)というエゴマから生成した油を独占的に販売する商人組合が存在したため、普及が遅れたのだ。
さらに菜種油が精製されるようになってからは、ごま油と菜種油が天ぷらに使われるようになった。
油
天ぷらの語源だが、これも諸説ある。
キリスト教で四句節という、キリストの断食を起源とした「肉を食べない」期間があった。
それをポルトガル語では「クアトロ・テンプラシ」というため、転じて魚介類の揚げ物を「天ぷら」と呼ぶようになった説などあるが、スペイン語・イタリア語・ポルトガル語など外国語を由来とした説が多い。
揚げ油にも違いがある。
天ぷらが庶民の味となった背景には、先述した油商人組合の衰退があるが、関東と関西では使用する油が違う。関東では卵入りの衣をごま油で揚げることで、キツネ色に揚がる。一方関西では卵は使わず、衣をつけて菜種油で揚げるので仕上がりは白い。
どうも関西で広まった天ぷらは野菜中心だったために、自然の味を損ねないように菜種油で揚げて塩をつけて食べていたようだ。
それが関東、というより江戸に伝わり日本橋の魚河岸で水揚げされた魚介をごま油で揚げるようになった。ごま油は魚の臭みが抑えられるためだ。
タネ
※江戸時代の天ぷら屋台。
さて、肝心のタネなのだが、1748年に発刊された『歌仙の組み糸』では、
「てんふらは何魚にても温飩(うんとん)の粉をまぶして油にて揚げる也、菊の葉、牛蒡、蓮根、長いも、その他も温飩の粉を水醤油でとき、塗りつけて揚げればてんふらになる」
と書かれている。
つまり、「天ぷらはどんな魚でもうどん粉(小麦粉)をまぶして油で揚げればいい。その他にも菊の葉、牛蒡、蓮根、長いもなどをうどん粉を水と醤油で溶いたものに付けて油で揚げれば天ぷらになる」ということだ。
9代将軍・徳川家重の時代の話である。
この頃には、現在のような天ぷらが屋台という形で江戸の町に広まっており、タネも江戸前の魚介が主であった。江戸末期の資料によると、穴子、芝海老、コハダ、貝柱、するめ(いか)などがあった。これらは串に刺す形で提供され、庶民も気軽に食べる「おやつ」のような位置にあったという。
しかし、現代のように衣をサクッと揚げるには火力がいる。江戸時代の屋台では難しい。当時の衣は厚さもあったようなので、ゆっくりと時間を掛けて挙げたようだ。そのため、天つゆや大根おろしを用いることで油のくどさを緩和させた。
このように、江戸の前期から中期にかけて、天ぷらはほぼ現在のような形になったのである。
高級料理へ
天ぷらが座敷で食べられるようになったのは、江戸末期といわれている。
それも幕末に近い時代のことで、この頃には調理法もより洗練され、料理店で出しても恥ずかしくない高級料理へと変わった。
その際には、屋台の天ぷらとの差別化を図るため、高級食材であった卵黄と小麦粉で衣を作った「金ぷら」なるものも登場している。
調理法についての詳細は不明だが、屋台に比べてより高温で揚げることができるため、衣も薄くサクッと仕上げられるようになったと思われる。さらに油の精製技術の進歩もあるだろう。
最後に
生でも食べられる食材にひと手間加えて料理にするというのは、良く考えると贅沢な話である。しかし、江戸時代の庶民からすれば、焼く、煮るの他に「油を使って揚げる」というところがちょっとした贅沢だったのではないか。
現代のように肉が食べられないからこそ、食感も含めて新鮮だったに違いない。
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