江戸時代

【代々続いた江戸の首斬り執行人】 山田浅右衛門とは

山田浅右衛門(やまだあさえもん)とは、江戸に存在した斬首の執行人である。

執行人とはどのような存在だったのだろうか。

江戸時代の斬首刑

山田浅右衛門は、江戸から明治時代にかけて斬首の処刑執行を行っていた人物である。

山田浅右衛門とは

画像 : 8代目山田浅右衛門

といっても名前は襲名制であり、山田家の当主が代々名乗っていた。
それは9代に渡り、初代は山田浅右衛門貞武、2〜9代目は吉時、吉継、吉寛、吉睦、吉昌、吉利、吉豊、吉亮となっている。

現代の死刑法は絞首によるものだが、江戸時代では斬首刑が行われていた。それは群衆が見守る中で行われ、「一罰百戒」という1人を罰することで多くの人々の戒めにして犯罪抑止を狙うというものであった。

斬首刑に値する罪は、大金の窃盗や強盗、殺人、不義密通(不倫)であった。

同じ斬首刑でも罪の重さによって方法が違っていた。軽い順番から紹介すると、

下手人・首を斬られるのみ。
死罪・首を斬られた上に試し斬りされる。
獄門・市中引き回しされ、首を斬られた後に試し斬りされて、最後は晒し首にされる。

これらの他にも、磔の刑火炙りの刑、そして鋸挽き(のこぎりびき)の刑がある。

鋸挽きの刑とは、罪人を市中引き回しにして晒し者にした後、首から下を土中に埋めて側に鋸を置き、通行人や被害者の親族等で挽きたい者がいれば、罪人の首を鋸で挽いて良いというものだった。

刑自体は戦国時代以前からあったものだが、あまりに残酷なために江戸時代では形式的に鋸を置くだけで、実際に挽くことはなかった。

斬首について

山田浅右衛門とは

『平治物語絵巻』(13世紀後半、ボストン美術館蔵)より、首を切られる三条殿の武士

斬首刑とは、日本刀で首を一刀両断するという方法だが、これはかなり技術が必要だった。

人の首は頭を支えるために細かく硬い骨が集中している。さらに食道、脊髄などもあり首を1撃で斬り落とすことは容易では無い。1撃で終わることが出来ないと罪人が大量の血を流しながら、激痛で暴れてしまうことになる。

そのため、確かな腕が無い人間が執行する時には、罪人の手足を押さえてから行われていた。

江戸時代になると戦が無くなり、人を斬るという機会はほぼ無くなった。そのため斬首をする役割として生まれたのが御様御用(おためしごよう)である。

御様御用とは、将軍の佩刀や装身具、および諸侯から献上されたり逆に下賜する刀などの一切を掌る「腰物奉行」という職の配下にあるもので、刀の試し斬りを担当する職だった。

刀の試し斬りには、罪人の体を使っていた。将軍の佩刀を試し斬りすることは重要な仕事であり、人体で確認する必要があったのである。

山田浅右衛門、誕生

かつて豊臣秀吉の配下だった谷衛好(たにもりよし)は、試し斬りの腕が良く独自の試刀術を編み出し、その術が子や弟子に伝わり「谷流」という流派に至った。

江戸初期の頃は試し斬りの名手・中川重良が知られており、重良は谷流で腕を磨いたという。しかし試し斬りの専門家としては重良の弟子・山野永久が始まりとされていて、試し斬りの数は6000人にも上るといわれる。

その永久の子・久英の代から正式に御様御用として職に就き、試し斬り役として働き始めたと同時に、斬首刑の執行人も正式に行うようになったとされている。

しかし久英の後は首斬りの技量を持つ者が現れなかったため、山野家の弟子達が御様御用を務め始めた。

その中の1人が浪人であった初代・山田浅右衛門貞武であった。

貞武は自身の子にも御様御用を継がせたいと幕府に頼み込み、これが許可されたことから代々御様御用と斬首刑の役を務める山田家が誕生したのである。

高技量の斬首執行人

山田浅右衛門とは

居合(イメージ画像)

貞武は永久の弟子として居合を学んでおり、試し斬りの達人だった。役目に就いていた9年間で1500人を斬ったとされる。

貞武からその後9代まで浅右衛門が続くが、その中で自身の子に継がせたのは2回だけだったという。

理由としては、子に技量が足りなかった場合は優秀な弟子に継がせた事と、罪人とはいえ人の首を斬る仕事を我が子にさせる事をためらった為とされている。

処刑人としての給与は大したものではなく、また浅右衛門は幕府の家臣ではなく、主君を持たない浪人だった。

なぜ浪人だったのか?

5代目浅右衛門吉睦の記録によると、将軍徳川吉宗の時、2代目浅右衛門吉時が試し斬りをした刀を、吉宗が手に取り確認する場面があった。この際に吉時が将軍に幕臣になることを求めれば取り立てられたはずだったが、そうしなかったために浪人のままとなった。

これが前例となり、浪人の浅右衛門が御様御用に就く慣習になったとされている。

浅右衛門の暮らしと様々な副業

浪人のままである山田家だが、その暮らしは小規模の大名と同じくらい裕福であった。

なぜかというと、江戸時代は平和で人を対象とした試し斬りは簡単では無かった。そのため江戸で刀の切れ味を試すには浅右衛門に依頼するしかなかったからである。

腕も確かであり、その刀の価値(すなわち切れ味)を正確に鑑定するには浅右衛門に頼むのが確実だった。

切れ味は4ランクに分かれており、上から「最上大業物」「大業物」「良業物」「業物」の4つとなっていた。これら以外にも切れ味を表す言葉で「三ツ胴」というのがあり、これは文字通り死体を3体重ねて斬り落とすことが可能な切れ味であり、多くて7体の「7ツ胴」までの記録が残っている。

各地の大名、裕福な愛刀家等からの依頼も多く、礼金もかなりのものであった。

他には薬を作り販売も行っていた。なぜ薬かというと人間の死体から材料がとれたからである。当時は結核には人肉が効くとされ、浅右衛門は処刑し試し斬りした死体の肝臓や脳から薬を作り「人胆丸」という名前で販売していた。この薬も良く売れ、大きな収入となっていたのである。

他には、遊女は相手を特別だと示すために小指を贈る風習があり、自身の小指では支障があるため、浅右衛門は遊女に罪人の小指を売っていた。

浅右衛門は裕福な暮らしの中でも、罪人の供養のために惜しみ無く資産を使っていたという。

6代目の吉昌が建てた供養塔・髻塚(もとどりづか)は、今も東京池袋の祥雲寺に存在している。

画像 : 祥雲寺

他には、生活に困窮している人々のためにも資産を使っていた。

また当時は辞世の1句を残す罪人もいたため、意味を理解するために自らも句を学んでいたという。

浅右衛門の逸話と最期

7代目の吉利は歴代の中でも特に腕が立ち、遠山金四郎景元土方歳三も刀の鑑定を依頼した。

吉利は、執行人として吉田松陰橋本左内を斬ったことでも知られている。

その腕前の逸話も多く、罪人の首の上に置いた米が首と共に斬れたという話や、雨に濡れるのを嫌がった罪人のために左手で傘を持ち、右手だけで首を斬ったという話もある。

性格は優しく、晩年は困っている人に食事や服を与えていた。毎朝縁の下のネズミと軒下のスズメに餌をやり、吉利が手を叩くと出て来るようになったというエピソードもある。

代々斬首執行を行ってきた浅右衛門だが、明治時代に入ると当初は東京府囚獄掛斬役という役職で執行人を務めていた。しかし次第に罪人の死体を使った試し斬りやその死体を使った薬の販売が禁止されていった。

さらに死刑は斬首から絞首刑に変わり、浅右衛門の存在は必要ではなくなり、9代目吉亮でその役目を終えたのである。

その後、吉亮は1911年まで生きて、四谷の床屋で脳溢血で急死した。享年58であった。

浅右衛門は試し斬りや斬首といった役割の一切を担う、現在では考えられない特殊な存在であった。しかし罪人の供養や人助けにお金を使い、浪人の立場を代々維持するなど、残酷な仕事の業の深さを重々理解したプロ中のプロであった。

 

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