江戸時代

【27回結婚した女性も】バツイチ、出戻り当たり前! 江戸のトンデモ結婚事情

永遠の愛を誓いますか?

教会の結婚式で有名な牧師さんの言葉ですが、実際にこの言葉でパートナーと誓いを交わした方も多いでしょう。
しかし、現代では3組に1組は離婚すると言われており、離婚や再婚は珍しいことではなくなってきました。

そして驚くことに、江戸時代は離婚・再婚事情は今より激しかったようです。

今回の記事では江戸の結婚事情について紹介します。

幕府が再婚を奨励していた!バツイチ、出戻りを繰り返す江戸の女性たち

江戸のトンデモ結婚事情

画像 : 三定例之内、婚礼之図 publicdomain

江戸時代、女性にとって再婚するのは難しいことではありませんでした。
当時、江戸の町は男性の数が女性を上回っており、男性余りだったためです。

幕府は「女性はなるべく2度以上結婚してね」と奨励し、男性が一度でも結婚を経験できるように配慮をしていました。

そんなわけで江戸ではバツイチの女性なんて当たり前。
それどころかバツ3、バツ4、バツ5、バツ6…といった女性も珍しくなく、むしろ経験豊富で貴重であるとされたようです。

バツイチが珍しくない社会だったので、出戻りも当然おかしいことではありません。
親は「辛かったらいつでも帰ってきて良い」といった具合で娘を嫁に送り出します。
そして何回帰ってきても恥ずかしいことではなく、快く迎え入れてくれたようです。

ちなみに江戸では出戻りとは呼ばずに「元帰り(もとがえり)」や「呼び戻し」と呼んでいました。

27回結婚した女性も?年を重ねても引く手あまただった

江戸のトンデモ結婚事情

イメージ画像

昔の女性は13歳から結婚できて、多くの女性は20歳くらいまでには既に家庭に入っていました。
20歳を過ぎると「少し行き遅れたかな」くらいの印象で「年増」と呼ばれます。
そして25歳で「大年増」、30歳で「姥桜(うばざくら)」と呼ばれたようです。

現代の平均初婚年齢は30歳前後ですので、かなり早婚だったことが分かります。

こういった呼称があることから、女性の年齢に対して男性はかなりシビアだったのでは?と考えてしまいますが、実際はそうでもありませんでした。

年齢にこだわる男性はかなり少数だったようで、奥さんが自分より一回り以上年上の姐さん女房であろうと抵抗はなく、周りからも特別おかしいとは思われませんでした。

ちなみに浮世草子「世間娘気質(せけんむすめかたぎ)」という当時の女性の性格を描いた短編小説集には、なんと10代後半から46歳までに27回結婚した女性の記録が記されています。

江戸のトンデモ結婚事情

画像 : 世間娘気質 CC BY-SA

彼女は驚くべきことに27人のこどもを設けており、結婚相手が変わるたびに妊娠、出産を繰り返していました。

もし少子高齢化が進む現代にいたら、国から表彰されそうな女性です。

事実だったのかはわかりませんが、当時はこうした作品が違和感なく受け入れられる結婚観と文化だったことがわかります。

三行半はたたきつけるのではなく奪い取るもの

これだけ結婚、離婚を繰り返していた江戸の女性ですが、離婚する際には必ず「三行半(みくだりはん)」という離縁状が必要でした。
そもそもなぜ「三行半」と呼ぶのかというと、文面が3行と半分だったためです。
明確な規定があるわけではないため、実際には3行ちょうどでも4行でも問題ありませんでした。

内容は要約すると

一身上の都合により、こちらの勝手な事情でお暇をあげます。今後誰と再婚しようと一切関与はしません

といったものが多かったようです。

つまり三行半とは、離縁状であり再婚許可証でもあるのです。

これがないと女性は離婚しても次の男性と再婚ができないため、女性は必ず男性から貰う必要がありました。
三行半をたたきつける」なんて表現がありますが、これは正確には男性が女性に叩きつけるものではなく、女性が男性から奪い取るものなのです。

ちなみに当時は女性の再婚が当たり前だったため、結婚するとき「この人、なんか浮気しそうだな」と不安に思った際は「先渡し離縁状」を書いてもらうことも可能でした。

つまり、離縁状をあらかじめ預かることを条件に結婚するというわけです。

離婚ありきで結婚するなんて、現代の感覚から考えるとすごい時代ですね。

ドレスアップもお色直しもなし!簡略な結婚式

結婚式にはドレスアップしてお色直しをして披露宴をして…と一大イベントになっている現代とは違い、江戸の結婚式はかなり簡略化されたものでした。

普段着で親戚たちが集まって、大家さんが立ち合いをしながら、長屋でお酒を飲みまわして終わりです。
花嫁衣装なんてものはありません。

しかし、江戸の町には女性が少なかったうえ、一部の金持ちが複数の女性を独占していたため、「○○のところへ嫁さんが来るぞ!」なんてことになったら周囲は羨ましかったようです。

そこら中から人が押し寄せ、まるで宝くじに当たったかのような大騒ぎになりました。

自由恋愛は庶民の特権?格式ばった武家の結婚

しかし、こういった自由な結婚はあくまで庶民の話。

イメージ画像

武家の娘は、二度敷居をまたぐことは許されなかったと言われています。
また、出戻りも「二夫(にふ)にまみえず」と、かなり厳しく禁じられていました。

さらに結婚自体も「本人たちの結婚」というよりは「家同士の結婚」という側面が強く「家の格がつりあっているか」など細やかな条件をクリアする必要がありました。

旗本や大名クラスになってくると、将軍の許可まで必要になってきます。

自由恋愛は庶民の特権だったのです。

おわりに

再婚を繰り返したり、離縁状を条件に結婚したり、挙式をしなかったり…と、現代とは全く違った江戸の結婚事情に驚いた方も多いでしょう。

多様性が叫ばれる今こそ、江戸で生きた彼女たちの自由な姿勢や考え方を学ぶことで、多くの気づきや発見を得るヒントになるかもしれません。

日本史の新事実70 著:浮世博史
お江戸でござる 監修:杉浦日向子 構成:深笛義也
落語で読み解く「お江戸」の事情 監修:中込重明

 

アバター

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 小田原梅まつりに行ってみた
  2. 真田幸村の生涯 「日本一の兵」と呼ばれた男の前半生~
  3. 豊臣五奉行・増田長盛【豊臣家を滅ぼした元凶?】
  4. 日本地図を作った男・伊能忠敬 「緯度の誤差は千分の一」
  5. 一戸三之助 「戦国乱世に生まれていれば…武芸十八般を究めた剣豪」…
  6. 【影の薄い将軍】 4代将軍・徳川家綱は、本当にダメ将軍だったのか…
  7. 江戸時代の日本は本当に「鎖国」をしていたのか?
  8. 塙保己一は何をした人?渋沢栄一に匹敵する埼玉県「三大偉人」の苦難…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

『台湾で何が起きているのか』義務兵役復活、市民が銃を学ぶ、避難用シェルター検索アプリ

台湾海峡での緊張が高まる中、台湾社会は有事に備えた具体的な変化を遂げている。政府は市民の安全…

北条早雲(後北条氏)が北条義時(執権北条氏)の末裔説って本当?『系図纂要』を読んでみた【鎌倉殿の13人】

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で活躍している北条義時(演:小栗旬)。鎌倉幕府の重鎮として次々と政…

平安400年間で花開いた国風文化の凄さとは 「ひらがな・カタカナの誕生」

奈良時代には大陸からもたらされた文化が色濃く残っていましたが、894年に遣唐使が廃止されると、日本独…

【NHK大奥】三浦透子が演じたひきこもり将軍家重は、植物を愛する超イケメンだった

NHKドラマ10『大奥』で三浦透子さんが演じた第9代将軍、徳川家重(いえしげ)。名君である実…

古事記 ~人々が地上に現れる以前の神代の物語

現存する日本最古の書物「古事記」。天武天皇が編纂を命じ、奈良時代の初期である712年(和銅5…

アーカイブ

PAGE TOP