NHKの大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』。
江戸時代の出版文化の黎明期、本作りに大奮闘する蔦谷重三郎を中心に、新吉原で働く遊女たちや「忘八」と呼ばれる妓楼主、この時代の本屋たちや絵師、そして徳川家など、いろいろな人々が関わって物語を紡いでいます。
そんななか、第6回放送「鱗剥がれた『節用集』」で話題になったのが「キンキン(金々)野郎」と呼ばれる吉原の客でした。
「キンキン野郎」はいわゆる吉原で「モテない客」の代表格。ファンションや髪型こそ違えども、江戸時代も現代も「モテない客」の理由に相通じるところがあるのは興味深いところです。
「キンキン野郎」とは、いったいどんな人たちだったのでしょう。
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画像 : 先の細い本多髷スタイルの客たち。礒田湖龍斎 public domain
客脚が戻った吉原に増えてきたものの……
安永4年(1775)頃のこと。蔦屋重三郎が初めて自分で作って販売した本『一目千本(ひとめせんぼん)』が大ヒットしました。
この本は吉原遊女のガイドブックで、以前に制作に携わった『吉原細見』とは違い、各妓楼の遊女たちを「花」に例え、浮世絵師・北尾重政が描いた絵本になっていました。
「◯◯屋の遊女◯◯は牡丹のように美しいのだろうか」といったように、遊女の特徴を花の絵で表現することで、読者はその姿を想像しやすくなっていました。
その結果、多くの人が『一目千本』を手に、吉原へ足を運ぶようになったのです。
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画像 : 『一目千本』を描いた北尾重政の描く「芍薬」と「四十雀」public domain
さらに、取り戻した客脚を増やそうと、遊女たちに美しい着物を着せて描いた錦絵集『雛形若菜初模様』も大ヒット。
吉原に客脚が戻り、連日賑わいをみせるようになりました。
客が増えれば増えるほど、中には歓迎されない客も増えるのが世の常です。
そうして、吉原には「キンキン野郎」と呼ばれる厄介な客が増えてしまったのでした。
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画像 : 鳥居清長 「雛形若菜の初模様・あふぎや内たき川」public domain
病み上がりでほっそりと見せるヘアスタイルが流行った
「キンキン野郎」とは、いわゆる当世風の装いでばっちりとキメた(と本人は思い込んでいる)客のこと。
ちょっと周囲が「やり過ぎだろう」と感じてしまうくらいにキメキメなのが特徴です。
たとえば、髪型は「疫病本多(やくびょうほんだ)」という、古来のスタンダード「本多髷(まげ)」をアレンジしたスタイルを好んでいました。
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画像 : 「疫病本多」のイメージ 図:©️桃配伝子
髪をすいて量を減らし、細長くした髷を「ネズミの尻尾」のように尖らせて結う髪型で、「病み上がりのようにほっそり痩せて見える」と評判だったそうです。
現代の感覚では「病み上がりがかっこいい」とされるのは不思議に思えますが、当時は「細身に見せる」ことが「いなせな着こなし」と考えられていたとか。
現代では筋トレで鍛え上げられた肉体美も人気ですが、江戸時代は労働力が重要視される時代でした。町には陽に灼け、鍛え上げられた肉体を持つ男性労働者が多くいたため、逆に希少価値である「細くて色白のやさ男」がモテた……という説があります。
そのため、髪型もほっそりと見えるように整え、着物も身幅をやや狭く仕立てることで、スリムな男前を演出するのが流行したようです。
ちょうど蔦重が吉原のガイド本『一目千本』を制作した翌年の安永5年頃、長崎で始まったコレラが7月には江戸にも襲来し、死者だけでも3〜4万人もでました。
「病を克服したけれども、まだ病み上がりなのでほっそりしている男」がモテたのは、こうした社会背景も影響していたのではないか、ともいわれています。
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画像 : かごに乗って吉原にやってきた派手な装いの客。豊原国周 public domain
引き摺るほどの長い着物や目ばかり頭巾も
「キンキン野郎」は「疫病本多」の髪型だけではなく、派手な柄の着物を好み、大奥の奥女中のように裾を引きずるほど長い着物を着るなど、とにかく目立つ装いをしていたようです。
また、「目ばかり頭巾」と呼ばれる頭巾も好んでいました。
これは頭と顔全体を覆い、目だけを出すようにしたもので、別名「強盗(がんどう)頭巾」とも呼ばれていました。
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画像 : 頭巾イメージ public domain
もともと吉原では、顔や身分を隠したい人が使うものとされていましたが、やがておしゃれアイテムとして流行したそうです。
現代風にいえば、帽子を目深にかぶり、黒いサングラスをかけて変装した人気芸能人を気取ったスタイルですが、本人はイケているつもりでも、周囲からは「自意識過剰な格好」と受け取られていたようです。
ドラマ内では、洒落者とされる駿河屋(高橋克実)の実子であり、蔦重(横浜流星)の義理の兄である次郎兵衛(中村蒼)が、「目ばかり頭巾」をかぶった客を見て、「どっかの半可通(はんかつう)にでも教えられたのかねぇ。(吉原に)かぶって行くのが通(つう)だって」と大笑いする場面がありました。
本人は小洒落ているつもりでも、どうにもさまにならないその装いは、遊女にはまったくモテなかったそうです。
遊郭で「通を気取る」ものの、誰が花魁なのかすら分からず、本人はかっこいいつもりの装いや髪型も粋ではない。べらべらと自慢話をするけれどおもしろくない、浅い知識をひけらかす……
こうした特徴が「モテない客」に共通していたようです。そのまま、数百年の時を経た現代にも通じるのが興味深いところです。
そんな彼らは、口の悪い遊女たちから、「今面白いネタ? そりゃやっぱりキンキン野郎たちでありんしょうなあ!」「でもソッチはキンキンじゃないざんすよ!」などと、容赦なく毒舌を浴びせられていました。
このような「キンキン野郎」は、いいかげんな通人として「半可通」と呼ばれていたのです。
「きんきん野郎」を主人公にした『金々先生栄華夢』
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画像 : 『金々先生栄花夢』で黄表紙といわれるジャンルを開拓した恋川春町(狂名は酒上不埒)public domain
「キンキン野郎」の「金々」という言葉は、もともとは当時の流行語で、「欣々」と書いたそうです。
洒落本『胡蝶の夢』には、「人が身なりや恰好のよさに満足し、喜ぶさまを見せること」とあります。そこから「金々」という字があてられるようになり、さらに今風でしゃれていることを指すようになったと伝わっています。
この「キンキン野郎」を主人公にした物語が、『金々先生栄華夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』という作品です。
ドラマ『べらぼう』では、蔦重と鱗形屋孫兵衛がアイデアを出していましたが、実際には安永4年(1775)、鱗形屋から武士であり戯作者・浮世絵師でもあった恋川春町によって、新しいタイプの青本として売り出されることになります。
『金々先生栄華夢』は、「思い切り遊んでやろう!」と田舎から江戸へ出てきた金村屋金兵衛という男が繰り広げる不思議な物語です。こちらについては、またの機会にご紹介したいと思います。
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画像 : 『金々先生栄花夢』に登場する粟餅。(京都澤屋の粟餅)wiki c 今紫
参考:
『江戸の衣装と暮らし 解剖図鑑』菊地ひと美
『江戸の色町 遊女と吉原の歴史 ―江戸文化から見た吉原と遊女の生活』安藤優一郎
文 / 桃配伝子 校正 / 草の実堂編集部
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