昔から「女の『見るな』は絶対見るな」などと言われたものですが、とかく女性が『見るな』と言った場合、フリとかそういうものではなく、見てしまうと本当にロクなことにならないのがお約束。
伊弉冉(イザナミ)しかり、豊玉姫(トヨタマビメ)しかり……鶴の恩返しや、浦島太郎の玉手箱なんかもそうですね。
今回はそんな一つ、平安時代の説話集『今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)』より、「美濃国紀遠助、値女霊遂死語」を紹介。
これは「みののくにのきのとほすけ、をむなのりやうにあひてつひにしぬること」と読み、もうタイトルからしておどろおどろしいですが、この紀遠助(きの とおすけ)、果たしてどんな末路をたどるでしょうか。
見てみたいですか?もしかしたら、見ない方がいいのかも知れませんが……。
怪しい女に呼び止められて……
今は昔、紀遠助が京都でのお勤めを終えて、地元の美濃国生津荘(現:岐阜県瑞穂市)へ帰ろうとしていた時のこと。
遠助が勢田の橋(現:滋賀県大津市)までやってくると、橋の上に見るからに怪しげな女が一人、立っていました。
(薄気味悪いな……君子危うきに近寄らず、だ)
と、スルーを決め込んだ遠助でしたが、女は(馬上にいる)遠助の裾を掴んで声をかけます。
「もし。あなたは、どちらへいらっしゃるのでしょうか」
こうなったら無視はできません。仕方なく遠助は馬から下りて「美濃へ参る」答えました。
すると女は「言付けをお願いしたいのですが、よろしいでしょうか」と言うので、これを遠助が引き受けると、女は懐から絹で包んだ小箱を取り出して渡します。
「この箱を、方県の郡(かたがた。現:岐阜県岐阜市)の唐の郷(もろこしのさと。異境の含意≒外れか)の段の橋(きだのはし)のたもとに持って行き、橋の西のたもとに女房が待っていますから、その者にお渡し下さい」
【原文】「此ノ箱、方県ノ郡ノ唐ノ郷ノ段ノ橋ノ許ニ持御シタラバ、橋ノ西ノ爪ニ、女房御セムトスラム。其ノ女房ニ、此レ奉リ給」
【読み】このはこ、かたがたのこおりのもろこしのさとのきだのはしのもとにもておはしたらば、はしのにしのつめに、にょうぼうおはせむとすらむ。そのにょうぼうに、これたてまつりたまへ
通常、日本語で「~の、~の、~の……」と続けることはあまりないのですが、ちょっと特徴的だったので原文を引用しました。
この言葉遣いも、女のただならなさを表現していたのかも知れません。遠助もそれを感じたようで、後悔したが女の様子があまりに怖ろしくて、断るに断れません。
【原文】遠助、気六借ク(きむつかしく。借は原文ママ)思エテ、由無キ(よしなき)事請(ことうけ)ヲシテケルト思ヘドモ、女ノ様ノ気恐シク(けおそろしく)思エケレバ、難辞ク(いなびがたく。辞し=否みがたく)テ……
仕方なく箱を受け取った遠助でしたが、疑問を女に投げかけます。
「その橋のたもとに女房がいると言っても、誰に渡せばよいのか。もし会えなかったら、その者をどうたずねればいいのか、そしてこの箱は誰からと言えばいいのか」
遠助の疑問はごく当然と言えますが、女はハッキリと答えました。
「とにかくその橋にいらっしゃれば、その箱を受け取りに間違いなく女房がやって来ます。彼女は今も待っています。ところで、決してその箱を開けて中身を見てはなりませぬぞ……」
【原文】(前略)……但シ、穴賢(あなかしこ)、努々(ゆめゆめ)此ノ箱開テ不見給ナ(みたもうな)
「……は、はい」
こうして女は去って行きましたが、その姿は遠助にしか見えておらず、つき従っていた下人たちは、いきなり遠助が馬から下りて、明後日の方向を向いて何かブツブツ言っているようにしか見えなかったそうです。
開けてしまった箱の中には……
さて、怪しい女から箱を受け取った遠助でしたが、道中そのことをすっかり忘れて方県郡をスルー。地元まで帰って来てしまいました。
「あ、いけね。この箱を持っていくように頼まれていたんだった。気味が悪いから、今度さっさと持っていかなくちゃ……」
とりあえず箱をしまったおいた遠助でしたが、うっかり誰かが開けたら大変……そこで遠助は、妻に「これは他人様からの預かりものだから、決して開けないように」と伝えます。
これで大丈夫……と思ったら大間違い。妻は「あれはきっと、他の女へお土産を買ってきたのに違いない」と嫉妬して、遠助の外出中にその箱を開けてしまいました。
「ぎゃあ~っ!」
箱の中は……
【原文】人ノ目ヲ捿(くじり)テ数(あまた)入レタリ。亦、男ノ𨳯(まら。男性器)ヲ毛少シ付ケツゝ多ク切入レタリ。
【意訳】人間の目玉をえぐり出したものがたくさん入れてあり、また、切り取った男性器(陰毛つき)も多く入れてあった。
……というありさま。あまりの奇異(あさまし)い惨状に震えあがった妻は、帰宅した遠助にこれを報告。
「可哀想に……しかし、あれほど『見るな』と言ったではないか……」
【原文】「哀レ、不見マジ(みるまじ)ト云(いひ)テシ物ヲ、不便(ふびん。不憫)ナル態カナ」
ともあれ、こんな恐ろしいものはさっさと渡してしまうに限る……という訳で、遠助は箱を急いで包み直し、いつぞや女の言っていた橋のたもとへ持って行きました。
すると、女の言っていた通りに女房が現れたので、何事もなかったかのように包みを渡しますが、女房は箱を一瞥するなり
「この箱を、開けましたね……?」
【原文】「此ノ箱ハ、開テ被見(みられ)ニケリ」
遠助は慌てて「いや、そんな事はしておらぬ(原文:更ニ然ル事不候ズ/さらにさることさぶらはず)」と弁解しますが、そんな嘘などお見通し。
「何と言うひどいことを(原文:糸悪シクシ給フカナ)……」
と恐ろしく怒りながら箱を受け取り、女房は立ち去っていきました。
「あぁ……具合が悪くなってきた(原文:心地不例ズ)……」
帰宅した遠助は間もなく体調を崩し、病床に臥してしまいます。
「あぁ、あれだけ『開けるな』と言った箱を、勝手に開けてしまって……」
【原文】「然許(さばかり)不開マジ(あくまじ)ト云シ箱ヲ、由無ク(よしなく)開テ見テ」
恨み言を遺して、遠助は死んでしまったのでした。
終わりに
以上が「美濃国紀遠助、値女霊遂死語」のあらすじで、『今昔物語集』では「だから女の嫉妬はロクなことにならないのだ」「この話を聞いた人々は、口々に妻を非難した」と締めくくっています。
しかし、死ななくてもよい命を落としてしまったとは言え、遠助に非がないかと言えば、
一、嫌だったら最初から女の依頼を断ればよかったではないか
一、受けたのであれば、忘れずさっさと渡せばよかったではないか
という落ち度もあり、やはり「君子危うきに近寄らず」「女の『見るな』は絶対見るな」に尽きるでしょう。
※参考文献:
- 森正人 校注『今昔物語集 五 新日本古典文学大系37』岩波書店、1996年1月
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