平安時代

戒律か、母の命か…『前賢故実』に名を残した“名もなき英雄”僧某(ナニガシ)のエピソード

よく「歴史に名を刻む」などと言いますが、いくら名ばかり刻んだところで中身がともなわなければ空しいものです。

逆に、その振舞いや事績が高く評価され、後世の亀鑑と伝わることも少なくありません。そういう人物こそ、まさに「名もなき英雄」と言えるでしょう。

今回は明治時代に描かれた歴史人物画伝集『前賢故実』より、とある僧侶(僧某)のエピソードを紹介。果たして彼は、何をしたのでしょうか。

戒律か、母の命か

今は昔し、白河上皇の時代(※)。僧某(そう なにがし。以下ナニガシ)は大層な孝行者で、母と一緒に暮らしていました。

(※)応徳3・1087年~大治4・1129年の間。平安時代後期に当たります。

母はどういう訳か生魚しか食べられないようになってしまい、ナニガシは仏に仕える身でありながら、魚を買いに行ったそうです。

今日も今日とて魚を買いに(イメージ)

「お坊さんのくせに魚を買うなんて、とんでもない生臭坊主だな……」

「違う、これは母が食べるのです」

「はいはい、ナニガシさんは大層な親孝行ですねぇ……」

そんなある時、白河上皇が殺生を禁じたため、漁師は商売あがったり。魚が買えなくなったため、母は何も食べられず、とうとう餓死してしまいました。

「母上……」

ナニガシは悲しみにくれながら葛藤します。

仏の教えを守って我が身はいまだ清らかであるが、そのため母は死んでしまった。これは我が身かわいさに母を見捨てたとは言えまいか。ここは罪に穢れても、母に一尾なりとも魚を供えるのが子供の務めではなかろうか……。

決心したナニガシは桂川へ出かけ、自分で魚を捕ることにしたのでした。手を汚すことは他人にさせながら母に孝養を尽くそうという中途半端な態度が、母を死なせてしまったのだ。

母に魚をあげたいなら自分の手を汚し、我が身を穢す覚悟をもってこそ、真の親孝行ではないのか……よし!

一念発起したナニガシは、錐(銛)を手に桂川へ向かいました。何をするのかって?知れたこと。自分の手で魚を獲って、母の墓前に供えるのです。

魚を獲る僧某。菊地容斎『前賢故実』より

「こら、何をしておる!」

ナニガシが魚を捕らえたところ、巡回の役人に逮捕されてしまいました。せっかく獲った魚も当局に押収されます。

「……申し開きはあるか」

訊問に対して、ナニガシは

「法が殺生を禁じているのは承知しており、それを遵守せんとの気持ちは私も変わりません。まして私は仏に仕える身であり、戒律を破った罪と合わせてきちんと罰を受ける所存です。今回の犯行に及んだ動機は、病の母に食べさせたかったからです。私は魚を錐で突き殺しましたが、母が一箸でも食べてくれたなら、我が身に錐を一万回突き立てられようと後悔はございません」

などと供述しました。これを聞いた役人は感激して白河上皇へ上奏(報告)。上皇はいたく感動され、手厚く褒美を与えた上で釈放したということです。

終わりに

僧某不詳名字。事母至孝。家甚貧。其母嗜生魚。無則不能下箸。僧常買而羞爲。時   白河上皇厳禁屠殺。不能得魚。母頗絶食。疲憊我死。僧不堪悲惋。自往桂河捕魚。巡吏執之。并魚送于官。訟司鞠問。僧悲泣曰。法之所禁。誰不遵守。況身在釈門。破戒之罪不可逭。但母■且病。非肉不食。故至于是。今錐放此魚。不可復生。幸饋母所。聞一下箸。則錐身萬跂非所憾。辭気懇切。吏年■感動。   上皇聞之。賜金帛赦還。

※菊池容斎『前賢故実』巻第六「僧某」

【読み下し】僧ナニガシは名字つまびらかならず。母に事(つか)え孝に至る。家ははなはだ貧しく、その母は生魚をたしなみ、なくばすなわち箸を下しあたわず。僧つねに買って羞(恥)じる。時に白河上皇が屠殺を厳禁し、魚を得あたわず。母すこぶる絶食し、疲憊して餓(我)死す。僧の悲惋にたえず、自ら桂川へ往き魚を捕らえ、巡吏これを執り(捕らえ)、ならびに魚を官に送る。訟司鞠問すれば僧の悲泣して曰く「法の禁ずるところ、誰が遵守せざる。いわんや身は釈門にあり、破戒の罪のがるべからず。但し母の■かつ病にて、肉にあらずんば食えず。ゆえ是に至る。いま錐をこの魚に放ち、また生くべからず。幸いに母へ饋(贈)るところ、一たび箸を下し聞さる。すなわち錐を身に萬(まん)跂(つきた)つとも憾(うらむ)むところにあらず」と。辞気懇切にて吏の……感動す。上皇これを聞き、金帛を賜い赦し還す。

※読み下しは筆者による。一部不明瞭な部分や誤判読の可能性もあるため、ご参考まで。

以上『前賢故実』が伝える僧某のエピソードを紹介しました。親を死なせてまで戒律を守ったことを後悔し、せめて墓前に魚を供えようとした複雑な心境は、現代でも共感できる方が多いのではないでしょうか。

僧某のその後について記録はないものの、恐らくこれまで以上に精進したものと思われます。

ハッキリ「こうすべき」という明確な答えのない問題に満ちた俗世ですが、常に己と向き合い、考え続ける姿勢の大切さを僧某は伝えているようです。

※参考文献:

  • 菊池容斎『前賢故実 巻第六』国立国会図書館デジタルコレクション
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角田晶生(つのだ あきお)

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