「平安貴族」と聞くと、和歌を詠んだり、蹴鞠をしたり、優雅でのんびりとしているイメージが思い浮かびます。
しかし、これはあくまでも『源氏物語』に代表される平安文学の世界のイメージであり、実際の平安貴族は、政務に忙殺されるビジネスマンだったようです。
今回は、雑事に追われる平安貴族の出勤風景をみていきたいと思います。
朝3時起床。目覚まし時計は太鼓の音
貴族の一日は、午前3時ごろに行われる開諸門鼓(かいしょもんこ)で始まります。
開諸門鼓とは、大内裏と内裏の小門が開かれる合図のことで、時間になると太鼓が打たれました。この太鼓の音を目覚ましに、貴族たちは起床します。
6時半頃になると、今度は開大門鼓が打たれて主要な門が開き、これが出勤の合図です。
出勤までの約3時間で身支度を整えるのですが、迷信としきたりによる雑事で、とても忙しかったようです。
出勤前の準備
起床後は、自分の属星(ぞくしょう)を7回唱えます。属星は、その人の運命を支配する守護星の名前です。
守護性は北斗七星のひとつで、生まれた年によって決まっていました。これは「北斗信仰」(ほくとしんこう)に基づいたもので、7回唱えると星の加護が得られると考えられていました。
守護性のつぶやきが終わったら、暦から自分の運勢を見て吉凶を確認します。その後、歯を磨いたり、手を洗ったり、仏様の名前を唱えたり、神様にお祈りしたりと、粛々と日課をこなしていきます。
これらの儀式が済んでから、暦に日記を付けます。暦は具注歴といい書き込み式になっている巻物です。
日記には前日に起きた事柄を書き綴るのですが、これは私的なものというよりも、宮中での儀式のやり方などを細かく記した備忘録という意味合いをもっていました。
平安貴族の重要な任務は、宮中の行事を滞りなく行うことです。故実先例が重んじられる行事では、立場に応じて一挙手一投足が慣例によって決まっていました。そして、その通りにふるまうことが官僚としての重要な務めだったのです。
とはいえ、マニュアルなどは存在しません。そこで貴族たちは、日記に式次第の詳細を書き記して子孫に残していたのです。
子孫にとって、儀式のノウハウのつまったガイドブックのようなこの日記は、先祖代々、門外不出とされていました。
なお、日記が出勤前に書き終わらないときは、帰宅後でもいいのですが、その日のうちに必ず書き終える必要がありました。
藤原道長の書いた『御堂関白記』は自筆が残っていて、2013年にユネスコが選定する歴史的記録物「世界の記憶」になっています。
日記の書き方には各々の性格が出るようです。『御堂関白記』は他の漢文日記にくらべるとメモのような書き方で、道長はあまり細かいことにこだわらない性格だったようです。。
反対に毎日きちっと書かれているのが、藤原実資(ふじわらのさねすけ)の『小右記(しょうゆうき)』です。
実資が90歳で亡くなるまで、50年にわたって書き続けられた『小右記』は、社会や政治、宮廷の儀式、貴族の暮らしぶり、故実などが記録されており、当時を知る貴重な資料となっています。
また、人事への不満や他の貴族の批判、賄賂の品なども詳細に書かれていて、実資の人間性を垣間見ることができます。
身なりを整えて出勤
当時の正式な食事は、昼(朝10時もしくは12時頃)と夜(午後4時頃)の2食だったので、朝食はお粥のような軽い食事で済ませていました。
軽食をとったら、次は身だしなみの時間です。まずヘアスタイルを整えます。ただし、髪に櫛を入れるのは3日に一度です。
爪の手入れは日が決まっており、手の爪は丑の日に、足の爪は寅の日に切りました。
ちなみに入浴は、日を選んで5日に一度くらいなのですが、これにもいろいろとルールがありました。
毎月1日に入浴すると短命、8日は長命。11日は目が明らかになり、18日に入ると盗賊に会うそうです。午の日に入浴すると愛敬を失い、亥の日では恥をかく。さらに悪日とされる寅、辰、午、戌は入浴禁止で、いったいいつ入浴したら良いのでしょうか。
身だしなみが終わるとやっと着替えです。「束帯」と呼ばれる正装を身につけ、出仕の合図を告げる太鼓が鳴らされると、マイカーならぬ「牛車」で勤務場所である大内裏へと向かいました。
食事も身だしなみも着替えも世話を焼くのは、妻の仕事でした。
平安貴族の欠勤理由、方忌み(かたいみ)と触穢(しょくえ)
平安貴族たちの欠勤の理由は、だいたい方忌み(かたいみ)か触穢(しょくえ)でした。
方忌みと、出勤前の暦チェックで職場の方角が凶運と出た場合です。これは欠勤の正当な理由になりました。
触穢は、 人の死や出産、月経、傷病などの不浄とされるものや不吉なことに接触、または接近することです。
こうした「穢れ」を見てしまったときは、神聖な職場を穢さないように、清浄の身にもどるまでの一定期間、出仕を控えなければなりませんでした。
ちなみに欠勤の連絡は、届け先に応じた身分の従者が手紙を届けました。
実際のところ、方忌み(かたいみ)も触穢(しょくえ)も、貴族たちが仕事をサボる都合のいい口実だったようです。
参考文献:山口博『王朝貴族物語 古代エリートの日常生活』.講談社
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