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あまりに理不尽!平安時代の人々はどのように離婚していたのか? 【光る君へ】

平安時代の人々は、どのように離婚していたのでしょうか。

今回は当時の法律であった大宝律令の条文から、離婚に関する定めを紹介したいと思います。

離婚が許可される七つの理由

平安時代の人々はどのように離婚していたのか?

妻を離縁する夫(イメージ)

凡棄妻、須有七出之状。一無子。二婬泆。三不事舅姑。四口舌。五盗竊。六妬忌。七悪疾。皆夫手書弁之、與導属近親同署。若不解書、畫指為記。雖有棄状、有三不去。一経持舅姑之喪。二娶時卑後貴。三有所受、無所帰。則犯義絶淫泆悪疾、不拘此令、

※『大宝令新解』第二巻 第八篇 戸令 第廿八条「七去条」

【意訳】夫が妻を離縁するには、以下七つの正当事由が必要となります。いずれかに該当する場合に限り、離縁が可能です。

一、子供ができないこと。(女子のみでもダメらしい。養子をとらねば家が存続できないから)
一、他の男と浮気をしたこと。(解らなくはない)
一、舅・姑と不和であること。(舅や姑が嫁いびりした場合はどうするの?)
一、あまりにおしゃべりが過ぎること。(基準があいまい過ぎ)
一、盗みをはたらいたこと。(これも解らなくはない)
一、あまりに嫉妬深いこと。(これも基準があいまい過ぎ)
一、難病を患っていること。(感染症の場合、一家全滅のリスクも)

また、離縁に際しては、夫が自筆で離縁状を書いて交付する必要がありました。彼女の再婚に必要だったのです。

離縁状には、離縁した年月日や離縁理由なども明記します。

夫が文字を知らない場合については、人差し指(畫指)に墨を塗って捺すことで離縁状としました。

意味不明ですが、彼女の新しい夫(候補者)が事情を尋ねに来た場合は、離婚理由などを口頭で教える必要がありました。

ちなみに、七つの正当事由に該当しても離縁できない例外が三つあります。それは以下の通りです。

一、妻が舅・姑の喪にきちんと服した場合(よくできた妻です。離縁するなんて、とんでもない!)。
一、夫が妻との結婚後に出世し、裕福になった場合(誰のお陰で出世できたと思っているのですか。ちゃんと養ってあげなさい)。
一、天涯孤独で、行くあてがない場合(かわいそう過ぎます)。

しかし、これら離縁不可事由に該当しても、なお離縁できる例外がこれまた三つあるので、おさえておきましょう。

一、妻を義絶した場合(一族に仇なすレベルの暴挙に出た場合、義絶します)。
一、他の男と浮気した場合(その男に押しつけましょう)。
一、難病などを患った場合

何とでも言えるだろ!あまりに主観的な条件

平安時代の人々はどのように離婚していたのか?

捨てられた妻の怨み(イメージ)

……とのことです。が……意訳文中でもちょいちょいツッコミを入れている通り、「そんなの何とでも言えるだろ」的な条件もありますね。

  • 三不事舅姑(義両親に仕えない≒不和)
  • 四口舌(おしゃべりが過ぎる)
  • 六妬忌(嫉妬深い)

特にこれらは完全に「あなたの感想」なんじゃないでしょうか。

特に第三条は、舅や姑が嫁を気に入らないといびり出せば、たちまち成立してしまいそうです。

実際には、第四条や第六条も一定の基準があったのでしょう。例えばおしゃべりが過ぎて訴訟に発展した、とか?

そもそもこの離縁条件、すべて夫が妻を棄てる前提で書かれています。妻が夫を棄てることは想定されていません。

離縁状を持たせることで、再婚相手の男性が「この人は、現在人妻ではないのだな」と確認できます。

なぜそれが必要なのかと言えば、不倫や美人局(つつもたせ)のリスクを避けたかったからでしょうか。

とりあえず庶民の離婚はこのように管理されたようですが、行政当局は住民の婚姻関係について、しっかり管理できていたのかも気になりますね。

いちいち役所に結婚や離婚の届出をしていたとも思えませんし、必要に応じて何かの書類に「ナニガシの妻」などと記録されたのでしょう。

ちなみに、貴族の離婚はもっとアッサリとしたことが多く、当初は必要としていた親族の合意も不要となりました。

結婚は家同士のつながりだったため、いっときの感情で別れられた日には死活問題にもなりかねません。

それが平安時代の半ばになると、当人同士(と言うより、夫)の意思によって妻の家から脚が遠のき、自然と婚姻関係が解消されるようになりました。

これを夜離(よがれ)などと呼び、何とも寂しい響きを現代に伝えています。

終わりに

ついつい足が遠のいてしまう(イメージ)

以上、平安時代の離婚事情について紹介してきました。

基本的には夫が一方的に妻を離縁する形だったようです。妻から夫を捨てた事例はなかったのでしょうか。

夫が通って来ない夜の寂しさを詠んだ歌は数しれず。名作であるほど、夫への苛立ちが胸を打ちます。

果たしてNHK大河ドラマ「光る君へ」にも、女性たちの名歌が登場するのでしょうか。

心待ちであるような、そうでもないような……。

※参考文献:

  • 窪美昌保『大宝令新解』国立国会図書館デジタルコレクション
  • 山中裕『新装版 平安時代大全』ロングセラーズ、2023年12月
角田晶生(つのだ あきお)

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コメント

  1. アバター
    • 名無しさん
    • 2024年 10月 04日 11:10am

    平安時代の貴族階級の婚姻はかなり緩やかだった様です。今で言う通い婚が一般的で、内裏に出入りできる階級の貴族は皆「藤原氏」であるので、婚姻は家と家の結びつきではあるものの今話題の同姓か別姓かの議論は起こり得なかったでしょう。
    かの道長も倫子に婿入りしています。倫子は源を名乗っていますが、元をたどれば藤原一族と同系です。先祖に違いは無いのですね。道長は倫子の財力が出世の糧になりました。この時代でも妻の家の財力の力は絶大だったようです。道長はこの世の春を謳歌する時代を一代で築きましたが倫子には生涯頭が上がらなかったようですよ。
    一部のイスラム教国と同じく複数の妻(正妻)を持つ事も出来ました。これは複数の妻を通じて宮中での縁戚関係を広げる効果を期待しての側面もあったでしょう。そもそも高貴な血筋の姫を嫁にするにはそれなりの財力が必要です。誰でもできたわけではないのかもしれません。

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