西洋史

黄金の国「ジパング」とは岩手県のことだった説 ~前編 【マルコポーロの東方見聞録】

黄金の国「ジパング」とは岩手県のことだった説

画像 : 北アメリカのすぐ西にジパングが記されている。綴りは「Zipangri」(ジパングリ)となっている。本図は1561年の版からの着色図である。

黄金で満ち溢れているという伝説の国・その名は「ジパング」。

今から700年以上も前にマルコ・ポーロの「東方見聞録」に登場する黄金の国「ジパング」は、本当に日本のことだったのだろうか?

今回は黄金の国「ジパング」の真相について前編と後編にわたって解説する。

東方見聞録

黄金の国「ジパング」とは岩手県のことだった説

画像 : マルコ・ポーロ public domain

1271年、ヴェネツィアの商人であるマルコ・ポーロは、父や叔父と同伴する形で長い旅へ出た。

ペルシャからパミール高原、ゴビ砂漠を超え、1275年に元の皇帝フビライ・ハンに謁見した。その後フビライに重用されて各地に使節として派遣され、見聞を広めた。

1292年に船で泉州を発ち、セイロン、アラビア海を経て、1295年にヴェネツィアに戻った。実に四半世紀(24年間)に渡った大旅行となったのである。

1298年のメロリアの戦いで捕虜となったルスティロ・ダ・ピサと、同じ牢獄にいた縁で知り合う。

そしてマルコ・ポーロが口述したアジアの旅行記をルスティロ・ダ・ピサが編纂し、完成したのが「東方見聞録」である。

東方見聞録には

ジパングは莫大な金を産出し、宮殿や民家は黄金でできていて、財宝に溢れている

と書かれている。

しかし、実はマルコ・ポーロは日本に来たことはないのである。
しかも当時のマルコ・ポーロには「ほら吹きマルコ」というあだ名が付けられていたという。

ジパング岩手県説

岩手県盛岡市にある報恩寺には、金でできた仏像が499体も置かれ「五百羅漢」と言われている。
その仏像は表情や仕草が全て違っているために「自分の知り合いに似た仏像が必ず見つかる」とも言われている。

そして実は499体の金の仏像に中に、マルコ・ポーロの仏像があるのだ。

洋服にも見える立派な衣装と、ひげを蓄え帽子をかぶっている仏像がマルコ・ポーロの仏像だとされている。


しかも、その隣には元の皇帝フビライ・ハンとされている仏像もある。

前述したとおりマルコ・ポーロとフビライ・ハンは関係が深く、マルコ・ポーロはなんと17年間もフビライに仕え、中国や東南アジアなど各地を巡りながら情報収集を行っていたのだ。

マルコ・ポーロの東方見聞録の内容は、ほとんどがその頃のものである。

報恩寺にある2人の仏像が「マルコ・ポーロとフビライ・ハン」と言われるようになったのは、近代になってからである。
仏像が作られた当初は、別の人物として作られていたという。

なぜ近代になって、その2人だとされたのか?

それは東方見聞録に出てくる「黄金の宮殿」が関係している。
黄金の宮殿のモデルになった建物が岩手県にあり、それはあの有名な平泉町の中尊寺金色堂だという。

黄金の国「ジパング」とは岩手県のことだった説

画像 : 屋外に再現された金色堂 (えさし藤原の郷) wiki c tak1701d

金色堂は極楽浄土の世界を表現した建物で、藤原清衡が1124年に建立した。

東方見聞録が出版されたのは、それから170年以上後のことであるため、マルコ・ポーロが金色堂の情報を得ていた可能性は十分にあったと考えられる。

東方見聞録には、ジパングの黄金の宮殿に関して

宮殿の屋根はすべて純金で覆われている。床も窓も同様であるから想像を絶するほどである

と記されている。

ちなみに現在の金色堂の屋根は、金ではなく木で覆われている。
しかし金色堂が創建された当初は屋根も金箔で覆われていた可能性が高く、時の経過によって屋根の金箔が剥がれ落ちたとも考えられている。

つまり「黄金の宮殿は中尊寺金色堂だった」という説が浮上してくるのである。

東北地方がジパング?

では本当に岩手県付近が黄金の国「ジパング」であったのであろうか?
もしそうであれば、東北地方には莫大な黄金があったはずだ。

宮城県気仙沼市の金山跡には、平安時代から昭和の中頃まで1,000年以上も金が採れたと言われている「鹿折金山跡」という場所がある。
鹿折金山からは「ナゲットモンスター」と呼ばれた重さ2,25kgの金が採られ、現在もその実物の一部が茨城県つくば市の地質標本館保管されている。

それが記録に残る最後の姿だが、東北地方では昔から巨大な金が数多く採れていたようである。

平安時代に書かれた「小右記」という日記には

例の金に似ず粒ははなはだ大、奥州では他の地域とはまったく違ったとても大きな粒の金が採れる

と書かれている。

しかも巨大な粒の金が採れる金山は、岩手県を中心とする東北地方の北上山地付近には無数に存在し、数千か所もあったと言われているのである。

まさに東北の地こそ、黄金の国「ジパング」にふさわしい場所と言えるのではないか。
奥州・藤原氏が金の力を元に栄えていたことも納得がいくのである。

後編では「ジパング」の他の候補場所や、岩手県説についてさらに掘り下げていく。

 

アバター

rapports

投稿者の記事一覧

草の実堂で最も古参のフリーライター。
日本史(主に戦国時代、江戸時代)専門。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. アバター
    • 名無しさん
    • 2023年 3月 22日 8:36am

    岩手県気仙沼?

    0
    0
    • アバター
      • 草の実堂編集部
      • 2023年 3月 22日 10:06am

      ご指摘ありがとうございます。修正させていただきました。

      0
      0
  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. エリザベート・バートリ について調べてみた【血の伯爵夫人】
  2. 中世ヨーロッパの迷信的な治療法 「トレパネーション、水銀風呂、ミ…
  3. 中世の騎士の生活 「鎧は高額だった」
  4. 東南アジアで暴れた日本人傭兵たち ~17世紀に起きた「アンボイナ…
  5. 「善人より悪人の方が救われる?」仏教界の異端児・親鸞の教えとは
  6. これは山神様の祟りか…源頼朝に従い活躍した老勇者・工藤景光の最期…
  7. アクロポリスの再建とアテナのアレイオス・パゴス、レオ・フォン・クレンツェ画、1846年 約2400年の歴史を持ち、今なお現存するパルテノン神殿
  8. ムスタファ・ケマル「一代でトルコを近代化させた独裁者」

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

世界の神話・伝承に登場する「虫の怪物」たち

「虫」は、我々人類にとって身近な動物の一つである。特に昆虫は、この地球上でもっとも種類が多い…

【関ヶ原の戦い後】処刑された石田三成、その子孫たちはどうなったのか?

石田三成は、豊臣秀吉の側近として政権運営に大きく貢献した。しかし、秀吉の死後、政権は…

戦国一の子沢山?前田利家の妻・おまつ(芳春院)が生んだ子供たちを紹介【どうする家康に登場する?】

戦国時代、武家の女性に課せられた役割の一つに「子供を産むこと」が挙げられます。男児ならば世継…

武田信玄(晴信)の初陣に敗れた豪傑・平賀源心(玄信)。その子孫はどうなった?

時は天文5年(1537年)12月26日。信濃国海之口城(長野県南佐久郡南牧村)が攻略され、城主の平賀…

頑固は損?ブレる人ほど成功する?遺伝子が明かす意外な真実とは

パーキンソン病は、手足が震えたり筋肉がこわばったりする病気、脳内のドーパミンが不足するのが原…

アーカイブ

PAGE TOP